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初夏の史跡巡り(国分寺市篇)その2

REV24

ソフトウエア工房孫風雅です。

ブログ投稿しています。複数画像付き等最終版は此方から、ご覧ください。

感染症は再び拡大している感じがしていますが、報告方法が変わったため、実体が容易には把握できない状況と思われます。感染症に注意しながら、脱水症状等も気を付けながら、散歩の目的として史跡めぐりを継続してみようと思いました。

尚、史跡だけでなく、色とりどりの可憐なお花も撮影できたらと思います。

先ずは場所を確認する為に、インターネット上の国分寺の史跡情報を確認しました。(継続です、新アイテムが見つかり次第UPDATEしていきます)

以下、インターネットで確認できた、国分寺の史跡名です。既に訪れた史跡は紫色で表示しています)

  1. 熊ノ郷遺跡

  2. 恋ヶ窪遺跡

  3. 忠魂碑

  4. 東山道武蔵路跡遺構平面レプリ

  5. 恋ヶ窪東遺跡

  6. 東山道武蔵路跡

  7. 土師堅穴住居跡

  8. 中門跡

  9. 尼寺北方の塚

  10. 武蔵国分寺跡

  11. 恋ヶ窪廃寺後

  12. 日影山

  13. 柄鏡形敷石住居跡

  14. 武蔵国分寺跡(僧寺北東地域)

  15. 金堂跡

  16. 庚申塔

  17. 鐘楼跡

  18. 七重塔跡

  19. 武蔵国分僧寺七重の塔跡

  20. 武蔵国分僧寺七重の塔跡2

  21. 武蔵国分寺跡 参道口

  22. 築地堀跡

  23. 武蔵国分寺僧寺 南門跡

  24. 武蔵国分寺僧寺 南門跡

  25. 武蔵国分寺 経蔵跡

  26. 武蔵国分寺礎石

  27. 講堂跡

  28. 武蔵国分寺金堂跡

  29. 金堂基壇

  30. パークハウス国分寺史跡公園

  31. 青面金剛像

  32. 国分寺のコウヤマキ

  33. 国分寺桜門

  34. 地蔵堂

  35. 武蔵国府中国分寺碑

  36. 旧本多家住宅長屋門

  37. 武蔵国分寺七重塔推定復元模型

  38. 武蔵国分寺跡資料館

  39. お鷹の道遊歩道休息所

  40. 武蔵国分寺公園

  41. 中央鉄道学園記念碑

  42. 殿ヶ谷戸庭園(仮)?(紅葉亭)

  43. 旧岩崎家別邸

  44. 馬頭観音

  45. 小柳九一郎翁頌徳碑

  46. 不動橋・石橋供養塔

  47. 日本の宇宙開発発祥の地 顕彰記念碑

  48. 王貞治国民栄誉賞受賞記念碑

  49. 田用水堰記念碑

  50. 国指定史跡武蔵国分寺跡附東山道武蔵路跡

  51. 武蔵国分寺跡(その他多く?)

  52. 武蔵国分尼寺跡

  53. 武蔵国分尼寺中門跡

  54. 武蔵国分尼寺中枢部北辺

  55. 金堂跡(武蔵国分尼寺

  56. TBD

こうして、国分寺市内の史跡を並べてみると、結構沢山のアイテムがある様です。

今回写真を掲載する史跡アイテムは、アイテムの文字色を青色にしました。

今回は、以前訪れた武蔵国分寺跡を道路で挟んだ反対側(地図上で言うところろ、武蔵国分寺跡が右側で、今回は国分寺市の左側に位置する史跡です)

以下は、武蔵国分尼寺跡です。

此方の史跡はその名前の通り、その昔、国分寺市にあった尼寺の史跡の様です。

インターネットで武蔵国分尼寺を確認してみると、幾つかの情報がある様です。

奈良時代の中ごろに、当時の聖武天皇により全国に建立された官立寺院の1つである武蔵国分寺に併設された尼寺の模様です。

この尼寺跡は以前訪れた右側の国指定の史跡武蔵国分寺跡に一括して指定されている模様です。

確認調査の成果確認後、尼寺伽藍の中枢部を構成する主要建物や区画施設である掘立柱塀が、埋没保存されている様です。

現在は、その位置で、過去建物の名残を復元的に表示されています。

金堂は、本尊を祀っていた御堂との説明です。

この金堂は尼寺伽藍の中心にある最も大きな瓦葺建物であった模様で、これはその仏殿の跡との事です。

この跡に組み込まれた施設にて、基壇の土層断面標本を観察することができます。刻まれた歴史から、遠い昔の武蔵国分尼寺に忍ぶことができます。

尚、この場所は史跡発掘などの確認後歴史公園となっている様ですが、講師は今一公園とは思えませんでした。

何故なら、公園と史跡との境が不明瞭と感じてしまうからです。実際側で犬を散れた多くの方々や自転車に乗る方、鉄道側の壁にボールを当てて一人キャッチボールを行っていたりと、歴史公園という考え方自体が納得いっていません。

もう少し具体的に説明すると、犬等を連れて史跡の身近なところまで入れる以上、コントロールできない粗相などあり得て、本当に歴史史跡が保てれるのかという事です。

以下は武蔵国分尼寺中門跡です。

この史跡は、この武蔵国分尼寺跡の端の方に位置しており、正に尼寺に入る門の様な位置関係にありました。案内板のみで、門柱跡等は無い様でした。

但し、この史跡の名が中門跡と言うからには近場に前門や後門の様な複数の門があっても良い気がしているのですが…?

以下は、武蔵国分尼寺中枢部北辺です。

此方の史跡は主にこの掲示板しかそれらしいアイテムが講師には見つかりませんでした。ただ、この案内板の向こうは原っぱの様なスペースになっており、その部分が史跡の一部なのかもしれません。(武蔵国分尼寺跡の案内説明の中に、埋めたままにしてある部分があるとの記述がありました)

以下は、金堂跡(武蔵国分尼寺)です。

案内板の周りは、写真の様に草ぼうぼうでした。一段高くなっているところが金堂跡では無いかと思われます。尚、どうも金堂というのは各史跡の主な建物の様な意味なのか、武蔵国分寺跡の方にも金堂と名前の付く史跡が有りました。

この史跡周辺では、残念ながら以下の小さなお花位しか見つけられませんでした。

皆さんは、温かくなってきたこの頃、お散歩などはされていますでしょうか?

講師の経験が、皆様のお役に立てれば幸いです。

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