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中学の暗黒時代。(3年生編)

■前置き :  
2年生の頃は割りと安定していて、話すエピソードがないので、こちらでは先に3年生の頃の話しを綴ります。




中学校 3年生。

思春期で多感な時期の少年少女たちは、背伸びをして、ファッションやアイドルや恋愛に興味を持つような、いわゆる「陽キャ」組と
アニメやゲームを好み 自己主張が控えめなタイプの、俗に言う「陰キャ」のグループと
野球やサッカー、バスケなどスポーツに勤しむ ストイックな「体育会系」のように
大まかなカテゴリーに分かれていったような、そんな雰囲気があった。

2年生の頃はクラスに友人がいて 割りと楽しく平穏に学校生活を送れていたのだが、クラス替えが行われたことで、その友人たちとも離ればなれになってしまった。

進級するときに先生から生徒たちへと渡される個人的なアンケートに、親しい友人たちの名前を書き連ねたが、いま思えば、生徒たちの成長を促すために あえて親しい者どうしを離れ離れにするためのアンケートだったと、大人になってから気づいた。



中学3年にもなると、さすがに皆、コミュニケーション能力を身につけ、はじめましての知らない者同士でも 気の合いそうな人を見つけては、積極的に関わりを持とうとする生徒たちが殆どだった。
それ以外の控え目な生徒たちも、それぞれになんとなく端っこに身を寄せ合いながら、クラスの人間関係を築いているようだった。

受け身になって萎縮している自分だけが、ひとり取り残されてしまったように思う。
机に座って佇んでいるだけではさすがに、誰かが興味を持って寄ってきてくれるようなことは 一切なかった。

まわりの 活発で愉しげな空気感とは裏腹に、孤立してしまった不安と虚無感に苛まれながら、酷く淡々と生活をしている自分が そこにあった。
当たり前のように友達がそばに居てくれた2年生の時との落差に、気持ちがまるでついていかなかった。

そして、その頃もまた 運悪く…
席替えでクラスメートの「陽キャ」の男女グループに、同じく席を並べることになってしまった。
授業で班を作るときも、昼食を食べる際にも、その都度 机をならべて向かい合わなければいけない決まりだった。


ある日。

前の席の陽キャの男子が、「はい!持ち検~(持ち物検査)」と称して、勝手に自分のカバンを漁り始めた。
当時の自分は陰気で気が小さく、ただ へらへらと愛想笑いを浮かべることしか出来なかった。
そんな様子を見て、班を同じくしていた陽キャ女子たちもクスクスと顔を見合わせ 笑い声をあげる。

カバンのなかには、学校帰りに地元のスーパーに立ち寄ってガチャガチャをして買って当てたりした、ポ◯モンのカードや下敷き、そのころ流行りはじめていたアニメ作品のコミックが数冊入っていた。
さすがに使っては居なかったが、小さな宝物のように カバンに入れて持ち歩いていた。

それを見た陽キャのグループが、
「中学生にもなって、オマエこんなん集めてんの?!」「ダサっ」「コイツこんなん学校に持ってきてまーす!(笑)」と、クラスじゅうの皆に聞こえるような声で騒ぎ立てた。

帰りのホームルームの時間だったので、そのときは先生の
「はい、静かにして~」の一言で、なんとか収まった。

それからというもの、3年生の学校生活は、その陽キャの男女グループと取り巻きたちには、「あいつダサい」「ヤバい」「キモくない?(笑)」とあからさまに距離を置かれ、遠巻きにずっとニヤニヤ…ヒソヒソと笑われ続けたりした、苦い記憶。。


給食の時間。

机を向かい合わせ 顔を見合せながらの給食に、食事があまり喉を通らずにいる自分を見て、体格のいい、陽キャ男子の下っ端のひとりが
「その牛乳貰うわ」「デザート食わないんなら貰うからな」と、ニヤニヤしながら給食の一部を持ち去ってゆくことも 日常的なことだった。

