ぐうぜん口が立つだけの子供

おはようございます!うおー!ABEMAでワウスポの解約忘れてた!2000円で収まればいいんだが!辛い!!それはそれとして、今週というか先週末の遊び代は2200ほど余った。これはワウスポとその気になれば打ち消し合わせることができるってことにしてもいいし、昨日のイベントを受けて読みたくなった親子の手帖を買うのに充ててもいい。その際は本代、今月でいえば2万円から差し引けばよい。本代を週末の遊び代から差し引く場合、このワウスポ解約忘れはふわふわさせとくのがいいのか、もうこれもある種の勉強であり本とみなして、なによりふわふわさせとくのは心臓に悪いので事前に設定した予算のどこかでついでに払えるよ、と僕に声をかけるのがよいのだろうか。僕の好みとしては、うーん、後者かな。ワウスポを本代から差し引くというのはさすがにやりすぎな気もするが、というかまあ浮いた分と打ち消して考えつつ、本は本で、いくら使ったかは把握しておくのがいいのかな。いまは確か、月初めにみた映画も合わせて3700円、あれもうちょいなんか買わなかったっけ。

おつかれ!全然書いてないじゃん!午前であがりでこれから津田沼丸善。千葉の大型書店ならここに限るぜ。こんど南船橋のジュンク堂にも行ってみたいね。

親子の手帖を買いに行く。昨日の話を聴いて、これは副読本として必須だと思った。ヨコク研究所の作った本もすごい情報量で、そういう読み切りようがないような本は僕の大好物なので、でもちょっとサポート役がほしいというか、水先案内人として全然この資料を参照していないはずが内容がリンクしてしまっていそうなこの本を買うことにした。なにより、昨日鳥羽さんが自分の口で親子の手帖という本にも書きましたけど、と言っていた箇所があったのが決め手となった。というか、鳥羽さんの本を買いたい読みたいとは思いつつ、無料公開で読めるものも多くて、かつどれもヘビー級なので二の足を踏みまくっていたところに、突如これを買うといいよ!って強烈なアドバイスが現れた。だからほぼゼロヒャク。ほかの誰に言われたわけでもない、鳥羽さんの言葉が販促のためだったとは思わない、しかしそういうことではないわけでもない、という僕にとって望ましいニュアンスを抽出して、僕はこれを買うことになった。

丸善の3階からエスカレーターを降りながら、俺はどう、鳥羽さんの著作を読みたがっているのだろうと考えた。親としてではない、親からみた子ではない、未来を見据えてそれを読んでいるのではなく、やはり過去に救いを見出そうとしている。あまり覚えていない僕を観察してみたいと思っている。そのとき、やはり右も左もわからない子供のことをハッキリとした声色で表現してくれる鳥羽さんの言葉が支えになる。苦しいというか、手がかりが不確かすぎて不安だが、昔の自分をクリアに見つめるというのはやはり可能なのだ。それを確かめたくて、僕は鳥羽さんの本を、かなり婉曲的な動機かもしれないが、今月無性に読みたがっているのではないか。とすれば俺はまだどうありたかろうが思春期まっただなかの、むしろようやく入りたての子どもで、いつそこを抜けるかなんてどうでもよくて、ひたすらに頬を撫でる風が痛い、過ぎゆく時間が怖い、たまたま文章を書くのが好きで、というかそんなに苦にはならなくて、どっちがだからなのか分からないが言葉の扱い方に詳しく(あろうとせずにはいられなく)て、だから、けっこう口が立つ。それだけの、子どもである。

昼寝した。気がついたら父が帰ってきて夕飯の支度をしていた。外はまだ明るい、青空がひろがっめいることに違和感はなかったけれど、僕が歩いているときはあんなものはなかった。これから雨が降ってくるに違いない、早めに帰って来れて俺は幸運だったと思ったのだ。足が冷たいが、まだ風呂に入らなくていい。昨日は帰ってきてすぐ足を洗ったが、今日は臭くないので洗わない。臭いが、臭すぎないのでいい。臭すぎるときは鼻をそちら側に近づけることもなく、あらいどきだと直感するのだ。レミちゃんちで飯を食うときはローテーブルに座布団だから、単に足が近いからってだけかもしれない。

おやときどきこども、じゃない、そちらにするか悩んで親子の手帖と、ついでに本に出会ってしまった。を買った。今日の丸善での立ち回りはかなり滋養に富んでいた、前回ジュンク堂をすみずみまで、体力の尽きるまでみようとして何が欲しいんだかわからなくなってしまったことの反省を活かすことができた。まず、新刊コーナーに足をとられすぎず、チラ見程度にして、雑誌も気になるけれども、まあ直前にTwitterで目に飛び込んできたポパイの最新号の坂口さんの原稿のタイトルが気になるからそれはみて、車はともだち、ってテーマで、まさにいま俺が読みたいことが詰まっていることがわかったので日曜日にでも買おうと思ったが、それもまあそこそこにして、買いにきた本をまず見る。現代文学コーナーで、もちろん坂口恭平の棚をまずみるが、それもそこそこ、というか僕が発光を買ったせいか、彼の本が少なかった、2冊しかなかった、そういえばそのうちの一冊は発光だった気がする。その隣の建設現場が、2冊のうちの片割れとしては攻めすぎていて、前も見たことがあったのかもしれないが、そんなことよりも興奮したのだった。みすず書房なんだけどツルツルなんだよな。わからんけど、デフォルトがツルツルじゃなかったはず。長い読書は絶対サラサラだもんな。

