#319 紫式部と清少納言は本名じゃない?

『源氏物語』の作者で知られる紫式部と、『枕草子』の作者で知られる清少納言。

必ず教科書に登場する名前だが、2人の名前は本名ではない。

2人は、貴族のお世話係である「女房」という役割を担っており、それぞれ一条天皇の妻となる人物に仕えた。

当時の女房は、その一族の苗字1字+親や兄弟の役職名を通称としていた。

紫式部は藤原家の人間だったので、もともとは藤+式部(現在の文部科学大臣のような位)で「藤式部」という名前だったようだ。

それがいつしか紫という字がつけられたのだが、これは『源氏物語』の登場人物である「紫の上」という女性から1字とったと言われている。

清少納言は清原氏の一族だったため、「清」に「少納言」という一族の位をかけあわせ、「清少納言」となった。
現代の感覚だと、「清少」が名字で「納言」が名前のように思いがちだが、正しくは「清」と「少納言」に分けられる。

ちなみに本名は分かっていない。
当時、とくに女性は公式の記録に本名が残ることはほとんどなく、本名を知るための資料がないことから、現代には通称しか伝わっていないのだ。
※一応、紫式部は藤原香子(ふじわらのたかこ)、清少納言は清原諾子(きよはらのなぎこ)が本名であるという説があるが、定かではない。

当時の人々にとって、本名は「諱(いみな)」とされ、口に出すのははばかられるものとされていた。そのため、親や主君などその人と近しい人物以外の人が本名を呼ぶのは、無礼なことだと思われていたのだ。

そもそも政治の表舞台に立っていた女性が少ないというのもあるが、古代や中世の女性の名が現代に伝わっているというのは例外中の例外のようだ。

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【参考】


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