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期待とはそういうものだ

おつかれさまです!しばらく休んでまいました。青山ブックセンター行ってきた。45分悩んだ末に、俺に必要なのはこれが欲しいのか考える時間だ、と近くの手軽に寄れるカフェを探して、その足で帰ってきてしまった。ブックスキューブリック箱崎店のありがたいところはそこだと思った。手軽な価格のコーヒーで気兼ねなく、すぐまた本屋に戻れる位置で自分の言葉を書き連ねながら、欲しい欲しくない、思わされてる感、どれが直感か、考えることができる。むろん、時間をかけないことで保たれる、失われずに済む直感を頼りに選べるような本はそれでは手に入らないのかもしれないが、今の僕はこの本屋から、お金を使わずに(いったん)出て行くのがよさそうだと思った。半蔵門線から乗り換えたい、って意識が強すぎたのか九段下ではなく半蔵門で降りてしまった。やけに乗り換えの案内がないなと思ったら。

今日は16時前に家につければよし。靴はすでにびしゃびしゃだ。よほど風が強くない限りは歩いて帰ろう。今回の遠征の反省点は、いま一番読みたい本を持ってこなかったところ。しまった、読むかはわからないがいま読めたら嬉しいだろうなってポイントがこの先にいくつも思いあたる、と想像をすることがよくあった。

飯食った。九段下。さっき半蔵門で降りちゃったので最速で帰る経路は閉ざされたものとして考えて、朝レミちゃんが詰めてくれた弁当をどこで食べたものかと悩んでいたが、具体的には東西線に乗り込むここのベンチか、あるいは降りて総武線に乗り換えたさきの、西船橋のベンチか。地下鉄よりはJRのホームの方が四方吹き抜けているわけだし、食べても変じゃなさそう。ただ前提として、すぐ隣に人がいるような状況で食べるのは変。つまりベンチが四席並んでいるとして、そのうち僕を含めて三席が埋まっているような状況でごそごそお弁当を取り出すのは心苦しい。理想はもちろん4連のベンチで、僕だけがぽつんと飯を食っている状態。西船橋に持ち越すと、なんとなくだが結局それは実現しないような気がした。弁当を食うタイミングがうしろへうしろへずれ込むだけで。ならばどうせ最速では帰れないのだから、いまちょうど目の前に到着した東西線の電車をひとつ逃して、ベンチに俺だけの状態を創出してみるのはどうか。もとよりこの電車に乗ろうとすれば、もぞもぞ恥ずかしがりながら弁当箱を取り出して、迷える手つきで弁当箱を開こうとして、それでタイムリミットがくるであろうことは予想できた。そんなチープな未来予想図どおりの動きをしてやるのは癪だ、俺はさっさと昼飯を食いたいのさ。

腹にじんわり米が溶けていくのを感じる。美味い塩で作ってくれているらしい。どこの塩だか忘れてしまったから今度また見てみる。茅場町。西船橋までこれに乗って、それから総武線各駅停車に乗り換える。そういえばそこで途中下車してどこかの本屋に行ってもいい。津田沼の丸善しか思い浮かばないが。さっき手にとったのは、日常的な延命、現実脱出論、新しい距離、庭のかたちがうまれるとき、あとは最果タヒさんのコーナーが過去に類をみないほどデカくて、なんだったかな、猿が表紙のエッセイ集に目がとまった。これが本屋に入って最初に気になった。そのあと入り口すぐ近くの新刊コーナーで逡巡を重ねていると、左前にどでかい坂口恭平コーナーがあることになぜか気がつく。なんで気がついたのかわからない、なんで気がつかなかったかもわからなかった。どの本が目についたのか覚えていないが、一番上の段の、中学生のためのテストの段取り講座、幸福人フー、土になる、あたりの色合いが僕の直感に語りかけたのではないかと思う。現実宿り、家の中で迷子、があって、おそらく過去、坂口さんが青山ブックセンターのフェアに宛てて選んだ本も置いてあった。

寒、すぎる!朝、昼、夜と時を経るにつれて寒くなっていくとは聞いていた(コットン西村のTwitterから)が、さっきこんなに寒くなかったじゃん!渋谷の映画館から出たときは、このくらいなら青山ブックセンターまで歩けそうだな、と思えたじゃん!僕が欲しい本を真剣に悩んでいたあの時間は天候をも大きく変えてしまったらしい。天気も本気。世界中の皆、あの時間はガチンコで凝縮された時間を過ごしていたに違いない。そのくらい寒い。ここは座りたいぞ船橋駅。これでおいどんの最寄り駅まで一本なのだ。こうしているときにもほら、あの本が読みたい。しかし、不思議なことでもないのだが、それはさっき買えなかった本のうちのどれかではなく、家に置いてきてしまったブックスキューブリックの本。あのワクワクは色褪せない。すごいことだ、この3泊4日を経てもなお。家に帰って続きから読んでみたらこの感覚を忘れてしまうのだろう。期待とはそういうものだ。なにがどこからどう運んだって、こんなもんか、と思えてしまう。

