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サーベツエース

近頃『差別だ!』とすぐ言う人が目立つ。もちろん悪い意味で。

世の中には右利きの人と左利きの人がいます。世界はどうも右利き寄りにモノが作られてて、左利きの人がいちいちスムーズじゃない。

身近なとこでパッと思いつくものなら『スープバーのお玉』とか、『手のある急須』とか。

左利きの人の多くは、そんな右利き世界に慣れたか、矯正して両利きになったかしたりして、世の中を左利き用に作り直して多数の右利きの人たちが使いにくい世界になるよりはマシであると理解してくれているので『左利き差別だ!』なんて言ってる人を知らない。どこかにいるかも知れないけど。

例えば駅の改札を左利きの人に配慮して左利き用レーンを1~2列採用し、そこに左利きの人が並ぶよりも、ユニバーサルデザインにしてどっちもどっちでも使えるようにすればいいだけの話である。

ということなんです。基本的には。

つまり『左利きの人の社会を作れ!』という事ではないってことです。そして『左利きを優遇しろ!』ってことではない。『左利きに謝罪しろ!』って、どうしてそうなるの?って話。

文系と理系、男脳と女脳、都会と田舎、単なる事実であって、差別でも優劣でも無い。

運動の得意な人も不得意な人もいる。その上で『体育』という教科の評価をすれば『出来た』『出来なかった』は当たり前だし、それでいいし、そのままを採点とすれば『優』『良』『可』とか『A』『B』『C』なり『1』『2』『3』なり何なり分類することは出来る。

しかし、決して差別するために優劣を付けて生徒を区分したり、生徒間での差別を助長したりしているワケじゃない。

単純に教科なので、本人の将来の為に『その結果どうだったか』を評さないといけないし、『得意である』ことを少しでも高く評価してもらうため適切に分類しているに過ぎない。

『不公平だ』

そうです。不公平ですね。体格も違うし、センスも違う。国体出るくらいのレベルと運動音痴とじゃレベチですもん。でもそういうもんだし、それがそのまま現実だし。

体力、知力、運、全てにおいて『差』はある。いや、逆にみんな同じになんてなるハズがない。

何から何まで得意なヤツもいれば、何から何までからきしダメなヤツもいる。裁縫が得意だったり、調理が得意だったり、歌が得意だったり、ダンスが得意だったり、男にも女にもトランスジェンダーにもいる。

誰からもなぜか愛されるヤツも、なぜか嫌われるヤツもいる。椅子をそのままで帰るヤツも、窓をちゃんと閉めて帰るヤツもいる。

『差別だー!』と堂々と訴えるヤツも、そう思っても何も言えないヤツもいる。『差別じゃねーわ』って言えるヤツもいる。それを理路整然と分析してるヤツもいる。知らんぷりしてスマホでゲームしてるヤツもいる。

完璧な世界だと思う。

集中力も、学習意欲も、全てにおいて『個人差』がある。生まれた国、住んでる町、家庭環境、スタートラインから違うし、持ってる武器も違う。性別もジョブも違うけどパーティとして協力して強大な敵と戦わないといけない。

それが国じゃないすかね?

最初はみんな『こん棒と布の服にポーション一個』でスタートする。公平です。敵を倒してって経験値積んでレベル上げて装備整えてってステージの中ボスに勝たないと次のステージに行けない。

このところ『左利きの人が使いやすい文具』であったり、『左利きの人が使いやすい調理器具』とかもちろんあるけど、これは『左利きに対する不公平を解消するため』じゃなくて、単に会社が『商機』と見て商品開発をした結果です。

それを左利きの人が『これよ!これ!』って買って使ってるだけ。

詳細で優秀な『地図アプリ』を開発したところで、女脳の人には地図そのものが読めない。多言語対応の『高機能翻訳アプリ』を駆使しても言ってる意味が解らないなら話が通じない。

理系の人の解説は文系の人には理解できないし、文系の人の解釈では理系の人は納得できない。理系同士なら皆まで言わずとも理解できるし、文系同士なら察することが出来る。

差別なく平等に皆が皆、一から十まで自分でやらなきゃいけない世界は効率が悪い。コストばかりかかって成果も出ない。

出来る人がやって、わかる人が理解し、出来ない人とわからん人はとりあえず任せておけばいい。それぞれが自分で出来ることをして、得意なことをやる。

出来ないクセに抱え込んでみたり、わからんクセにわかったふりしてる方が損失は大きい。

差別でも何でもない。効率の問題だと思うけどね?

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