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隣は推しメン 前編

東京、羽田空港第2ターミナル。
コロナが開けて国際線ターミナルとしての役割を開始した真新しい施設を喜多川〇〇は一人で大きなキャリーケースを引きながら歩みを進める。

航空保安検査は何回やっても慣れない。
悪いことはしていないのに、緊張感に苛まれる空気は心臓の鼓動を早める。

とはいえ、引っかかったことなんてないのだけど。
心配性なうえに自身がない性格に自分でも辟易とする。

コロナ明けの久しぶりの海外出張。
目的地はドイツのフランクフルト。
フライト時間約14時間の長旅である。

ボーイング787のプレミアムエコノミーシート。
普通はエコノミーだが、長旅がつかれるので自腹でクラスアップした。これくらいの贅沢してもバチは当たらないはず。

二人席の通路側。
まだ飛行機に慣れていない頃は窓側がいいとか思っていたけど、長距離フライトのときは、通路側一択である。

GW明けのタイミングだからそこまで混んでいないと思いきや、意外と混み合っている。
見渡すと席はほとんど埋まり、みんな出発前に荷物をしまったりいろいろと準備していた。

〇〇も狭い通路を通って自分の席へ向かう。
できれば隣に誰もいないといいななんて思っていたが、そんな願いはすぐに崩れ去る。

〇〇の指定席の隣には女性が一人で既に座っていた。
まだ離陸まで少しあるというのに、帽子を目深に被りアイマスクに普通のマスクを着用して、イヤホンまでつけて完全装備状態だった。

〇〇は大人しく荷物をしまって、静かにシートに腰掛ける。

椅子の揺れを感じたのか、女性はアイマスクをクイッと僅かに上にずらして確認する仕草を見せたが、すぐに元の体勢に戻っていった。

かくいう〇〇も14時間のフライトを楽しむ準備は完璧だ。

この日のために日向坂46のライブ動画やひなあいの動画をタブレットにインストールしていた。

そう、何を隠そう〇〇は生粋のおひさまなのだ。

残念ながら仕事が忙しくおまけにくじ運も悪いせいでライブや握手会は行けてはいない。しかも最近は忙しくてDVDや動画配信すらじっくり鑑賞できなかった。
この時間を有効活用してたっぷり楽しもうと考えていた。

離陸までの少しの時間、適当に時間を潰す。

しばらくして、飛行機が動き出すとあっという間に滑走態勢にはいり轟音とともに離陸した。

しばらく断続的な身体が浮かぶ感覚に耐えていると、シートベルトの着用サインが消えた。

〇〇は取り忘れた荷物をトランクルームからだしていると、隣の女性が声をかけてきた。

??「あ、すいません、荷物いいですか?」

〇〇「あ、はい」

なんだか聞き覚えのある声。
いや、まさかこんなところで知り合いに出会うわけもない。

彼女が手荷物を戻すと彼女より背の高い〇〇がトランクルームのドアをしめてあげる。

??「ありがとうございます」

彼女はそういうと自分の席に戻り、また先ほどと同じような体勢をとった。
しかし、帽子とマスクはそのままだが、アイマスクは外してスマホをイジっている。

そんな彼女を横目に、〇〇は待ちに待ったタブレットを準備した。
ワイヤレスのイヤホンを耳に装着。
最初はテンションを上げるためにライブ映像からスタートした。

推しの「こさかな」こと小坂菜緒が復活して最初のライブ映像。
もう戻ってこないんじゃないかと思って心配していたけど、前と変わらない笑顔を見せてくれてすごく嬉しかったのを今でも覚えている。

その時の感情が蘇ってきて自然と笑顔がこぼれた。

〇〇「〜〜♪」

声に出さないながらも静かにリズムに乗る。

??「………」

そんな〇〇の姿を密かに隣の席の女性が見ていることなど、〇〇は知る由もない。

ちょうど一本のライブ動画を見終えて、次の動画に行こうとしたその時だった。

??「日向坂、お好きなんですか?」

不意に隣の席の彼女が〇〇に声をかけていた。

〇〇「え、えぇ、まぁ」

声なんてかけられると思ってなかったから、思わず挙動不審な声になった。

しかし、それと同時に先ほど感じた違和感に再び襲われる。
なんだろう、どこかで聞いたことがある。
それもごく最近。

思い出せずにもやもやするが、そんなこと気に求めずに女性は続けた。

??「私も好きなんです、日向坂」

〇〇「あぁ、いいですよね」

どう話していいかわからずぶっきらぼうな返事になる。

??「どういうところがお好きなんですか?」

〇〇「え、そうですねぇ…元気をもらえるところですかね」

??「元気…ですか?」

〇〇「はい。普段仕事とかで疲れたなーと思っても彼女たちの姿を見たら癒やされて元気が出ます。ライブに行けば感動をもらえて明日からまた頑張ろうっていうエールを送ってくれた気分になります。だから、そんな彼女たちののことが大好きなんです」

