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逃げる

こんにちは。
昨年くらいから巷で死ぬほど流行っている「BeReal」っていうSNS。
割とマジで今までのSNSとは異質なもののような感じがする。
最初にその存在を耳にしたときは、「そんなに長続きはしないんだろうな〜」とは思っていた。Clubhouseみたいな感じですぐ廃れるってね。
しかし、現状では筆者の想像を上回る生存力を見せている。
何故、BeRealがすぐ廃れると思っていたかというと、「そもそもSNSはリアルを載せる場ではない」っていう筆者の勝手な思想。言い換えれば、「BeRealはいずれ"本物のリアル"を載せる場ではなくなるから、インスタとかの他のSNSと大して変わらなくなる」っていう見立てでもあった。過去にClubhouseが廃れた要因は、声だけ聞こえるSNSに大した需要がなかったこと。これと同じで、写真を載せるSNSにリアルを映し出す需要なんて無いんだろうなと思っていた。

そんな筆者の想像をよそに、BeRealはものすごい勢いで広がりを見せ、インスタグラムと並び立ってSNSとしての確固たる地位を築き上げた。

実際、身の回りでBeRealやっている人の熱量はすごい。特に女の子は、身内の命でも握られてんのかってくらい命賭けてる。
例えば先日、大晦日から元日にかけて数人でドライブしたときに、年越しの瞬間をとある神社で迎えた。例年通り、15秒前あたりからカウントダウンの大音声があちらこちらから聞こえてきて、年越しの瞬間は境内いっぱいの歓声に包まれた。

そしたら

それと時を同じくしてBeRealの通知が来たんだな、これが。

さっきのカウントダウンと入れ替わるように、今度は「BeReal来た!!」って声があちらこちらから聞こえてきて。筆者が「わァ……..ぁ…….」ってなるぐらい、あっちこっちから聞こえてきた、ほんとに。
ちょっと嫌だった。

新年早々ちいかわになる筆者

まあ、こんなことがあったので、「BeRealって何者なのか」っていうことを考えたんですよ。「リアルをあげるもの」という認識はあるけど、BeRealにあげるものが何でもいいってわけじゃないし。一方で、BeRealにはあげてインスタにはあげない物がある。ならば、BeRealは何を映しているのか。
多分、その答えは「今まで人に見せたかった日常」だと思う。
近年は、インスタに投稿する内容がインフレした感がある。インスタにはこういうものをあげるよね、とか、逆にこれはインスタにあげるものじゃないよね、みたいな暗黙の了解というか、大げさに言えばドレスコードのようなものが定まってしまった。さらに、インスタは気軽に誰とでも交換できるSNSになった反面、あまりに多くの人間に投稿が見られてしまうっていうリスクも伴うものになった。その上、インスタには有名人の投稿を見たり、友人とDMをしたり、リールなどのコンテンツを消費するっていう使い道も生まれた。
だから、日常をアップロードするプラットホームというよりも、どっちかというと、コンテンツを消費したり、近しい人とつながったり、投稿者の為人をざっくりとアルバムみたいに表現する媒体に変化した。
でも、それまでのインスタは本来"映える日常"をあげる媒体として機能していたから、ユーザーの心に生まれた「日常を人に見せたい」という欲求は残ったまま。インスタが生み出してしまった、そんな隙を埋めるのがBeRealだった。

ただ、元日の神社の有り様に対して筆者が一縷の恐怖を感じたように、こういったSNSにも何かしら問題点はあるはず。現時点では、それをうまく言語化できないけど、SNSと生活が近づくことってあんまいいことばかりじゃないような気がするんだよなぁ〜。それは、単にこれまでのインスタ映えで指摘された問題点とはまた別次元のもの。写真を撮るための行き過ぎた迷惑行為とか、食べ物の無駄とか、そういうことじゃないんですよ、多分。

話が飛躍しちゃうけど、筆者はメタバースがあまり好みではないです。理由は、「常に誰かといる空間が嫌すぎるから」。メタバースのイメージ映像を見ると、デジタルな空間の中に沢山のアバターが集まって、本当の街みたいになっているシーンとかあると思うんですけど、あれが本当に嫌。メタバースという空間でいる時には、常に誰かとつながっている状況に置かれる。言ってしまえば、ずっとSNSをやっているような状態。そうやって、常に誰かのことを見て、常に誰かから自分を見られて、常に自分のリアルを晒し続ける環境に、筆者は到底耐えられない。もって2日です。
ここに、筆者が感じる危機感みたいなものがある気がする。現実的には、事務的な用事とかビジネスとして使わなければならない場面もあるけど、SNSって本来は、愛すべき日常に出くわしたときの"スキ"を共有してみたり、誰かに伝えたい"嬉しい"を表現する場だったような気がする。その本質を忘れて、ただ日常を垂れ流しにして、自分のリアルを晒すのは怖いし、しんどいな。

あくまで、"本当の自分"は、誰からも見られないところに、一人ぼっちのところに、出来れば日の当たらない風通しの良いところに置いておきたいのです。

なので、私はリアルから逃げたい。
いや、本当に私が逃げたいのは、リアルな私。

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