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企画書に引き摺られない成功体験

たぶん営業マンであれ内勤であれ、「企画」という仕事に携わる人間には「企画書」というモノがマストアイテムだと思います。

それを基に他社に売り込むわけですから、企画書が有効な場面は多数あると思います。
でも、社内の上を通すなら、企画書は要らないと思ってます。
想定経費との兼ね合いで「やらないよりやった方がいい」というロジックが組めるのなら、稟議を巧く書けばいいハナシです。

現に、僕が初めて企画した番組は、企画書を作りませんでした。
その代わり、番組が始まってから「USTREAMで同時アクセス1万2千超」という社内外へのリリースは20回以上出しました。

社内政治を考えると、企画書より大事なものはたくさんあります。

最初から「UST同時視聴3千を目指します」と企画書に銘打った時点で、それはストレスを一個重ねたに過ぎません。
それより「見向きもされないと想定したシミュレーションより全然いい結果でした(ドヤ顔)」のリリースの方が説得力があります。

だから「いい企画書の書き方」に専念するほど給料泥棒な行為はないと思ってます。

実は今日オンエアした「トーク甲子園」という企画は、大手代理店の若手クリエイターチームが提出してくれた、150を超えるプレゼンから選んだひとつです。

そして僕らもその提案を受けつつ「いや、ここは決め込まない方が面白くなる」と企画会議で主張しました。

いや、ホントに「企画会議」というのは、やるべきことを確認する作業なんですけと、逆に「やらなくてもいいことの領域」を見極める会議でもあるのです。
これを「会議で決まったから全て従え」という形に持っていくのはラクですけど、それは誤った企画会議だと思います。
いわゆる僕が憎む、インナーの「やった感」の構築に他ならないのです。

実際に出来上がった「トーク甲子園」は、企画チームや僕ら実効部隊の想定を凌駕する素晴らしい企画となりました。
これが「成功体験」なんです。
会議で決まったことをやりきったことなんて「成功」でもなんでもないんです。

それで思ったのは、昨今のテレビ番組への逆境です。
テレビ番組は、ものすごく大勢のスタッフを動員します。

なぜかというと「失敗しないための意見形成」だからです。
失敗しないための「経験則」、20年も30年も前の古びた「実績」、これが送り手に残ってる限り、テレビ番組は永久に面白いものにはならないでしょう。

もし彼らがその「成功」を「狙い通りに企画を遂行してマネタイズできること」と捉えていたとしたら、それは「面白さを犠牲にした成功」としか言いようがありません。

そんなものに送り手の熱なんか入らないし、外部の誰からも推してもらえるわけがないのです。

手前赤味噌ながら、「トーク甲子園」は大元の企画はもちろん、投稿者の作品の質、アンバサダーや審査員パーソナリティの人選と熱意、経験則からの「失敗しないためのアドバイス」を排除したこと、それら全てが功を奏した、久々のいい企画でした。

そしてこういったフットワークの軽さと、熱意を持った人間が勝利するというドリーム作りに関しては、ラジオの右に出るメディアはないと思っています。

つか、どいつもこいつもラジオ聴け。
楽しさをひとつくらいは見つけられるぞ。

 

ラジオ局勤務の赤味噌原理主義者。シンセ 、テルミン 、特撮フィギュアなど、先入観たっぷりのバカ丸出しレビューを投下してます。