〇〇の言葉をただ静かに無言で聞いていた彼女。

それに気づいて〇〇は慌てて言葉を探す。


〇〇「す、すいません、変に語ってしまって」

恥ずかしさに若干顔を赤らめる。

??「そんなことないですよ。そう言ってくれて嬉しいです」

ん?
嬉しい?
彼女の言葉に疑問が浮かんだが、彼女が言葉を続ける。

??「ちなみに、推しメンとかいますか?」

〇〇「えっと…小坂菜緒さんです」

少し恥ずかしいが、ここまで話したのだ。
それに、もう二度と会わない見ず知らずの相手なのだからと思い、〇〇は答えた。

しかし、彼女から返ってきた言葉は〇〇の予想とは全く違う反応だった。


菜緒「ふふ、ありがとうございます」


その言葉に驚いて〇〇が隣をあらためて見ると、そこには目深に被った帽子のつばを少しだけ上げながら、マスクも口元まで下げた彼女の顔があった。

それは間違いなく日向坂46の小坂菜緒だった。

〇〇は思わず名前を叫びそうになるのを咄嗟に口に手を当てて我慢する。

菜緒「驚きました?」

周りの乗客に気づかれないように小さくささやくような声で言う菜緒。

必然的に近づく距離に〇〇は内心ドキドキが増していた。

〇〇「驚くなんてレベルじゃないです。今見てたライブの中心にいた人が隣りにいるなんて心臓が止まるかと思いました」

菜緒「ふふ、隣で日向坂のライブ見てるな〜、って思って見てたんですけど、すごく楽しそうに見てるから思わず声かけちゃいました」

〇〇「嬉しいですけど、大丈夫ですか? 僕なんかと話してて。芸能記者とか誰かに見られたりしたら」

菜緒「ちょっとなら大丈夫ですよ。それに、こんなところまで記者さんも来ないですし、離陸のときにアナウンスでも言ってたじゃないですか。他のお客さんが映り込むような機内での写真撮影はお控えくださいって」

確かに菜緒の言うことはもっともだった。

それからなんやかんやで自己紹介をして、何故か握手会対応で〇〇さん呼びしてくれることになり、さらに〇〇の心拍数は上がってしまう。


菜緒「ということで、〇〇さんにひとつご相談というか、お願いがあるんですけど、いいですか?」

〇〇「ぼ、僕にできることならいいですけど、何でしょう?」


菜緒「菜緒にも動画見せてもらってもいいですか?」


〇〇「え? これをですか?」


菜緒「はい。機内でもWi-Fi使えるって言われたからYouTube見ようかと思ってたんですけど、国際線はお金かかるみたいでもったいないなーって。機内の動画も見たいのがスパイ・ファミリーしかなくて見終わってしまって…w」


