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中学の暗黒時代。(1年生編)

小学校の頃は、男女問わず好きなアニメやゲームの話しで純粋に盛り上がれていて、自然と仲良しの輪が広がり、気がついたらいつの間にかみんな友達になっているものだった。

休み時間、ノートに得意だったイラストを書いていると、それに気がついたクラスメートや友達が集まってきては、「上手だね!」「自分のノートにも書いて!」と言って貰えたことが、とても嬉しかった。

担任の先生も自分の才能を褒めてくれていて、自分が「将来は漫画家になりたい」と言うと、「じゃあ、なったらサイン頂戴ね」と、さわやかに微笑んでくれた。
女性の先生では珍しく、熱血で、厳しいところもあったけど、子供たちの可能性を優しく見守ってくれていたのかな…と、お世話になった当時の事を思い返しては、胸が熱くなる。

クラスのなかではイラストを書くのが得意だったから、学級新聞や卒業文集のイラスト枠も任され、とても嬉しかったというか
なんだか誇らしかった思い出。
同じようにアニメやゲームやイラストが好きな友達と夢中になって描いていた。
とにかくそれが楽しくて。

そんな、楽しい時間を過ごした小学校を卒業し、中学校に入学してからというもの。
以前のような理解のある環境は、ガラッ…と一変した。



地元の中学には、町内の小学校から引き続き進学した馴染みの生徒たちと、他所の地域からそれぞれ入学してきた見知らぬ生徒たちが殆ど半々くらいの割合だった。

中学に入学したての頃。
真新しい学校や教室に、期待を抱いていた。
楽しい日々が待っているものだと、そう思っていた。

だが…
とあるひとりの男子生徒に「粘着」されはじめたときから
中学の長い『暗黒時代』は始まった。

席順と出席番号の前がその生徒で、何気ない会話から仲良くなったはずだったが、いつの頃からかその生徒の態度は豹変し、自分に対しての圧力や要求が次第に強くなっていった。

「休み時間は他の友達と遊ぶな!」
「俺と遊ばないといじめるぞ!」
…と物凄い剣幕だった。

自分は、クラスにも他の教室にも友達がいたが、いつからか いじめっ子に陰湿な粘着をされ始めてからは、休み時間は殆ど、そのいじめっ子の遊び相手をしなければいけなかった。

他の友達と遊んでいると、睨みをきかせて詰め寄り、手をつねられたり、背中を思い切り叩かれたりした。
まるで意味が分からなかったし、人の悪意に触れたのも恐らくはじめてのことだった。
ただ、悲しかったこと、戸惑いを隠せず怖かったこと、いじめられている事を親にも先生にも打ち明けられなかったことが、とてもつらかった。

「苛めている事を親や先生に話したら、もっと酷い目に遭わせてやるぞ」と、階段裏で脅されたりもした。

その男子生徒は、その我が儘さや自分勝手な振る舞いから、クラスメート達からも距離を置かれ、嫌われていた。

席替えで自分が気に入ったグループに入れないことが分かると、「こんな離れた席は嫌だ」と言って泣き出し、先生やクラスメートを困らせ、無理矢理ほかの生徒と席を取り替えて貰ったりもしていた。
意見が通り席に着くと、いじめっ子は満面の笑みを浮かべる。
その様子にクラスメートたちは困惑の表情を隠せなかった。

いま思えば、『孤立』するのが怖かったのだろうと思う。
ひとりにならないように、休み時間は自分を無理矢理 傍に居させて、クラスから孤立する恐怖を拭いたかったのかも知れない。

休み時間。

ほかの友達と一緒に校庭へ遊びに行きたかったのに、いじめっ子に思い切り背中を叩かれ 足止めをされてしまった
執拗な苛めと悪意に耐え切れず…
自分が泣いていると いじめっ子は、
「先生やまわりにバレるから、泣くのをやめろ」と脅しを利かせるのだった
そして、周囲の様子を伺うと、ばつが悪そうに そそくさと何処かへ遊びに行ってしまったのだった。

