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デザインとは。 アートとは。 そして、人間とは・・・「佐藤可士和展 (国立新美術館)」

(「新・美の巨人たち」テレビ東京放映<2020.10.24> 主な解説より引用)

ユニクロ(UNIQLO)、楽天(RAKUTEN)、セブン・イレブン(SEVEN-ELEVEN)、Tポイントカードなどの企業ロゴをデザインした人は、すべて一人のクリエイティブディレクター佐藤可士和氏 (以下「可士和氏」) の手によるものである。可士和氏は2000年に独立し、デザイン事務所「SAMURAI」を立ち上げた。そして、2006年ユニクロのブランディング戦略の中で、ロゴデザインの秘密をあかす。

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 ずばり、「コンセプトが大事である」と。
 統一カラーのレッド(赤)は、世界に打って出る中では、「日本」をイメージできる。カタカナ「ユニクロ」は、ユニクロの活動の本質をつかんでいる。国境を超えたグローバル企業の「バイリンガルロゴ」として、英語表記も加えている。
 「怖い絵シリーズ」の文学者・中野京子氏は、ユニクロのロゴについて、「第一印象はなんだかすごい変なロゴ」であったが、見慣れていくうちに、「すごい吸引力を感じてきた」と語る。
 
 可士和氏のデザイン創作の原点は、マルセル・デュシャン(1887―1968年)の「泉」。とにかくビックリしたという。この作品「泉」は、現代美術史などの学びでも、メルクマール的にも、アートとはなにか?を大胆に投げかけた作品。絵なんて描かなくてもいい?それまでの常識を打ち破った、男性用の小便器に疑似署名した作品(展示品)である。

 可士和氏は、繰り返し強調した。「概念・コンセプトというのは、ものの考え方であり、今まで見てきた世界が、ある日突然パッっと全部変わってしまう。いまの仕事の中でも、一番大事にしているのが「コンセプト」である」と。
 「整理こそデザイン」という可士和氏の事務所を訪ねると、ミュージアムかと見間違うほどのクリアな空間。ご本人曰く、寿司屋のカウンターであると。
 整然と置かれた椅子の間隔は、毎回測って配置しているという。単に「綺麗好き」というレベルも超えるほどのみごとな空間がそこにあった。彼は、「美とはなんだ」を考えることは、「人間とはなんだ」を考えることであると語る。


 佐賀県・有田町は、400年の伝統が続く、有田焼、伊万里焼で世界的にも有名な町であったが、焼き物の将来に行き詰まりを感じていた。
 そこで、可士和氏に「考え抜かれたコンセプト」のもとに発信できる物をもとめた。「世界でひとつしかない物を創る」として、挑戦の末に生れた「新たな有田焼作品」のひとつが、「DISSMILARシリーズ」である。
 呉須(ごす)と呼ばれるブルーの顔料で、「荒々しさ」を、アクセントの金箔で「品のある静寂」を表現し、このふたつを作品の中に「同居」させた。この作品は、2006年にフランス・パリで開催された「メゾン・エ・オブジェ」に出品され、「ARITA」のブランドとともに、大好評を博した。ARITA焼き物フロムジャパンの売れ行き急成長、有田焼物の復活にも寄与した。

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 さらに、作品「FLOW」は、自分で描いたドローイング作品であり、絵筆から絵の具が滴り落ちたり、筆の力で飛び散ったりして描いた。
 可士和氏は、「自然の力は人間より大きいので、コントロールできないが、見えない自然の力を必死にコントロールしてみたい」と語った。
 コンセプトは、「制御できない自然の力を制御する」。そして、「FLOW」とともに並べて描かれたのが、ステンレスの組み合わせで創られた「LINES」である。「直線」は自然界には存在しない。その「存在しない完璧な直線」を追求した。

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新国立美術館では、来年2021年2月に同氏の作品を取り上げた「佐藤可士和展」が開催される予定である。

 この展示会を企画し準備する、同館企画室長の宮島綾子氏は、「ご自分でも新しい挑戦をしていて、社会的に見ても新しいクリエイティブを提示している。美術館としても、新しい視点を紹介していくというのが、ミッションのひとつでもある」と語った。

 可士和氏は、番組の最後にこう結んだ。「アートとデザインというように分けたくなるが、【クリエーション】という意味では同じなのではないか。アスリートがもっと早く走れないかと思うように、ちょっとでも今よりすごいものをつくれないかと、いつも考えながら走り挑戦している」と。


(番組を視聴しての私の感想綴り)


