雑なままの感覚と、留保のない敬服

おはようございます!今日は6:40スタートでいきます。昨日は書くタイミングがんなかなか作れず22時半とかまで書いていて、そのまま寝たのであんまり頭の中にストックがある感覚はないですが、こういう日は淡々とチャカチャカやっていくのが一番よさそうです。今日のお供を選んでいきます。まずドリンク(というかコーヒー枠)はブレンディのエスプレッソオレ微糖です。端的に言って間違いないやつ。朝起きて顔を洗って朝飯にトースト+αを食べ、それからコーヒーを淹れてPCを開くというのは、一応毎朝書くという日課の原型みたいなものです。至って原型に近い形で朝の時間が流れている場合は、コーヒーは本当にどっちでもいい(どうでもいいでは断じてありません)のですが、割合でいえばブレンディの方が多くを占めるかもしれません。理由はやっぱり、簡単に作れることですね。朝イチですし。中でも少しでもスムーズに書くことに取り掛かりたい朝や、家族の都合上、僕が朝なすべき家事が多く、とてもじゃないがドリッパーとフィルター、粉を適量出してという手順は手間、あるいは注ぎ時間からして億劫であるような朝。そういった時に、ワンタッチで袋をちぎって粉を入れ、ダマが消えるまでお湯を注げば、かき混ぜる必要すらないこのコーヒーは、大変に重宝します。しかも美味しい。年齢を重ねるごとに「甘ったるさ」への判定が厳しくなっている実感がありますが、僕が苦い顔をしながらじわじわと上げている走り高跳びのバーを、堂々とハサミ跳びで超えていくような味です。背面跳びのように、上品なミルクティーを感じさせる甘さというわけではなく、ベリーロールのように身体能力そのもので攻略してくるような、すなわち素材のせいで価格が高騰するわけでもなくお手頃な価格であり、かつそうきたか!というように、高跳びの定義を揺るがすような奇抜な策をとるイロモノコーヒーでは(言うまでもなく)ありません。ただ今の僕の感性に対して真顔でアジャストしてくることを繰り返すような、それでいてこの味知ってる!という安心感も兼ね備えているような。僕が幼少期に好きだった、小岩井のミルクコーヒーの延長線上に彼はいます。セオリーとは目下の状況に共鳴して100%姿形を変えてしまうものではなく、あくまで過ごしてきた時間、自らの内側に培われたものによってそのほとんどが構成されることを示唆してくれているようです。僕より30年以上多くの時間を体内に還元している父も、なんなら僕に絶えず奨励するようにこれを買い足し続けてくれているという事実も、この偉大な安心感を下支えしている気がします。だから基本的には朝イチでこのコーヒーを選びます。偶発的に、朝飯に甘いものを選ぶとき(どうしてもトーストじゃなくて前日に買って食べ損ねたどら焼きを食べたい場合とか)は、時間に余裕があれば(あるいはなくても)ドリップでブラックコーヒーを淹れますが。あ、または単純に甘いものを受け付けない空気感を朝起きて顔を洗っている最中に感じたりしますね。コーヒー選びは朝起きた段階からーーそれからどのような手順を踏んで書く作業に取り掛かるとしてもーー始まっているみたいです。日々僕が構成し、また僕を構成してくれている微糖のエスプレッソオレとブラックコーヒーのバランスは、自身の体の調子に正直に、かつ双方向的に継続して築き上げられたものですので、かなり居心地の良い塩梅になってきています。もう一つくらい選択肢が生まれると(ブラックコーヒーのブレンドが変わったり、簡易的なドリップバッグにすることは含まない気がする)、居心地の良さに刺激が加わりそうです。それはきっと僕の選択としては希少性の高い、必要性の絡まないものになるかもしれません。なぜなら今僕はここで幸せだからですね。でも、僕の生きること全般まで話を押し広げても、ある種そういう流れ、すなわち満足できる水準を丁寧にゆるく作り上げた上で、「ここから先は余暇」と言った具合でささやかに刺激を求めて動いていくのがいいのかもしれません。まあこういった大きな流れの話は、現場現場で意図できるものではないといえば全くその通りなのですが。しかし振り返って気づくしかないものだとしても、一つのストーリーは言い過ぎか、コンテクストとして自然に形作られているというのは、それだけで興味深く思います。
さてさて、確か今日は体験のストックに乏しいから淡々と傍らのことについて書こうという話だったはずですが、思わぬ広がりを見せてくれて心強かったです。もう4.5枚に達し八日というところまできています。雑記恐るべし。雑記という表現がふさわしいのか調べることもしないまま、この言葉を使い続けています。僕が主に掌編小説の章を読んで衝撃を受けた、乗代雄介の『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』ですが、後半部分には書き下ろしのエッセイ(と小説、紀行文の成分を含んだような味わいのもの)が2本収録されています。そしてこのうち、本に載っている順番でみて2本目にあたるのが『虫麻呂雑記』です。内容について深掘りするほどの準備ができていないのでしませんが、とりあえず僕はここで雑記という言葉とその概形みたいなものを知りました。もちろん「雑」部分の密度に目を向けると、触れるに及ばないのではないかという違いを感じ取ることができますが、今問題にしているのは(密度、あるいは標高や根深さからあえてピントをずらした概形としての)「雑」を、現に文章として記せているかどうかであると考えれば、まあ要件は満たしていると言ってやってほしいところではあります。かといって「雑記ブログ」みたいにシュリンクで覆ってしまうと、また別のモヤモヤが生じそうな気がするので一旦保留して、またの機会を伺うことにします。それにしても今のひと段落、書くのに使ったエネルギーに対する文量の進捗に切ないものを感じます。普段がコスパというかエナジー・パフォーマンス良すぎるだけだとも思いますが。ひとまず、この書き方は要件にかなっているのか?ある程度の礼節を欠かない作りになっているか?みたいなことを考慮して4000字仕上げるのが現状不可能に近いことはよくわかりました。また突発的にこういう書き方を試してみたいです。
元はと言えばどう書こうとしていた、という話をしていてまた鮮やかに逸れていったので戻しますが、そういえば書く作業のお供についてくれているコーヒー、その後音楽の話をしようとしていたことを思い出しました。しかし流石に8:50、時間も経ちすぎて何を聴いていたか思いません。代わりに今流れている音楽を紹介します。『Music around the World by Bob Dylan』という、ふと黄色いパッケージと、シンメトリカルな印象を受ける装画、そして青葉城西の横断幕に掲げられたスローガンみたいに総体的なタイトルだけ見ると、熱烈なファンが夜なべをして作り上げたプレイリストを思わせます。でも中身を見て、聴いたらやっぱりby ボブディランの一番新しいアルバムです。多分一番最初の位置に収められている曲は、意図せずしてシャッフル再生で聴いた事があるような気がします。ただ2023年もすでにアルバムを完成させていたとは知りませんでした。リアルタイムでアルバムがリリースのを見た事がなかったので(今回も厳密には怪しいですが)、こんなに早い時期に出ることもあるんだと率直に思いました。もしかしたら今年はもう一つくらい出したりしちゃうんでしょうか。2022年3月19日を以てデビュー60周年(!!)を迎えたみたいなので、もう音楽をアルバムとして世に出すこと丸61年ですか。とんでもない。こういう凄みとしか今の僕には形容できないような偉業、その方向性が、今の僕が最も敬服するものかもしれません。リスペクトという言葉では足りません。本当になんとなく出てきた「敬服」という言葉を英語に訳すと「admire」らしいです。ちょうどさっきコソ休憩したときにTwitterで、ペドリがこの言葉(スペイン語でそれにあたるもの、ということになりそうですが)を含んだ言葉で、イニエスタへの敬意を表していたインタビューを英訳で見ました。こういう偶然ってなんだか不思議です。面白いとは違うんですが、そのエッセンスを捉えるきっかけになりそうな感覚を覚えます。不思議と偶然の中に、面白いが潜んでいる。やや強引ですが形式的にしてみるとこんな感じか。うーん、今考え込んでも仕方がないことだけは理解できます。保留案件ってやつですかね。さっき保留と留保の意味を改めて調べたんですが、生活の中で、かつ即興的に使い分ける難易度高くないか?と思いました。
ちょっと図解六法から引用しようと思ったのですが、なんやかんや箇条書きとnoteの引用機能との噛み合わせが悪そうだったのでやめました。腹が立ちかけました。そもそも留保は専門的な文脈で使われることが多いらしいし、実際まず受動的に目にすることは少ないのですが、村上春樹が気に入っている言葉みたいなので仕方ありません。僕はその場で突き詰めて調べることは苦手ですから、こうやってどさくさ紛れで知識を習得していく必要があります。僕なりのざっくりした解釈ですが、保留は例えば僕が文章の中で「この感覚はまだ言葉にできないが、そのうちなるであろうからそのままにしておく」みたいな手法を多用しますが、それです(ざっくり)。留保については、Safariで検索して一番上に出てくる信憑性の薄そうな説明をさっと読んだとき頭に浮かんだのは「喉元で止めておく」イメージでした。すでにある程度筋道立てて答えられるし、なんなら言っちゃいたいんだけども言いませんwといったところでしょうか。ただし、いざこいつのホームグラウンドで見てみると、また違った印象を受けました。