彼や彼女らが馬鹿にしたかったのは、弱気な自分の性格に対してであって、アニメやゲームなどの作品に対してではないことは、よく分かっていた。
大人しく、何を考えているのかよく分からない自分に対して、変なおもちゃでも見つけたように、ターゲットを見つけてひやかすことで 、思春期のフラストレーションを発散したかったんだろう。

クラスでは友達もできず、そんな情けない様子をクラスメートたちに遠巻きに見られ、変に気を遣われたりすることも…
腫れ物を避けるような そんな雰囲気があって、自分のことながら ひどくいたたまれなかった…

授業間の短い休憩時間、話す人がおらず 居心地の悪い教室のなかではとにかく、机に突っ伏して寝るか、トイレや水飲み場に行って気を紛らわすだけだった。
自分自身でもクラスに馴染めないことがとても恥ずかしかったし、そんな自分に対して、誰かがまた悪口を言っているのではないかと… いつもどこか不安だった。。

先生にも親にも、自分が学校の事で悩んでいることは、ずっと打ち明けられないままだった…
それは恥だと思っていたし、情けないことだとも思っていた。
なにより、自分のことで両親の頭を悩ませることは したくなかった。

どうしてもつらいときには、保健室に行って仮眠を取ったりしていた。
保健室の先生は、下校時刻までぐっすり寝過ごした自分を見やると「よく眠れた?」と優しく微笑んだ。

担任の先生に
「病院に行くので早退します…」と申し出て、親には無断で何度か、学校を早退したこともあった。

家柄や顔の分かる小さな田舎町。
幼い頃から、町の人たちの繋がりのなかで育った自分。

地元の住民の人たちとの繋がりは、こういうとき、逆に足枷になるのだな… と思った
幼い頃から自分をよく知っている大人たちばかりだから、早退しても 商店街や公共施設に足を運ぶ気にはなれなかった。

雪の降るような底冷えする寒い曇りの日でも、自分を知っている人たちに見つからないように、学校が終わる時間帯まで、神社の境内に座り込んで ひたすら時間を潰したこともあった。

ある日登校したが、どうしても教室にいることがつらくなってしまって、早退したことがあった。
母親は病院に勤めていたので、無断で家に帰ることが後ろめたくて、そのまま町の中心にある病院へと向かう。

お腹が痛くて早退した。と告げると、母は本気で「具合が悪いの?」
「一応、身体検査を受けて。」と言い
自分の仮病とは裏腹に、診察を受けることになってしまった。
人生で初のバリウムを口に含んで飲もうとしたが、検査の途中で思い切り吐き出してしまった…

何も異常がないことが分かると、少し安心した様子で
「一体何なんだろう?」と首を傾げる。
この人は、学校で自分がどんな毎日を過ごしているのか関心もなければ、想像もできないのだな…  と
そう思ったら余計に… 悩みを打ち明ける気分にはなれなかった。

学校に通い続けなければいけないことは、よく理解していた。
「行きたくない」と言おうものなら、両親はきっと声を荒げて、その理由も聞かずに、頭ごなしに自分を厳しく怒鳴りつけたのかも知れない。
そして、極めて深刻そうに頭を抱え、自分以上に悩む姿を見せるのだろう。

だから、行くしかなかった
どんなにひやかしを受け 苛められても
そこに、自分の居場所がなくても。




自分は、中学校の入学前に 父方の婆ちゃんを亡くした。
自分が心から甘えられる、自分に愛情を示してくれる、唯一の存在であり、心の支えだった。

学校から帰宅すると、共働きの両親の仕事が終わる夕方まで、町内にある古びた祖父母の家に学校帰りに寄って、一緒に過ごす時間が日課になっていた。

祖父母と一緒に炬燵に座り、夕方のアニメを見る
その 穏やかな時間がとても好きだった。
自分が自分でいられる、大切な場所だった。

大事な時期に 大切な存在を失ったことも、自分のなかでは 真の意味で 大きな喪失だったのだろうと思う



相変わらず教室には居場所がなかったが
給食を食べ終えてからの束の間の休み時間は、クラス外の友人たちと図書館や美術室に集まっては、廊下を駆けて はしゃいだり、好きなアニメやゲームの話題で雑談したり、くだらないことで笑い合ったりした。
友人たちと一緒に過ごしている その時間だけは、つらい事を忘れることが出来た。

