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小説④/4000字で何ができる?

おはようございます!今日は小説を書いていきます。こんな始まり方をするものがあるかとも思えますが、なんでも良いのが僕のやり方なんでやってきます。それにしてもピエール・バイヤールの読んでいない本について堂々と語る方法、衝撃的、ゴーン。6時半ごろには執筆を始める体制ができていたが、少しだけ昨晩夢中になって読んだ本を読んでから書き始めることにした。一度妹がベッドの上で食べたままそのままにしてある食器をシンクに下げてから同じ場所に戻ってきて、さてどうするか、もう少し読み進めても、せめて流し読みした本の章くらいは読み切っても良いのではないかと悩んだが、というか少しの間体の動きが止まったが、まあ書くか、と書き始めた。その本からは個々のテクストに埋没しすぎることなく、適当な距離感を保って本と付き合うことがかえって、本の示す観念、作者の特質、真の意味に向き合うことになるのではないか、とは言え全く読まないのも難しいしそれを読むこと自体非意味的な楽しさを伴うもの、つまり自分自身の享楽的こだわりにつながっていてほとんどどうしようもないということもありえるし、だから要するに意識して距離を保ちながら、適当にテクストと向き合え、そんな示唆を僕は感じ取って、現に今、200ページのうち50ページしか読んでいない本を貫くメッセージ性、そんな狭い括りではないか、自然にこもってしまう深い示唆と創作者の個性、これを確かに受け取ったつもりで書いている。それすなわち、自分が書くために読む、技術的に読む、僕はあまり好きな言葉ではないが構造を読み解くことでもあるまいか。意図せずして作品に埋没してしまうような、またそこに本当の面白さを見出すようにできていない人間、享楽的こだわりの重心がここではないどこかにあるような本の読めない人間、それでも無性に本へと向かってしまう、自分とは無縁なものではないと「勘違い」する人間、そういう奴らが持つ、書き手としての適正。もしかしたら、の話しかしていないが、こうして僕が話す時、こんな口調がしっくりくるなと思う一方で、それが勘違いだとは思っていない。すでに成立した理論だと肌で感じて、あえて文字にしている。わざわざ文字にしなくてはならない。言葉にならないイメージを「言語化」しているのではない。言語化それ自体が重要だとは思わない。文字に起こしておくこと、残しておくこと、しかし頭には残っていないかもしれない。その一連に重要性を感じる。説明されなければわからないようなことは説明されてもわからない。

言語化という表現が腑に落ちないのは、体で感じたことを、なんとなくで、しかし継続的にある種のセオリーとして取り組んでいることを言語ではないとしているところだ。言語だろ、それ。強いて言えば文字化じゃないのか。文字ではなかったんだから今まで。コンテクスト、文脈という言葉が必要以上に幅を利かせている割にテクスト、文章、字面を超えて敷き詰められた個別の何か、これを身体的な動作と全く別のものとするのが当然とされているのはなぜか。僕が日記やら小説、今日は小説だがここで使っているテクストという言葉は、造語に近い。村上春樹の職業としての小説家で使っていた言葉で、勝手にこういうもんだと、出典でどう使われていたかすらあまり気にせずに、いやその場その場の使われ方を特別視せずに、というだけかもしれない、適当だがでもこういうことだろと確信を持って使っている。書き手が裏で意図するなにかとか、こめられたメッセージとか、どんな人間に読んでほしいとか、そういった包装をざっくりひっぺがしたらでてくるもの、浮き上がってくる色や匂い、イメージでもない、そんな視覚的な、二次的なものではなくもっと原理的なものであって、読み手が勝手にそういうこととして受け取る示唆でもある、これを僕はテクストと呼んでいる。

今日の小説はここまで!いや小説なのか?今はそこまで気にならないのでおいておくとして、とにかく4000字の中で小説の部分とそれ以外があるというのもやってみたくなったので、妹を駅まで送り届ける車の中で、やってみます。なるほどいいね、4000字の中でなにができるか。45秒で何ができるみたいな。なにができるかというか何が生まれるかというか、一応端から端まで小説として書いていた時でさえ、初めから何を書こうと決めて書き始めたことはなくて、しまいにはそうしなければならないのかも、という観念の萌芽が見え始めた瞬間に、つまり昨日だが、小説を書くのを中断してしまった。それと今日の中断とは毛色も経路も違って、今日はもっとやりたいことがあったから、途中で終わらせてみたい、終わらせようというノリを発想して試してみるための中断、昨日のはまずい、ノリに飲み込まれる、いったん逃げよう、という、ノリに属さない場所を探しての中断。実際にそんな場所があり得るのかはわからないので、探しているうちに自己否定のループにはまっちゃかなわんということで、あそこから逃げたい自分が今心地よいと思えるノリを探してみる。これも仮固定。深淵に向かうのではない、少なくとも今はその時ではない。そして深淵というのは、気が向いたらちょっと覗いてみるのでも良いのかもしれないというのが今日のアイディア。僕にとってそれをのぞく行為そのものであり、これを文字に起こして記録することを、小説を書くことと仮に読んでみているのかもしれない。読んでみているだけ、ではない。他もある。僕が書いているのだから、いかに僕より賢そうで、現に長く生きている人がいたとして、あの人が言っていることが全て、これに尽きる、とはならない。なるはずがない。お前を差し置いてそれがすべてなわけがないだろう。そしてそれに気づくために先人のアラを探す必要はない。必要はないというだけで別につなぎとしてはやってもいい。それが自分の文章を滞りなく前に進めるためなのであれば、ということはまたここに一種の必要性が産み落とされているわけだが。というか元々あったのかもしれないが。