 「コンセプト」とわれわれは簡単に口にするが、作者の真剣なまでのまなざしと、エネルギーと、試行錯誤の繰り返し、失敗につぐ失敗があるのだろうと。番組では、失敗のシーンは見せなかったが、その裏にある並大抵ではない努力に私の想いがいたった。
 番組では、佐藤可士和氏を、職業をデザイナーでもアーティストでもない、「クリエイティブ・ディレクター」として紹介されていた。また、ご本人もそれを自認していることだろう。
 私は、今回の番組を視聴してさまざまな想いを巡らせることになった。そのすべてを書き尽くすことはできないが、以下の3点(①~③)に「整理」してみた。


①「ロゴデザイン」の力、そこでの企業間競争力が、ブランディングの優劣
 に即直結してしまう時代と空気感を感じとった点。


 ロゴデザイン恐るべしである。と同時に、「シンプルイズベスト」は、決してコンピュータープログラムだけの話ではないということ。例えば、Appleパソコンのスタイリングな形状とユーザーの感性的な満足度が、それを物語っているかと。

 失敗と再挑戦の果てに行き着くのが、「シンプルでわかりやすく、クライアントにもご満足いただけ、さらには売上などの実績数値をもって成果の裏付けを勝ちとっている、オンリーワンの素敵なロゴデザイン」なのかもしれない。


② 伝統の継承とともに、新たな伝統を築く努力を垣間見た点。


 じっと立ち止まり静観しているだけの伝統は伝統ではない。時代の変化を見据えつつ、「変えてはならない伝統」とともに、あえて次なる世代へ受け継ぐ際の、「脱皮する新たな伝統」へ挑戦してこそ、真の伝統、老舗の力の原動力たりうるのかと考えた。これは、有田焼と有田町に限らない。すべての「伝統」にまつわる者たちへの問いかけではないかと。

③ アートとはなにか。デザインとはなにか。人間とはなにか。それらをつなぐ時代への問いかけ、世界への問いかけ、未来への問いかけに想いをいたしつつ、日々「全集中」で生きているかという点。


以下は参考までに。
 
「芸術」(art)には、一般的には以下の5つのカテゴリーがある。
美術(造形芸術)
文芸(言語造形)
音楽(音響造形)
演劇・映画(総合芸術)
デザイン(応用芸術)


アートとデザインは違うのか。どう違うのか。どう同じなのか。
全く別のものではないだろう。
 カテゴリー(部分集合と全体集合)でもわかるように、アートの一部にデザインがあるとは言えても、デザインの一部にアートがあるとは言えない。集合でいうと、重なる部分と重ならない部分があるようにも思う。デザイナーから出発して、アーティストとしての職を目指す人もいるように、アーティストから出発してデザイナーとして職を求める人もいる。
 仮にいま、アート=芸術 デザイン=商業芸術とする。一般的には、今現在の簡単な答えはこれだろうか。


 アート=芸術はその存在のためにする創作。価値は副産物で、主たる目的はなんらかの表現をすること。表現すること、それ自体が目的であっていい。
 現実はつねにアートとデザインの境界も、混沌としてきているのだろうか。これは音楽や演劇などでも同様かと。
 商業芸術として生み出されたのちに、純粋芸術に昇華することなどいくらでもあり、遡って評価されることもよくある。このことは、アートかビジネスかは、創る側がどう想っているかでしか、評価できないものかもしれない。

 とはいえ、デザインにアートを取り込んだり、アートからの影響を受けたデザイン的技法も、現実には多くはクロスオーバーしている。

 キュービズムのピカソは、アーティストかデザイナーか。ポップアートの巨匠 アンディ・ウォーホルには、アートとデザインの境界線は存在しないのか。


アート のカテゴリー→ 自己実現のための表現/問題提起 / 主観的アプローチ/問い/ファンをつくる / 表現と創造 曖昧さが許される / Whatを見出す力


対して

           
デザインのカテゴリー→ 意匠・設計・図案/問題解決客観的アプローチ/答え仕事をつくる/いたってロジカル/Howを考案する力


 今回の番組は、ロゴデザインからはじまった。

 私のこのマイブログのタイトルも、「美的なるものを求めて」としてスタートし、かれこれ6年間の年月が経とうとしている。私が書いてきた感想綴りとしてとりあげた作品も、約150作品にのぼる。

 今回のテーマは、自分の問題意識に照らしても、とても身近なものに感じられた。かなり長文になってしまったことは、その証左である。

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