見出し画像

新春に出会しためんどくさい国民性。

明けましておm…と言いかけたら、元日に令和6年能登半鳥※地震が発生しました。

※お節介な忠告文を出さないために「島」を「鳥」にしております。

その瞬間は名古屋市から1時間ほどの実家に帰り、母親、弟、娘と菓子を喰いながら近況を喋っていたところ、4人の携帯が一斉に鳴り出したと思ったら最初小刻みに、間もなく横揺れが1分以上続きました。

その後同僚数人から電話が相次ぎ、速報対応のために出勤。
1年ぶりの帰省は、たった3時間で終わりました。

さらに2日の夜には、羽田空港で支援物資を届けるために待機していた海上保安庁の航空機と、新千歳空港から向かっていた日本航空機が衝突炎上。
海保隊員に5名の犠牲者が出るなど、昭和64年以上に「おめでとう」と言いにくい情勢となっています。

そんな中、X(旧Twitter)は、いくらイーロン・マスク氏の改悪でインプレゾンビが大集結しようと、我が国では情報インフラとしての価値が残っています。
災害時にタイムラインを見ていると、いろんな考え方があるなと。

いつからか日本では地震や災害が起こると、なぜか千羽鶴を折って被災地に送りつける風習があります。
これは「ワンダフル・カルチャー」「エキゾチック・ジャパン」と称賛されているのか、海外からもかなりの数の千羽鶴が送られてくるそうです。

被害の全容が少しずつ明らかになった1月2日の午前中あたりから、「反千羽鶴」というべき人たちによる警告ポストも増えています。

実際に送られて苦い思いをした方も、こんなポストを放ちました。

その流れでこんなポストが拡散されました。

これには反千羽鶴クラスタから「実際にやるバカがいるから事前に警告してんだろ」(要約)とのリアクションが見られました。
でもこれ、2018年のポストなんですよね。

いずれにせよ、仮に善意の人であろうと、何かしてないと不安だという人であろうと、顔も知らない人からの千羽鶴は何の役にも立たないと思っておいた方がいいでしょう。

特に後者のタイプの方には、古来より「百度参り」という風習があるので、しもやけに注意しながら祈りましょう。

そして羽田空港での事故についても、Xでは「犯人探し」がひとつのトレンドになりました。

これについては「千羽鶴」同様に警告ポストを投げかけたり、報道から特定個人への責任転嫁を危惧するユーザーも多いようです。

この手のポストを積極的にしていたのは「メーデー民」の皆さん。
『メーデー 航空機事故の真実と真相』(ナショナルジオグラフィックチャンネル)の視聴者で、航空機事故の原因究明においては「お巡りさんこの人です」という余計な横ヤリは愚である、といい意味での「意識高い系」です。

航空機事故に限らず、現代におけるあらゆるアクシデントは、システムで防げないことと同義です。
あのJR福知山線脱線事故でも、運転士自身の責任以上に、ミスを根性論で追い詰めた組織の教育体制が糾弾されることになりました。

メーデー民の皆さんには、乗り物以外の分野でも力を発揮いただけると心強く思います。

今回の事故は、元日の地震さえなければ起こらないはずでしたし、亡くなられた方はまさに殉死です。
公的機関の最終報告が出るまで余計なことすんなバカ、という印象であります。

これらふたつの件、そして上のポストから「国民性」とは「何か言わずにはおられない性質」のような感じもします。

その一因は一神教ではなく、八百万の神を奉る国だったからかな、と考えることがあります。

先に挙げたのは、ひとりきりになると、急に誰かと繋がりたくなるゆえの行動なのかなと。

不安を拭おうと千羽鶴を折りまくり、送って他人のためになった気になる。
犯人探しをしてる自分の姿を他人に見せることで、友だち探しと自身の生存確認をする。

どちらにも共通する「自分本位」こそが国民性なのかもしれません。
決して「神の御加護を」と運命に任せることが出来ず、わかりやすく書けば「お節介」になりがちな国民なのかな、と思うわけです。

そもそも僕のこのnoteだって、孤独なブレストかつ生存確認ですからね。
投稿することによって、擬似的な出会いを求めてるのかもしれません。

と、おのれの国民性も俯瞰しなきゃいけない、そんな年明けの顛末でした。

被災された皆さんには心からお見舞い申し上げます。
また、昼夜を問わず救助活動や復興にご尽力されている皆様に、心から敬意を表します。

そして読者各位におかれましては、くれぐれも良いお年をお過ごしください(本気で)。

この記事が参加している募集

はじめての仕事

ラジオ局勤務の赤味噌原理主義者。シンセ 、テルミン 、特撮フィギュアなど、先入観たっぷりのバカ丸出しレビューを投下してます。