予定変更の極意のさわりの部分

 それなりに歳を重ねると思い通りにいかないことなんて山ほどあることを体が覚える。などと何か達観したようなことを書いてみるが、そんな風に思えるようになったのはつい最近のように思う。
 
 思い通りにいかない、というよりも上手に予防線を張ることを無意識にやっているのかもしれない。
 期待しない、と言い換えることもできるだろうか。
 若い頃には、期待しない、という言葉はどこか諦めたような腐ったような考えに感じただろう。でもそうではないのだということにもいつしか気付けている。
 ある意味では、信じる、という言葉とリンクさせやすい事柄なだけに、期待しない姿勢というものは、未来を信じない、のように捉えてしまうと成長を止めてしまう思想だと勘違いしてしまうのかもしれない。

 期待しないということは、不確定な未来に自分の勝手な希望を押し付けない、ということである。物は言いようでがらりと印象が変わるものである。

 実はここ数日、始めたいと思うあることがあって、それについて調べていたのだけれど、どうも僕が思っていたような段取りで簡単に始められるようなものではなさそうなのである。
 もう少し若い頃は、そのような形で予定が狂うと気分が落ち込んだりする癖があったのだが、いつの間にかその時々の状況に合わせて事実を前向きに処理する能力に長けてきたように感じる。

 例えば「縁」があっただのなかっただのという非科学的なことを持ち出して、最終的に今置かれている状況に感謝できることが一番幸せなことであると、ざっくりとした気持ちの置き所を作るのである。
 非科学的なことを持ち出して、などと表現してはみたが、その非科学的なことは実は科学で説明できないこと、科学で説明したくないことを実に見事に埋め合わせてくれる。ただ、だからこそその非科学的なことを便利使いだけするというのは、これもまた僕自身の気付かぬところで所謂罰であるとか因果応報であるとか、そんな形で跳ね返ってくるかもしれないという緊張感は持っていようと心がけている。…つもりである。

 そんなわけで、ここ数日考えていた新しく始めたいことはとりあえず今のところ縁がないのかもしれないので、頭を切り替えてまた別の新しいことを焦らずにのんびり探しつつ、また今はないはずの縁がどこかで繋がるタイミングもあるのかもしれないとか思いつつ、比較的ゆっくりとした時間が流れるであろう週末に突入しよう。

 平日よりも30分ほどの夜更かしをする。固い決意。

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