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初音ミクと“if”の世界線

先日、初音ミク『マジカルミライ2023』のOSAKA会場へ娘と脚を運んだ、というハナシを書きました。

思えば今月31日で16歳を迎える初音ミクと、今年の秋に17歳を迎える娘とは、数十日ほど年齢が被るのであります。
そんな娘も高校2年なので、こうして一緒に出かけるのもそろそろ最後かな、という思いもありました。

その娘が「初音ミク」に興味を持つようになったきっかけは、2012年のファミリーマートとのコラボ商品でした。
V2版のオーナーだった僕はちょっと嬉しくなり、エディターの画面を開いて「ボカロとはなんぞや」をレクチャーしたものです。

以後僕の娘は、お古のiPad2やニンテンドー3DSのブラウザでニコニコの動画を次々と観るようになり、「音楽といえばボカロ」というエリートに成り果てていきました。

2014年に清水藍という強いのを面接して、翌年から仕事をするようになりました。
あまりに強いので、実際に清水と「初音ミク」のハナシをするまでに2、3年ほどインターバルがあります。

諸事情で日曜に娘を会社へ連れて行った際に、清水も仕事で出社しており、強いのふたりが顔を合わせました。

すでに小学校高学年だった娘は、すでに早口のおたく喋りで清水と推し曲を語り合っており、僕は目の前で「よくわかんないけど新しい時代が来るぞ」という、すがすがしい脱皮感を抱いたものです。

当時の僕は、楽曲を作りつつ、さまざまな素材でクソコラ動画を作るのに熱中しており、ラジオという本業と「初音ミク」をアダプトさせることはありませんでした。

それが斯様に「初音ミク」で曲もイラストも動画も作るようになり、「MEIKO」にものめり込むようになったきっかけ。
それは清水から半ば強引に誘われ、娘や妻から「オレたちも連れてけ」と言われた「マジカルミライ2019」でした。

ライブ前に撮影。人生か変わるポイント

もしマジミラに行かなければ、そこで70周年キャンペーンに起用したいと思うこともなく、クリプトンの皆さんにお会いすることもなく、MEIKOさんに肩入れすることもなく、絵を自分で描くこともなかったのです。

もともとDTMを広めたい、もっと言えば芸能界とまるで関係のない音楽好きが自宅で作った曲に、日本の音楽界を席巻してほしいという思いを持っていました。

それが『電磁マシマシ』というフリーキーな番組に繋がるのですが、最近もかつてのリスナーさんから声を掛けられ、オシッコちびるくらい感動しました。ちびってないけど。

ムーブメントがニコニコ発祥ということもあって、おそらく僕の芸風ともマッチし、コラボが決まった時も「こうなるだろう」というおおまかな設計図はできていました。

ただ、それは僕ひとりでは達成不可能で、おおらかに受け入れてくれたクリプトンの皆さん、ネタ化を許容していただいたねじ式さんとたかぴぃさん、ボカコレに繋いでくれたInterFMの松井さん、そしてまさかのColorful Paletteの皆さん、そしてタイムラインでネタ化を推してくれたリスナーの皆さん、ボカロPの皆さんのおかげです。

もし「初音ミク」に出会ってなかったら、たぶん僕の仕事ももっとつまらないものになってたでしょうし、趣味でチマチマと実験的な動画を垂れ流す程度の、くたびれた50代になっていたでしょう。

うん、とりあえず娘と清水には感謝する。
絶対また口論するけど。

ラジオ局勤務の赤味噌原理主義者。シンセ 、テルミン 、特撮フィギュアなど、先入観たっぷりのバカ丸出しレビューを投下してます。