平田節子

しばらくの間は2019年秋に発覚した乳がんのことと、その時に感じたこと、考えたことを中…

平田節子

しばらくの間は2019年秋に発覚した乳がんのことと、その時に感じたこと、考えたことを中心に書いていきます。

最近の記事

手術から1年たって変わったこと 〜過去の大量の名刺を捨てました〜

今までも思い立って服を大量に捨てる、などのことをしてきた。 昨年のGWはわたしの服と子どもの服などもあわせて大きなゴミ袋で8袋分、 大量に捨てた。 そんな私にいま「断捨離ブーム」が訪れている。 やましたひでこさんの「断捨離」の音声を購入して、通勤で聴きながら断捨離。 自分にとって今必要なもの、大切なことを大切にするための断捨離。 心配や不安や過去への執着に気づき、断ち切っていく。・・・スタートはコロナ禍もあって、家を片付けたいってことだったんですけどね。 断捨離はちゃんと学

    • 手術から1年たって〜人生観は病気では変わらなかった〜

      2020年10月 10月は乳がん月間だそうだ。さまざまな報道が流れ、イベントが実施されている。 昨年10月21日に乳がんの手術をしたが、その時にはそんなニュースは目に入らなかった。それだけ自分のことに精一杯だったのだろうと思う。 さて、手術から1年が過ぎた。 私の右胸の乳がんサブタイプは、再発リスクが高いのは3年。 また左側は再発リスクは高くないが、10年経った後に再発することもあるという。 きっと今後ずっと乳がん月間になるたびに「あれから○年」と数えることになるのだろう

      • 病気のときも健康でした〜ポジティヴヘルスを考える〜

        抗がん剤治療中にこんなことを思った。 「あぁ、ほんとに健康で良かった。 健康じゃなかったら、この治療は耐えられなかったかもなぁ」 乳がんという病気をしながら、健康だと言い張るわたしをおかしいと思うかもしれないが、本当にそうなのだ。 乳がん自体は痛くも、苦しくもない。身体の中の細胞が変異してがんになって、このまま放っておくと本当に「健康」を損ねるので小さいうちに叩いておきましょう、というのが「治療」だと理解している。 がんは発覚するずいぶん前に身体の中にできはじめているらしい

        • 死より怖いもの 〜死ぬならがんで死にたいと思っていた私が、がんになって〜

          病気発覚から、ひとつずつ選択が始まる。 乳腺クリニックで見つかっただけに、どこの病院で治療をするのか。 手術はいつするのか? どんな手術をするのか? (乳がんの手術は乳房温存手術(部分摘出)、乳房切除手術(全摘出)、全摘の場合に再建するのかしないのか、それを同時にするのか二次再建にするのか、 そのほか手術しない凍結療法などなど) セカンドオピニオン行くのか?どこに行くのか?いつ行くのか? 手術後の抗がん剤治療はするのか? どんな抗がん剤治療にするのか?・・・ 病気がわかった

        手術から1年たって変わったこと 〜過去の大量の名刺を捨てました〜

        • 手術から1年たって〜人生観は病気では変わらなかった〜

        • 病気のときも健康でした〜ポジティヴヘルスを考える〜

        • 死より怖いもの 〜死ぬならがんで死にたいと思っていた私が、がんになって〜

          がんになったのは自分のせい?〜わたし治療に専念しません〜

          2019年10月20日 がんになっていろいろなブログやそこからリンクされた健康食品や代替療法など 関連する文章を目にするようになった。 本人の体験談としてまことしやなに飛び交っているのは、この言葉。 「自分でなったがんだから、自分で治す」 自分でなったがんだから、私は自分で努力して治してきたわ、治しているわ、というわけよ。そのために健康食品や栄養療法、代替療法をいろいろ調べて使ってきた、と。遠巻きに「あなたも医者に委ねるのではなく自分で治せ」と言っている。 自分でなっ

          がんになったのは自分のせい?〜わたし治療に専念しません〜

          無くしたことを忘れるのではなく、慣れていく。〜子宮とおっぱいを無くしてから〜

          両側乳房全摘手術のあと、私は「喪失」ということを時折、考えるようになった。 47歳の時の子宮筋腫手術による子宮の喪失は、快適だった。 抗がん剤の使用で髪の喪失は少しはショックだったが、ある意味想定通りのできごとであり、すぐに慣れてウィッグなど楽しめるようになった。親しい友達や家族であれば坊主姿を見せることもできた。 ただ胸の傷はまだ見せられない。夫は見ているが、子どもにも見せられない。おっぱいがなくなることは頭で理解していたが、胸に残った傷痕を私自身が「痛々しい」と思っており

