見出し画像

魔法の靴⑲頼りない目撃者を発見しました!

その夜、半身浴から上がると、拓也からLINEが届いていた。希美のことかと焦ったが、意外な内容だった。希美抜きで香奈恵に会いたいという。翌日の夜、品川駅の駅ナカのカフェで、待ち合わせることになった。

拓也はすでにカフェについており、先に気づいて手を振ってくれた。その大きな体の横に、比較すると子供みたいな細い影があった。うつむいた頭は黒髪の七三分けで、メガネをかけている。

思い出した。頼りなく薄い体は、小倉少年ではないか。前回会ったのは、横浜駅の地下街で、拓也と希美と一緒だった。

席に着くと、拓也が穏やかに笑った。

「呼び出して悪かったね。この小倉くんが、なんだか、香奈恵ちゃんに、大事な話があるんだって」

「はあ」と、香奈恵は気が抜けた返事をした。

話があるというくせに、小倉は全く口を開かない。なんだか、耳がどんどん赤くなっている。

「……ご」

蚊の鳴くような響きがどこから出たか、香奈恵は一瞬、わからなかった。きょろきょろしていると、また聞こえた。

「ご……ご……ごめんなさい」

それは、小倉少年の口から出た声だった。

「へ?」と、香奈恵。

「ごめんなさいっ!」

小倉は勢いよく頭を下げ、盛大な音を立ててテーブル板に額を打ちつけた。店内が一瞬、静まった。

「ちょっと、大丈夫?」 香奈恵と拓也が一斉に声を上げる。

二人にかまわず、小倉は続けた。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい」

「いやいや……って、あたしに言ってるの? ごめんなさいって、何が?」 香奈恵は苛立ってきた。

小倉少年は一瞬、顔をあげたが、香奈恵と目が合うと、ひるんでまた下を向いた。

「僕が……僕なんです。あの空気銃を撃ったのは」

「え?」 また、香奈恵と拓也の声がそろう。

「空気銃を香奈恵ちゃんに撃ったのか? 危ないじゃすまないぞ。人に向けるなんて言語道断だ」。拓也の厳しい声を久々に聴いた。

香奈恵が事態を把握するのに、しばらく時間がかかった。

「あの時、湘ガ浜の松林で……いや、当たらなかったけど、転んで捻挫したけどね。ええと、たまたま、あたしに弾が向いちゃったんだよね? 本当は何を撃ってたの? 鳥かなんか?」

「いえ……香奈恵さんを待ち伏せて脅そうと思って」

「は?」 香奈恵と拓也の息は、またもぴったりだ。

「あたしを狙ったってこと?」

小倉はおずおずと頷いた。拓也が激しく息をのむ。香奈恵の頭は混乱した。

「は? 何でよ? ていうか、あたしがあんなところに行くなんて、よくわかったね?」

「いや、来ないかもしれないけど、来たらいいなあと。もしかして、来てくれたらいいなあと」

「意味が分からない。ちゃんと説明しろよ」と、拓也がテーブルを叩き、小倉は10センチは椅子から飛び上がった。力なくうなだれて、ようやく話し始めた。

あの日、香奈恵が一人で、湘ガ浜の浜辺から国道をまたぐ歩道橋を渡って来るところを、小倉は見かけた。香奈恵が駅に向かわず脇道に入っていったので、もしかしたらまた後で浜辺に来るかもしれないと考え、急いで空気銃を持ち出して松林に隠れたのだという。

「来ないなら来ないでいいけど、来たらいいなあ、と思って……そうしたら本当に、香奈恵さんは、またやって来ました。岡野先輩を追って。で、松林の奥にいた僕を岡野先輩と見間違えたらしく、近寄ってきて……試しに撃ってみたら……いや、当てるつもりはなかったんです……ホントです」

「ええと、どうして、あたしを脅そうとしたのよ?」

小倉の体が縮んだ。何度か生唾を飲み込んで、ようやく声を発した。

「香奈恵さんが、10年前の慎太くんの事故を、調べているからです。やめて欲しかったんです。警告したわけなんです」

香奈恵の声が震える。「もしかして、10年前に慎太くんを誘い出したの、君なの?」

「違いますっ」。小倉の反応は鋭く早かった。しかし、また口ごもる。

「ええと、ですね。僕が、慎太に、新月の夜を教えたことを……追求してほしくないっていうか、言い触らしてほしくないっていうか、忘れてほしいっていうか」

「もしかして、新月の夜に慎太くんが家を抜け出すのを知っていながら黙っていたと思われたくないから?」と、香奈恵の考えのピントがいきなり合った。

「そう、その通りです。ビンゴ」

「そんなことで、君は、香奈恵ちゃんを撃ったのかい?」

拓也の声が大きくなる。大きな体を傾けてこられ、小倉はさらに縮こまった。

「だけじゃ、なくて」

小倉の声は、か細くて、きゅうきゅう息が漏れる音が混じった。

「あの晩。10年前の新月の夜。慎太が海で死んだ夜。僕、浜辺にいたんです」

「ええっ!」 香奈恵は大声をあげそうになって、慌てて口を両手で押さえた。拓也も凍っている。

「断じて、慎太を誘い出したわけじゃありません」。小倉は目をこぼれ落ちそうに見開いて、顔の前でぶるぶる両手を振りまわした。「ただ、いただけです。翌日が中学のブラスバンド部の県大会だったもんで、緊張して眠れなくて。浜辺で星でも見たら眠くなるかなと思って、ちょっと座ってたんです。そうしたら、慎太がやって来たんです」