教室でその様子を見ていた数人のクラスメートが口々に、「おれもあいつ嫌い」「あいつの言うことなんて気にすることないよ!」と共感して励まし続けてくれたことが、その当時の自分には どれほど心強かったことか…

一学年の半分を過ぎたあたりからは、さすがにいい加減飽きたのか、そのいじめっ子も他のクラスメートとつるむようになり、自分に対する執着が自然となくなっていったことで、自分はなんとか学校に通い続けることができた。
相変わらず、目が合ったときなんかは睨みを利かせてこちらを威圧してきてはいたが。

あのままずっと毎日毎日 執拗な執着をされていたら、おそらく 学校に通うことを諦めていたかも知れない。



この中学では必ず部活に入らなければいけない決まりがあった。本当のところを言えば、部活などやりたくもなかった。

大して運動も出来なかった自分は、運動量のいちばん少なそうな卓球部へ、友人たちと一緒に入部した。

だが、その選択も今思えば浅はかだった。
卓球部の先輩たちは、職員や顧問が見ていないところで後輩たちにカツアゲじみたことをしたり、パシりにしたり、機嫌が悪いと気に入らない後輩たちに暴力を振るったり…
横暴の限りを尽くしていたのだった。

担任も部活の顧問も、優しすぎる先生や、酷く事務的な態度の先生、保育園児に優しく諭すような口調の 気の弱い先生など
まるで頼りない大人たちしかおらず…
 自分たちはその事を誰にも相談出来ずにいた。
チクったら放課後の帰り道で先輩たちが待ち受けていて、「その後の仕打ち」があることを分かっていたから
結局…  誰も 何もできないでいた。

そんな先輩たちの横暴さを見、「断固として部活には行かない派閥」と「我慢してでも行く派閥」と、部内の同級生の間でも、変な対立が起こってしまっていた。

暴力を受けてでも我慢して、地道に部活を頑張ろうという同級生たちの気持ち、当時は理解出来なかったが、今なら理解出来る。
それでも、気弱だったり、理不尽な振る舞いに納得出来なかった自分たちのようなグループは、そこから逃げる以外に自分の身を守る方法が思いつかなかった。


ある日の休み時間。

同じ部活の同級生3人組に行く手を阻まれ
「なんで部活に来ないんだ」とまくし立てられた。
水飲み場。運悪く、その場には自分だけ。
大人しいから多分 言いがかりをつけ易かったのだと思う。

休み時間だったが、あまりにしつこく付き纏ってくるので、いい加減 相手の挑発に頭にきて、そのうちひとりの腹を、『膝』で力いっぱいどついてやった。
人に対して、はからずも暴力を振るってしまったのは、これがはじめての事だった。。

「どうして自分だけ責められるのか」
「どうしてこんな目に遭わなければならないんだ… 」と
怒りと同時に悲しみが押し寄せてきて、涙を流しながら夢中で取っ組み合いをした
相手は驚いた様子だったが、掴み合ったまま、お互いにそれから黙り込んでしまった。

そのうち、クラスにひとりはいるような、頭も良くてスポーツも出来て、リーダーシップもあるような利発そうな同級生の子が仲裁に入ってくれたことで、騒ぎは収まった。
なんとも言えない後味の悪さを、未だに覚えている。
それからは、「我慢してでも部活に行く派閥」の子たちから、何かを言われることはなくなった。



その頃の自分は、生きる気力のようなものが枯渇していたように思う
毎日のように「恫喝」されたり、部活で先輩から「暴力」を受けたり「派閥争い」に巻き込まれたりと散々で…  目に見えて学力が下がるくらいには、学校生活に心底 嫌気がさしていた
先生が配った宿題のチラシも、回答することが出来ずに提出し、赤点ばかりだったことを思い出す
まるで上の空で 授業にも身が入らなかったし、そもそもの精神状態が 勉強どころではなかったのだと思う。

そんな毎日を送る自分自身のことも、
"大嫌い" だった。

いつも「自分が悪いんだ…」と 自分自身を責めていたし
「早く自分の人生が終わればいい」と、いつも思っていた。

そんなこんなで、中学校最初の一年間は、酷く憂鬱で暗い毎日だったことを覚えている。


後半へ続く …。

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