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失われそうな伝統を守りたい

お盆は実家に帰省をした。コロナ禍もあり、お盆を実家でのんびり過ごすのは数年ぶりとなった。

私の実家は、田舎と形容するのもおこがましいほどの山奥にある。人口も少なく、だからこそ、村の人々は私を温かく迎えてくれる。どこに行っても、誰に会っても、おかえり!と声をかけられる。自慢の故郷である。

今年は、3年ぶりに盆踊りが開催された。久しぶりの開催とあって、私もとても楽しみにしていた。私の村の盆踊りは、同じ市内でも街中の盆踊りとは全く異なる。はるか昔、そこら辺の村々を集めて市に合併したためで、ルーツは隣の市にあるようだ。

ふるまわれたお酒や料理をひとしきり食べ終えると、いよいよ盆踊りが始まる。「音頭取り」と呼ばれる人の歌声に合わせて太鼓を叩き、その周りをぐるぐると踊る。太鼓を並べていざ始めようというとき、問題が発生した。盆踊りの要である音頭取りがいないのである。

私の村では、音頭取りはお年寄りの男性の役目となっていた。ここ数年の間に、私の祖父を含め、音頭取りができるお年寄りが亡くなったり体調を崩したりして、お祭りに参加していなかったのだ。後を継ぐはずの中年世代は誰も音頭取りに名乗りをあげない。どうしたものか。

困った私はスマホを手に取った。Google先生の出番である。ダメ元で『(地域名) 盆踊り 歌詞』で検索をかける。すると、なんと私の村についての論文があるではないか!

その論文では、村社会の中でのお祭りの機能などをまとめており、住民へのヒアリングをもとにした盆踊りの歌詞が載っていた。なんと素晴らしい資料だろうか。よし、これなら…!

困り果てた村人からカラオケ用のマイクを受け取ると、今は亡き祖父の歌声を思い出しながら歌詞を歌う。すると、太鼓が鳴り始め、盆踊りが始まった!次第に踊りの輪が大きくなり、無事に盆踊りが開催できた。論文の著者とそれを見つけた私を存分に褒めて欲しい。

とても小さな村だからこそこのような「担い手不足」がわかりやすく起こったわけだが、これは全国の様々な地域で起きている問題だと思う。人知れず失われた伝統もあるのではないか。

「担い手」の復活を期待して、失われそうな伝統をどこかに記録しておきたいものだ。幸い、我々はインターネットに誰でも簡単に記録を残せる時代に生きている。ふとしたときに地域の行事を動画に残すだけでも、意味があるのではないか。そんなことを考えた帰省だった。

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