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他者評価にも影響されない我の強さが自己肯定感ゼロの原因な気がする話

人から褒められた時、それを受け入れて、自分の評価や価値を共に上げられる人って凄いな、と。


わたしは、人から褒められても、それはその人の意見であり、わたしの意見とは異なるものとして、一旦分けて考える癖がある。

簡潔に言うと、人の意見を受け入れられないのである。


わたしはわたし。あなたはあなた。別人であり別思考。と全て切り離して考えるため、他者の意見を参考にしたり、アドバイスを聞き入れることが本当にできない。

この癖は昔から変わらなくて、親からも、何でそんなに自己評価が低く、全てを過小評価するのかわからない。もっとポジティブ思考になればいいのに、とか何億回も言われてきた。

いやいや待てよ。と。

まず自己評価も何も、幼い頃から親からの評価が最悪で、教師や大人達はみんな揃ってわたしを悪者扱い、愛想のないブス、捻くれ者の厄介娘のように扱ってきたし、そう言ってきたじゃないか。


そういう幼少期からの刷り込みが、今の思考の癖の根本的な原因なのでは、と。


むしろ、人は人、自分は自分と切り離すことで、わたしは自分を守ってきたのだとも思う。そうしなければ、周りの声に耐えられなかったから。


今でこそ、たくさん整形をして、お金を稼いで自己投資して、綺麗なものを身につけることができるようになったけど、そうなる前は誰も肯定的な意見なんて言ってこなかった。


それくらい、人は見た目で判断するし、見た目が良ければ許されることも増えると思う。身を持って経験してきたので、これは間違いない。


愛想のないドドブス時代、人からの意見を真に受けてしまったから、わたしは整形沼にハマり抜けられなくなったし、拒食になるレベルまでダイエットをし続け辞められなくなった。精神を病むほどの不眠症や鬱の症状は高校生の頃からで、今も不安になると大抵薬なしでは寝られない。


でも、今のわたしの姿だけしか知らない人はきっと、なんでこんなに自己肯定感がなくて、人の意見を聞けないのかと、不思議に思うだろう。


今は、というか2024年になってから、特に我の強さが以前に増してきて、限界突破しているので、他人の意見を聞き入れる余裕がまるでない。


まあ、カウンセリングで、あんなに骨切りの必要はないと言われたのに強行突破し、4回手術するようなことがあったくらいなので、わたしは相当意思が強くそれを曲げられない。


そんな自覚はあるのに、いや、あるからこそ、我の強さもありすぎると厄介だし、それが低い自己評価にも繋がっているような気がした。


我の強さは、プライドの高さとも繋がっていて、切っても切り離せないような関係にも感じている。


それはつまり、他者からの評価が低い時、同時にプライドも傷つけられる。それを回避するためにも他者評価を受け入れず己を貫くと決めている感じ。


おそらく、この特性は生まれ持ったものなので、今から変えることは難しい。ただ、もう少し我の強さを和らげられたらいいのにと、強く思う次第である。

何事も多すぎるのは、ないのと同じなので、程々が1番なのだ。