無事座れました。靴はびしゃびしゃ、父が駅まで迎えにきてくれるとのこと。ついでにコンビニで買い物をしたいらしく、もうすでに買いたいもののリストが送られてきている。そのとき送れば、言えばいいのでは、とツッコミつつ、了解です。書き切れるかなー着くまでに。多分無理だろう、書き切る気がない。今日の筆の運びには満足している。こんな感じこんな感じ、なんだ3日はさんでも忘れていないじゃないか、でもそりゃそうか、いまの書き方ならば。じゃあどういう書き方なんだといわれると困る。それは書くのを中断する前の僕のほうがうまく説明するだろう。そして、うまく、そして説明したがるだろう。新しい距離、引きこもるには最高の本だったな。読みきれない本ってのは安心すんだよな。そういう本ばっかり買ってるとなんにも読みきれない僕に絶望したりもするんだけも、こんなに高いお金払っといて、って形の嫌気も湧いてきて。映画を観に行った。朝イチ、ひとりで、「悪は存在しない」を。

Evil does not Existって言ってたかもしれない兄ちゃんを、EXITの位置を聞いてるものだと勘違いして「階段の方がsmoothly」と1階へ下ろして俺だけ7階へ上がってきてしまった気がする

映画を観たすぐあと10分は、あらゆる音が映画だと感じた。主に雨のおと、水気を帯びた靴はドラマティックな音を出す。僕たちを追い越していく車のタイヤもそうかもしれない。濡れていたほうが音は分かりやすく綺麗だ。わかりやすい美しさとわかりづらい美しさ。わかりやすさもわかりづらさも、そう撮ろうとしすぎないように配慮しているようにみえた。わかりやすいいやらしさ、嫌だが、いい感じの車内の会話。はじめに流れる枝の重なりは、模様の変化としてみても面白いが、どこまでいっても重なりしかないその様子に釈然のしなさを感じると同時に、それが自然なのだ、雄大なだけが自然ではない、とそう言われたような気がした。悪は存在しない、となんどもタイトルを反復しながらみた。画面を見ながら、誰と目を合わせるわけでもなく、タクシーでの会話みたいに、俺と、画面に映る役者と、父と娘と、濱口監督と、話をしていた。

おつかれさまです!ようやくいつものデスクで書くことができる。絵はずいぶん休んでしまっているが、まだそんなに描きたいとは思わない。今はエネルギーに満ち溢れている気がする。来週の木曜日にも坂口さんがacademyをやりそうな気がするので予定を確保しておきたい。飛行機が一番めんどくさいが、行きは昼便で羽田から、帰りは朝か昼の便で成田へ、とれば安くすみそうだ。5月8日に鳥羽さんとKOKUYOのイベントがあるのだが、18時退勤でも最悪まあなんとかなるかな、と18時までの希望を出したら9-18時の勤務になった。まあこの日は18時まで希望を出したおかげでフルタイムで入れているのだと思うから、あとは電車を調べてみる、間に合わなそうなら1時間だけ削ってもらうか、なんならちょっと早めに上がらせて貰えばいいわけだから。まてよ、なんだ品川から横浜って結構遠いんだな。しかし具体的にまた検索をかけてみる。30分前後で品川に着く。14分発は難しいが23分なら乗れる。14に乗ろうが到着時間は変わらないのね、会場は目の前だから、相当ギリギリにはなるが58分ごろに席に着けている姿が想像できる。しかも会場は1階らしい。なんとかなりそう。Googleマップも5分で着くと言っていることだし、ここはシフトを変えてもらわなくても大丈夫。

来週の木曜日となると、その次の日に福岡、および熊本に飛ぶことになるのかー。まあこっちで1週間休めているわけだから問題はなさそう。3週目以降だったらシフトの提出もこれからだったし、確定したシフトを代わってもらう必要もなかったのだが、なんとなく3週目なんだか4週目なんだかわからないまま、どっちでも行けるように時間を絞って希望を出して、というのがしゃらくさくなってやめた。働けるところは働いてバリバリ稼ぎたい。その上でさらに俺の好きなことをしたい。ただし無理ならバックステップ、その元気もなければぐったり近くになだれこめばいい。福岡との再会が早すぎるような気もするが、academyは出たいだろ。俺はライブやサイン会に出たいのではなく、先生・坂口恭平にものづくりをおそわりたいのだ、いや今回の表題からすれば考え方、勉強の仕方、ものの売り方、「つくりかた」というよりは言葉の使い方、いやもっと原理的な、体の動かしかた、そのへんを学べる機会だと思ってとびつきたい。

シフト変わってもらうの厳しいかもー!足も冷えてきたし一発風呂入るか。今日の風呂は下向きにならなそう、ネガティブに効くかはわからないが、これからこれ以上、下向きにならなそうならば十分。3600字くらいかと思ってたら3900まできていたので復帰戦はこのへんで。おつかれさまです。

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