というわけで、ジュンク堂の在庫検索機では鳥羽さんの本が実用書のところに置いてありがちだったことを思い出し、とりあえずはそちらに向かってみる。が、ピンポイントで置いてありそうな棚はない。子育て、ってのとも違う気がするしな、というよりたぶん親子の手帖は平置きでないから、ノーヒントで探し当てるのは不可能だろうと察して、在庫検索機を探すのをメインの任務に切り替え、横目で知らない本の彩りにうつつを抜かすことにした。とにかく疲れないこと。疲れたら欲しいか欲しくないかわからなくなっちゃうからね、それはそれで、そうならないと手に入らない本もあるわけだけど、そりゃそうだし、僕は今回は、明確に親子の手帖が欲しい、正確には親子の手帖が欲しい状態のまま実際にそれを手にとって手触りをたしかめて、一対一で買うかどうか考えたかった。まず、本屋に入りたてのあの高揚感のまま、たいして欲しくもない本とはいわないが10分経ったら要らなくなっている本をもちながら、かなり俺の興味の深いところと繋がっているのではないか、って仮説がすでに立っている本と対面して、そんなに欲しくないような、でもあんなに欲しかったことは強く覚えていて、そこからはもう、これも欲しいし、上限額は、どっちも買わないという手も、なんてことを考え始めたりして、疲れる。あの切なさといったらない。それはそれで俺の糧になる散策の体験であるわけだが、今日はいいからそういうの。まじで、まじで買いたそうなの。暇つぶしで行ってんじゃないのこっちは!

てなわけでそろそろ疲れそうだと心配になったあたりで、ラッキー検索機を発見。まさしく。無駄に、タッチせずに操作を完結できる設計が施されていた。楽しかった。緑色の点が碁盤の目のように点々と、あまりに規則的に配置されていて、少し前に見た、スマホのタッチはなんで感じ取ってもらえるのか、みたいな雑学を扱うゆっくり解説だかTwitterの物知りニキみたいな人のツイートだかを見たのを思い出した。電磁気、いや、電子がどう、それが僕の指に集まってきてどう、結合して分裂して、組織の形が変わるから、なんとか。なんか重要な単語を一つも思い出せないせいで、俺のこの腑に落ちている感覚をぜんぜん書き表せないことに不満を覚えている。もっと分かってる感を余裕で出すために必要なたった2つのワードがあったはずだ。ちょっと今日は皮肉めいた書き方が多い。そういうのを面白いと思うのが今日。

検索機で、親子の手帖と打つか鳥羽和久と打つか少し考えて、鳥羽和久で打ってみる。とばか、で1択になる。早い。親子の手帖は割に早い段階で見つかったのだが、そんなことより、佐藤ねじさんのことを僕はnoteでフォローしているでしょう、彼はなんとなく、ゆきずりの感じで僕の好きな人を探しているときにフォローした方で、いまフォローしている人をざっと眺めてみると、「リア友」をのぞいて、いや僕からみたら別に誰ものぞかずに、佐藤さんだけ異質な感じ。なんか明るい。そう見える。彼を知ると同時に著作のタイトルをいくつか見て、とびきり興味を惹かれたものがあった。そのタイトルを今日、鳥羽さんの名前で検索したあとの画面で見た。「こどもの夢中を推したい」という本。

おやときどきこども、親子の手帖、こどもの夢中を推したいは3階の人文:子どものなんとかコーナーにあった。K95と書いてあったが通路沿いにある棚には明らかにKと一桁の数字しか書いておらず、どれだけこの道を進んでいけばたどり着けるのだろう、と、これは数年前、草彅剛が公園で、現在もでんぐり返しを繰り返していた場合地球上のどこまで達しているのか、を算出したアホのツイートを思い出しながら冗談めかしく思った。実際には通路に垂直に並んだ棚ではなく、その奥、壁沿いの棚で大きな数が取り扱われていた。まず、親子の手帖をさがす。ここでも先に佐藤ねじさんの本を探そうとして、思いとどまる。はじめに欲しいと思っていた本からみる。手に取る。話はそれからだ。親子の手帖をみつけて、手に取る。後に他の二つをみてから、いやこれだな、と手に取り直したときのほうが良い表紙にみえた。そのときの嬉しさはしばらく忘れないだろう。そのために今日はこうやって本を探したのだ。

最後に2階に降りてくる、本屋の入り口は2階にあるので、相当な決心がなければ先に「僕は本と出会ってしまった」をみていただろう。あれが魅力的すぎる本だと分かっていたからこそ、これを先に手に取り、3階に向かってわけがわからなくなるのを防ぎたいとハッキリ願えたのだ。最後に親子の手帖片手に、別にこれは今日買わんでいいですよ、とおまけの本を見るのに適した心のコンディションでそれと向き合い、鳥羽さんのチョイスが夏目漱石であったこと、親友の仮称がKであったこと、「キモいんだよ。」のワンフレーズに引き金を引かれ、2冊買って3500円ちょっとか、この前とおんなじくらいだな、とゆるめの最終監査を突破して、久しぶりにホクホクしながらレジに向かった。トートバッグがパンパンだったので、レジ袋をもらおうとして、それじゃエコじゃないなと思い、大きさを2種類手元で紹介してもらいながらやっぱいいです、袋、と言って、でもそのままつっこんだら本が傷ついてしまいそうだったから2冊ともブックカバーをかけてもらってしまった。それもエコじゃなかった。おばちゃん、お姉ちゃん、お姉さんにそうしてもらう手間を考えても。ブックカバーはいま、書店ごとに一枚ずつ引き出しにストックしておいて、外に持ち歩くときだけそこから気分にあった一枚を選んで使うようにしている。

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