昼間でも総武線は混んでいる。なんでなんだ、快速はまだわかるが各駅にもこんなに需要があるのか。みんなどこへ行くんだ、学校なのか?思っていたより暖かい中ぶ厚めのベストを着たままで、なかなか体を捻ってトレーナー1枚になるのもしのびないようなスペースの無さだったので、ちょうど躁鬱大学も読み返していたところだったし、というか居心地が悪いなと思ったらすぐに立ち去りましょう、資質に合わない努力はやめましょう、というか努力はやめましょう、あなたは何かの世界最高です、無駄なことは治療に役立つのでどんどんやりましょう、ちゃんと、きちんとやってはいけません、と言われていたらここでも実践したい意欲がふつふつと湧いてきて、船橋では降りられませんでしたが次の市川で降りることができました。ここまでくれば各駅停車に乗り換えてもほんのちょっとの差だろうと乗換案内アプリを開くと、予定していた通りの到着時刻に着けそうでした。Yahoo!乗換案内が乗り換えにかかる時間をずいぶん長めに見積もっていることをいつも通り忘れていたようで、市川で乗り換えようが予定通り新小岩で乗り換えようが、到着時刻は一緒だったようでした。あるいは一本早く着けたのかもしれませんが、これで充分。

再び交換ノートの運営に迷っている。交換ノートとはなにか、というのは毎日散々書いているので省略するが、まあざっくり言うと大学時代に先輩のノリを引き継いで紙媒体で何度か試みたもののことごとく頓挫、年に数回会うだけでは到底辿りつくことがないくらいパンチの弱い思い出になりかけていたところを、気が向いたから2ヶ月前くらいにLINEのグループノート機能を使って復刻させたというものだ。書く順番の巡り方としては、以前書いた人が次書く人を指名する方法をとっていたところ、この周から1週間で10人分納めてみたいという私欲でシフト制に移行したところである。とりあえず水曜日を最後にして木曜スタートした1週めが終わるのだが、投稿できたのは僕含め4人だった。そして元々はこの日までに書いてるもんで完成としてくれ!と無理やり文末をぶった斬るような要求でのペースアップ、およびクオリティダウンによる活気の上昇、個人的なバグの発露を期待してみたのだが、まだ巡りが悪い感じがする。考えてみよう。

だめだ、今からじっくりものを考える気にはならんティスだよ。ならんティスだよ、と頭に浮かんだのでそのまま書いている。実際のところ書き出すまでが、もといそのために姿勢を正すことが面倒くさくて、さらにもう飯も風呂も済ませて残るは洗濯物を干すだけという場面、1日で最も眠くなる時間の一つである。すべてを済ませたあとよりも数段眠い。ちなみに今は書いているから眠くない。眠気が剥がれている、もとの眠気はどんどん剥がれ落ちて、その行く先なんかいちいち確認しないが再びここに戻ってくることはない。少なくともそうは見えない。新しいかさぶたがまた表面にできていくだけだ。そのたびきっかけが必要になる。これは意識ではどうにもならない部分、すべてがそうというわけではないが、そうであることは多い。風呂に入っている時は残りの数百字何を書こう、タイトルはまず小説④、とスラッシュを挟んで、どちらの向きでもスラッシュと呼んでいいんだっけ、ダメな気がするが今使いたいのはスラッシュでいいのだろう、そのあとには4000字で何ができる?を引っ張ってきたい。セリフがそのままタイトルになるタイプ。タイトルを決めるときはだいたい一度ざっと流し見てポッと浮かんだキーワードをそのまま使うか、それが出てこないときは目を凝らして象徴的な一文を探す。終盤に書いたものを使うことが多い。今日書いたものは結局こうなった、ここに辿り着いた、というのをタイトルにするのがなんとなく誠実な気がするから。今日はそのどちらでもない、サンプルの少ないパターン3、つけたいタイトルが書いている途中、あるいは合間に別の作業をしているとき、これも広義の「書いている途中」と言えそうでもあるし、わざわざ広く意味を取らなくてもそう受け取ることもできそうだが、思いついてから少し間をおくとあれ、これでいいのかなと疑わしく思うこともあるが、そのままつけてしまう。しっくりこなくても。交換ノートのアイディア出しはまた明日かな。それじゃあ、タイトルをつけて今日も提出。

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