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CDは“良い趣味”か

久しぶりに暇ができたので、私の趣味についてのんびり考え事をしてみる。

中学生のときにスピッツというバンドに出会った。その熱はまだ醒めることを知らない。少ない小遣いで中古のCDを買い漁った。ファンになってから初めて体験した“アルバムの発売日”にはお小遣いを全放出して限定版を手に入れた。忘れられない思い出である。スピッツをきっかけにさまざまなバンドを聴くようになった私の部屋の本棚には、今もずらりとCDが並んでいる。

私のCDを見た友人に「良い趣味だね」と声をかけられたことがある。並んでいるアーティストを見てそう言ったのかと思えば、“CDを持っていること”が良い趣味だということらしい。私は衝撃を受けた。私の中でCDは音楽を聴く手段であって、収集するものではなかったからだ。確かに、近年はサブスクリプションによって、リリースされた曲はその日のうちに聴くことができるし、持ち歩くことも容易である。CDをあえて買う意味は無いのかもしれない。私はなぜCDを買うのだろうか。

CDを買う意味を歌詞カードやジャケットのデザイン性に求める人もいるかもしれないが、私の場合はそれには当てはまらない。だとしたら、私にとってもCDは“良い趣味”であったはずである。私は、手段としてのCDが好きなのだ。中学生時代は中身を視聴できないままにCDを買い、最初から最後まで(たとえそのときは気に入らない曲があろうとも)通して聴いた。なけなしの小遣いで買ったわけだから、一度聴くだけではもったいない。何度も、擦り切れるほど聴いた。そうしてアルバムを噛み砕いて消化した後には、オンリーワンの“好き”が残っていた。この曲のこの歌詞が好き。このベースの音が好き。アルバムの曲の並びが好き。この時代に培った感性は今でも私の心の支えになっていると思う。

サブスクリプションでは、アルバムのある曲を抜き出して聴くことができる。(これはCDでもできることではあるが、今ほど気軽な機能では無かっただろう。)ましてや、好きな歌詞の部分から聴くことすらできてしまう。そのような聴き方が培う“好き”は、CDから得られるものとは似て非なるものだ。CDを買わずとも、ぜひ、アルバムをCDとして聴いてみて欲しい。普段よく聴くあの曲も、アルバム全体の大きな流れの中の一曲として聴いてみることで、また新たな一面を見せるかもしれない。

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