自分が教室に通い続けられたのは、同じようにクラスや学校そのものにあまり馴染めなかった、同じ気持ちを共有できる仲間が、友人たちが居てくれたからだと思う。
はみ出し者や変わり者だけど、心根が優しい友人たちがいてくれた… そんな心強さがあったからなんだと思う。

あの頃の友人たちとは、別々の高校に進学した時点でそれぞれ疎遠になってしまったが…
時折、大人になった今でも ふと思い出してみては、当時の友人たちに 人知れず感謝をしている。

約束もしていないのに、いつも一緒に居てくれて、同じ場所に集まってくれて
「本当にありがとう… 」 と。

中学時代は(これから追々綴るであろう高校時代もだけど。)
自分のなかでは本当につらい記憶ばっかりで
あまりにつらい時代だったから、当時の記憶が曖昧だったり、思い出せなかったり、抜け落ちてしまった記憶が多々あるのかも知れない。

きっと、つらい記憶を消してしまいたい
忘れてしまいたいから…
無意識に 記憶に『蓋(ふた)』がされているのだと思う。

大人になった今でも、あの頃のつらい時期の夢を何度も見る…
居心地の悪い教室。
冷やかしを受ける自分。
いじめっ子たちの、歪んだ笑い顔。
クラスメートたちの視線…
「卒業まであと何年…」という夢。
もう、どれくらいうなされて目覚めたことか分からない。

あれから随分経つけれども、未だに登下校中の中学生や高校生、通りすがりの陽キャっぽい集団が苦手だ。

あの頃は本当につらかった
人生のたった始まりの部分で、自分の人生を嘆いてしまうぐらいには。




最後に、実のところ を云うと。

この地元の中学校は、自分たちが入学する数年前ぐらいに
" いじめによる自殺者 "がでていて
全国ニュースでも取り上げられたくらい大事(おおごと)になっていた。

当時、" いじめ "が社会問題として世の中に広がり始めた時代。

その頃の自分はまだ小学生だったし、まさか自分がこれから巻き込まれるとは 微塵も思っていなかった。

家族や親戚など大人たちの間で、いじめによる事件が噂話しとして町に広まっていても、それとなく情報が耳に入っていても、当時の自分は、まるっきり「他人事」のような…
その事件のことは正直、その時点では 気にもとめていなかったように思う。

だけど…

自分が中学校に入学して、いろいろな出来事があって、学校生活の集団のなかでの理不尽さをたくさん経験して…
自分が その経験をしてみないと決して分からないことが、世の中や社会のなかには たくさんあるのだということを
自身の経験を通して、はじめて 思い知ったのだと思う。


大人になって振り返っても
あの頃の自分は、心底
人間という生き物が嫌いだった と思う

学校という閉塞的な空間も
いじめっ子たちも
見て見ぬふりをする周囲も
面倒事を避けて 見過ごす教師たちも
自分に関心を持つことなどなかった、両親にも。

そして、そんな 弱い自分自身さえも…


日常生活で中学校のアルバムを見返すことはほぼないけれども、記憶を整理して書き出すために当時の写真を見返してみると
どの写真の自分も、目に見えて
感情を失っているのが分かって、つらい気持ちになった
ただの記憶なのに、いまでもアルバムを開くときは、動悸がする。。


自分のなかの、圧倒的な負の感情。

かなりのウェイトを占めている「思春期」の出来事。
自身を語るうえで最初によぎるもの
それはやっぱり、つらい『暗黒時代』なのだと思う。

読んでくれた人がもし居たら
長文なのに ここまで読んでくれて、本当にありがとう。



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