          無くしたことを忘れるのではなく、慣れていく。〜子宮とおっぱいを無くしてから〜

          イメージなんて幻想ならば、変えていける〜子宮とおっぱいを無くして考えたこと〜

          47歳の時に子宮筋腫の手術で、子宮を全摘した。 子宮筋腫は20代からあったが、生理のたびに出血がひどくなっていき、その頃には数値だけ見ると輸血が必要なほど貧血がひどくなった。 筋腫だけとるという方法もあった。 「この年齢で筋腫だけとっても、またすぐに筋腫は出てきますからね。筋腫がある人は閉経も遅いので、また筋腫が大きくなっていきますよ。子宮をとっても卵巣はそのままなので女性ホルモンが急激に崩れることはありません」と医師からは全摘をすすめられていたが、抵抗があった。・・・なんだ

          イメージなんて幻想ならば、変えていける〜子宮とおっぱいを無くして考えたこと〜

          進撃の巨人〜乳がん手術後はじめてのお風呂〜

          2019年10月26日 乳がん手術をすると、胸にたまった浸出液などを排出するために胸に管(ドレーン)がついたままになる。ドレーンを通して出てくる排出液は最初は真っ赤だが少しずつ量も減り、色も黄色っぽくなってくる。 月曜日に手術して、金曜日にドレーンを抜いた。そして土曜日に初めてシャワーを浴びた。 両方の胸元には大きな傷痕。手術の次の日から毎日3回は「ちょっと傷見せてくださいね」って、看護師さんが胸帯を開いてガーゼをとって見るものだから、私も頭をちょっと下げて何度も眺めて

          進撃の巨人〜乳がん手術後はじめてのお風呂〜

          幸せなおっぱい 〜乳がん手術の日〜

          2019年10月21日(月)7時 本当ならば朝食の時間だが、今日は手術の日。朝から1日絶食となる。夜、下剤を飲んでいたが7時になっても出ない。 「出なかったら、浣腸しますから」とは昨日の夜から聞いていたが。 「浣腸しますから横向いて寝てくださいね。お尻だしますよ〜」 「はい、終わりました〜。3分〜5分我慢してくださいね」と看護師さんは帰っていく。3分〜5分ね。・・・いやいや、もうこれ限界。30秒くらいでもう限界。 トイレ間にあわんかったらどうするの?そうだ、ちょっとトイレまで

          幸せなおっぱい 〜乳がん手術の日〜

          口をついて出た言葉は「なるほど」だった

          乳がんは世界的にも罹患する女性が多いため、 研究も進み、治療方法も比較的確立している。 最初はマンモグラフィで診断し、乳がん疑いがあると細胞診断が行われ、 がんが確定するとそれから2週間ほどかけて「サブタイプ」を調べる。 マンモグラフィの撮影をしたその日に「9割がんです」と言われ、 その2週間後にがんが確定しても、私は「がーん」とはならなかった。 (知人に、「子宮頚がんの転移でステージ4です」と言われて「がーん」と   言ったのに医師も看護師も笑わなかった、と憤慨している猛

          口をついて出た言葉は「なるほど」だった

          ありふれた一日

          「おやすみなさい。今日も楽しかったねぇ」 布団に入った時に、口について出た。 今日、乳がんが確定した。 10日前、生検をする時に「9割の確率でがんでしょう」と言われていたわけだから、いわば答え合わせをするような受診だったわけだが、一応夫にも同席してもらった。 このあと組織について詳しく調べてもらって結果がわかるのが2週間後、その結果を持って総合病院へ。そこで治療の方針やスケジュールなどが決まるという。 今日が9月5日。 10月、11月、仕事の予定はどんどん入っていくけれど

          ありふれた一日

          台風がくる前日のような

          (2019年9月4日の夜、  明日はがんの生体検査の結果を聞きに行く、という夜に書いた文章です) 子どもの頃、台風がくる前日、ちょっとだけワクワクしませんでしたか? いえいえ、大人はそんな不謹慎なことを言ってはいけません。 大きな被害が出るかもしれないし、人の命がかかっているわけですから。 でもね内緒の話ですが、私は55歳になった今でも、ほんのちょっと 台風が来る前はワクワクするんです。あ〜、言っちゃったよ。 怖いよりも、好奇心が勝っちゃう感じ。 そして、明日2019年

          台風がくる前日のような

          5月満月の日、お釈迦様は生まれ、死んだ。

          「死に対する気持ちを口にしてみるワークショップ」を終えて。 講演会やワークショップを終えた後、いつも「これで良かったのかしら」と不安になる。みなさんの大切な時間をいただいているわけで。きっと何らかの期待を持って、みなさんそこにいるわけで。 どうだった?あなたにとって良い時間だった?なにかひとつでも、あっ!と思ったことがあった?と全員に聞いて回りたくなる。 今回のワークショップは誰に依頼されたわけでもない。 「みんなで「死」について語りあいたい」 と言ったら、本間正人さん

          5月満月の日、お釈迦様は生まれ、死んだ。