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集中している人の静謐さに耳を傾ける。


ある人が教えてくれた。

「本当に1人になってから、やっと分かり出す。」

本当に、その通りだった。




"できている人" って、
自分と戦い続けることができる。

当然のように、納得できないから。
どこか逃げ道作ってる、賢しい奴とはまるで違う。



やさしい人ほど、
本当に "できている人" を見ないといけない。
そもそも"できている" ってどういうことなのかも-。




私は、"できている人" と "できていない人" の
区別もついていなかった。


"できている" とは、なにも、
単に見えてる部分のことを言ってるんじゃない。
人がそう言うだろう "出来ている" について言ってるんじゃない。




"できている人"って、こう言う。


「下手くそなんで。趣味でやってただけなんで。」


長年愛用のギターを持って弾き語りする
ある人の言葉。

私はこの人の曲を聴いたことがある。

私はその言葉に、何も言えない。


その人は、とても優しい雰囲気があった。
でも、その人が歌う新曲には、とても強い、許さない思いを感じた。

何か大事なものを守る為の、厳しいまなざしを。




また、別の "できている人" は、こう言う。


「私、呑気にしてたから、世間話に気づかなかったんだ。ほら、私鈍感だから。」


毎日ひたすら、仕事も家事もせっせとやってるある人の言葉。


この人、自分のやるべきことが何か、
自分の中ではっきりしている。
そして、人のものにそう簡単に触らない。
触る重さを分かっているから。


どこが呑気なんだろう?


「...本当、鈍感。バカだよね〜。」と、
その人は話し続けていた。


私は思った。
「本当だよ、大バカ。くだらないことに気づかないんて。」



"できている人" って、うるさくないんだ。
どこまでも足らない。納得なんて、していない。

そして、自分が自然とそう追求していることにすら気づいていない。





「ひたすら籠って集中しているからね」

そう、ある "うるさい人" が教えてくれた。





私の目は腐ってた。
こんな大事なことも分からなかったなんて。

私の耳はバグってた。
何に耳を傾けてきたんだ?





本当はうるさくない人の言葉が、
うるさいと思えた時、

本当にうるさい奴の言葉が
「うるさい!」と思えた。





ちゃんと分からないといけない。
きっちり分けていかないといけない。



「比較」とは、人と自分を比べ、自分を殺すナイフにするのではなく、
あるものごとの違いを見比べ、各々について、
こっちはこうで、あっちはあぁだと、違いはこういうところなんだって、自分の中ではっきりさせていくことだ。


「比較」の使い方を間違えたり、
自分の中で何もはっきりさせないなんて、
危なすぎる。


そんなんじゃ何も守れない。
こんなにしれっとうるさい世界で。



1から、やり直しだと思った。



そして、

落ちても落ちても尚、
「やり直し」と言える強さを、
その、ある"うるさい人" に教えてもらった。

本当は地味で静かな、うるさい人に。



その人は言うから。


まだまだ落ちてないよ、足らない。
もっとここまでおいで、と。


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