「一人で?」 拓也が鋭く質問を挟む。

小倉は、かっくんと頷いた。「一人でした」

「一人だったの? 本当に?」と、香奈恵。

「一人です。ほかに誰もいませんでした」。小倉は怯えた目つきでこくこく頷いた。ごくっと生唾を飲んで、また口を開く。

「それで……僕、慎太が沖の方へ歩いて行くのを見ました」

「……え?」 香奈恵は深く首をかしげた。「わかんない。慎太くんは、自分で海に入って行ったってこと?」

「違います」と、小倉はふるふる首を振る。「海に入ったわけじゃ、ありません。あの晩は、新月でした。新月の夜は、大潮の引き潮で、海がとても遠くなるんです。普段は海に隠れて見えない岩の底が出てきて、沖に歩いて行けるんです。慎太は、沖合に顔を出した岩の固まりを真っ直ぐめがけて、歩いて行きました。いつもは海の中に沈んでいる岩の固まりです」

「大潮の引き潮って」。拓也が息を飲んだ。「やばいだろ。君、浜育ちなんだから、大潮の海の満ち引きがどんなに危険か、知ってたよね? 慎太を止めなかったのかい?」と、きつく咎める口調になる。

小倉はうなだれた。「声はかけました。ただ、正直言いますと、子供みたいには見えたけど、暗くて慎太だとはわからなくて、とりあえず人間の子供に見えたんで『どこ行くの? 危ないよ』と、言うだけ言ったんです」

「そしたら?」 香奈恵は自然に前のめりになった。

「小さい影は、浜辺の岩場のところで、いったん動かなくなりました。返事もなくて。僕は翌日の県大会がまた気になって、落ち着こうと空を見上げました。そうしたら、小さな影が、また動き出して、真っ直ぐ沖に進んで行くのが見えたんです……と、思ったんですが、ぶっちゃけ、何かの見間違いだろうと、その場ではスルーしちゃいました」

小倉は、乾いた笑いをもらした。香奈恵も拓也も笑わない。小倉の眉がまた、しょんぼり八の字になった。

「眠くなったので、僕は家に帰りました。まだ潮は引いてたと思います。自分が見たものが何だったのか、僕が知ったのは、翌日、慎太が死んだと聞かされたときです……ああ、あれは慎太だったのか、と」

小倉は盛大に鼻をすすった。両目の縁からぼろぼろ大粒の涙がこぼれている。揺れる声が大きくなった。

「僕が、慎太だと気付けばよかったんです。引きとめて連れ帰っていれば、慎太は死ななかったんです。なのに、はっきり見えなくて、スルーしちゃって。新月の夜はいつか聞かれて教えたことも、すっかり忘れてました。岡野先輩に問い詰められたとき、本当に怖かった。僕が新月の夜を教えて、僕が浜辺で止めなかったことがばれたら、先輩に殺されると思って」

香奈恵は、ある光景を思い浮かべた。

小倉に空気銃で撃たれる直前に見た光景。あれは、まさに引き潮の海だったのだ。海岸線が遠くに引いて、顔を出した海底の平たい岩が、まるで道のように見えた。その先にあった小さな岩の固まり。一瞬、ウミガメとカニとイカが集まって座っているように見えた。

慎太が目指したのは、あの岩だったのだろうか?

湘ガ浜で小倉に撃たれたときに見た夢がよみがえった。

月がない暗い夜。満天の星空。黒く広がる湘ガ浜の沖合の海の底から、海の神様が波を分けて上ってくる。ウミガメやカニやイカに姿を変えて。神様たちは海面に顔を出す。のっそりと、ざわざわと。そして集まって、人間の夢をかなえるかどうか話し合う。

ウミガメの丸い甲羅、カニのごつごつした四角形、イカの細長い三角形……あの岩の固まりに姿を変えて。

慎太は、神様に、会いに行ったのだ。

絵本の神様が集まる場所が、あの岩場の沖合なのだと、慎太に誰かが教えたとしたら? 新月の夜、神様が、湘ガ浜の岩場の沖に集まるのだと、五歳の慎太に信じ込ませた人物がいたとしたら?

ふと気づくと、黙り込んだ香奈恵を、拓也と小倉少年が心配そうに見つめていた。

改札口に向かう拓也と別れ、香奈恵はホームに向かう広場を小倉と歩いた。

「ねえ、小倉くん。慎太くんは、新月の夜に海の神様に会いに行きたがっていたと言っていたよね。神様が集まる場所はどこか、慎太くん、話していた?」

「……あんまりよく覚えてないけど、聞いたような気も、しないでもないです」

間が空いて、香奈恵は我慢できなくなった。

「それ、松林の遊歩道の出口から右の方に行ったところにある、大きな岩場の沖……つまり、新月の夜に慎太くんが沖に歩いて行った先の、大潮の引き潮のときだけ出てくる小さな岩の固まりのあたり?」

「どうしてそれをっ」。香奈恵を見た小倉の顔がゆがんだ。

「やっぱりそうか。海の神様の話、慎太くんは、絵本を読んでもらって夢中になったんだよね? 小倉くんには、誰に読んでもらったかも話したの?」

小倉の唇が白くなった。

「聞いたのね。覚えてるんでしょ。慎太くんに、あの神様の話をしたのは、誰なの?」

「……いま、思い出しました」。小倉がかすれた声を出した。

(続く)

===========================
1回目から読みたい方はこちらから↓↓

#創作大賞2023


この記事が参加している募集

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?