1.国際法上は、国が、条約の特定の規定の自国への適用に当たりその法的効果を排除又は変更することを意図して、条約への署名又は条約締結の際に単独に行う声明。原則として他の当事国の同意を必要とする。条約の適用関係を複雑にすることもあり、一般には望ましくないとされるが、条約への参加を容易にするため留保を一定範囲で積極的に認めることがある。

2.権利義務の移転等に際し、一定の条件を付して効力の一部を制限し、又はその権利義務の一部を残留、保持すること。例、解約手付けによる解除権の留保。

3.公示催告手続上、権利を届け出た者があるときは、除権決定においてその届け出た権利を留保すべき旨の規定があるが(非訟一〇六③)、この留保は、除権決定の効果を制限し、届け出た権利については及ぼさないという意味である。

『有斐閣 法律用語辞典 第4版』より

僕のホームグラウンド(口を慎むべき)でもある法律用語辞典で留保の説明をみるとですね、まあよく分かりません(口を慎みます)。なんだろうな、何に違いを感じたのかまた不明瞭なんですが、保留していいですか?「あえて言わない」というニュアンスとしてはよくわからんサイトの解釈と適合していますが、村上春樹の使い方だとそれでは足りないんですよね。「もれなく、全部」という意味合いで「その愛は留保なく」みたいな言葉として使っていた記憶があります。ここもまた引用すべき箇所でしょうが、ちょっと10時からティアキンやりたい方に頭がいっていてそれどころではないので、留保します。よし、じゃあ本から探すのはちょっと大変そうだから、村上春樹 留保で調べてパッと出てきたら最後に引用をくっつけておきます。それではみなさん今日はこの辺で(ほんとに)失礼いたします。

2023年5月23日 検索かけたら「留保なく、まったく無条件で」という表現が目に入ったと思いきや『街とその不確かな壁』からだったのでそっ閉じ。でもちょうど良かったです



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