〇〇「なるほどw いいですけどタブレット一つしかなくて…」

そう、持参しているタブレットは一つ。
スマホにもデータは入れていない。
これを貸すと〇〇は見れなくなってしまう。

でも、推しの頼みだしなー
なんて悩んでいると、菜緒から提示されたのはまたまた予想外の内容だった。


菜緒「ええ、なので一緒に見させてもらえれば!」


〇〇「え? 一緒に? というと??」

菜緒「イヤホン片方貸してもらえれば一緒に見れるかなって……ダメですか?」


〇〇「ええっ!? イヤホンを一緒に!?」


いわゆるカップルがイヤホンをシェアするみたいな感じを想像した〇〇は、思わず声を上げてしまう。



菜緒「しー! ええやないですか、減るもんでもないし。……それとも菜緒とイヤホンシェアするのイヤなん…?」

何度も見たことがある推しメンのぷく顔。
尊すぎる。

当然、〇〇に断るなんて選択肢があるわけもなく


〇〇「わかりました…」

そういいながらワイヤレスイヤホンの片方を彼女に差し出した。


菜緒「やった~、ありがとう〜」

嬉しそうに受け取ると、躊躇なく自身の耳に装着する菜緒。
その仕草だけでも美しい。
〇〇が見とれていると菜緒と目があった。


菜緒「どうしたん? はやく見よ!」


それから菜緒と二人で鑑賞会がはじまった。
ところどころで解説をしてくれたり、裏話を披露してくれたりと、おひさまの〇〇にとってはこのうえない贅沢な時間だった。


そんなこんなですっかり打ち解けた二人は、機内の殆どの時間を一緒に過ごした。



たとえば機内食の時間。

菜緒「あんな、菜緒海老が好きやねん」

〇〇「知ってるよ。海鮮系が好きなんでしょ?」

菜緒「さすが、推しのことよーわかってるやん」

〇〇「お褒めに預かり光栄です」

菜緒「なら、菜緒の言いたいことわかるやんな?」

〇〇「え、わかんないけど…」

菜緒「エビちょうだい〜」

菜緒はそういうと、〇〇の機内食のエビドリアにフォークを伸ばそうとするので、とっさに手で止める。

〇〇「ちょ、これエビドリア! 僕もエビ好きなの!」

菜緒「好物一緒なんや、エビ美味しいよね〜」

〇〇「そちらにも同じものがありますが?」

〇〇は菜緒の眼の前に置かれた全く同じメニューの機内食を指差す。
そして当然そこにもエビドリアが。


菜緒「たりん、2つしかはいってないやん。もっと食べたい」


まるで子どものように駄々をこねる菜緒。
しかし、その姿でさえも可愛すぎて


〇〇「…わかりましたよー、どうぞ」

〇〇はエビドリアを菜緒に差し出す。


菜緒「やったー、ありがとう!」

嬉しそうにエビをとる菜緒。ドリアと一緒に頬張りながら満足そうな笑みを浮かべる。
エビのなくなったただのドリアを食べながら、嬉しそうな菜緒をみて、思わず微笑ましくなる〇〇だった。


しばらくすると機内が薄暗くなる。
ここからはほとんどの乗客が睡眠時間に突入する。
フランクフルトとの時差は7時間。
少しでも寝ておいたほうが後々楽だ。

〇〇も仮眠を取ろうと菜緒に話しかける。

〇〇「仮眠取ろうと思うんだけど、菜緒はどうする? 動画見るならタブレットとイヤホン貸すけど」


菜緒「んー、菜緒も寝ようかな」


ということで二人とも仮眠を取るためにネックピローをつけて、アイマスクも装着する。
菜緒は喉を傷めないためにマスクもつけていた。

菜緒「じゃあ、おやすみ」

菜緒は眠りにつく前に〇〇に優しく言ってからアイマスクを下げた。


〇〇はそんな菜緒を見届けてから寝る体勢に入る。
しかし、ネックピローも普段使わないから、寝るためのベストポジションがなかなか決まらない。

ようやくこんなところかなというポジションが決まり、ウトウトしかけたときだった。
肩に優しい重さが加わったのを感じた。

アイマスクを外すと菜緒が〇〇の肩により掛かるように身体を預けていた。

〇〇「な、菜緒?」

思わず問いかける〇〇。
菜緒は起きていたようで静かに返事がかえってきた。


菜緒「なんかうまく寝れへん。ごめんやけど肩貸して」

薄闇の中でアイマスクを少しだけずらしながら上目遣いでいう菜緒。
眠気なんてどこかに吹っ飛ぶくらいのドキドキが襲うが、〇〇は平静を装って彼女に返事を返す。

〇〇「い、いいけど///」

菜緒「ふふ、ありがとう」

暗闇の中で〇〇の表情に気づいていなかったのか、菜緒は〇〇の返事を聞くとあらためて体勢を整えるように身体をくねらせてから静かになった。

やがて聞こえてくる規則正しい吐息。

〇〇は彼女を起こさないように、静かに眠りにつこうとするが、推しメンに密着されて眠れるわけもなく、未動きできないまま時間が過ぎていくのだった。



それからなんだかんだ色々あって、14時間のフライトはあっという間に過ぎていった。

結局ほぼ一睡もできなかった〇〇だが、推しメンと一緒に過ごせて嫌な疲れではなかった。

菜緒「あ、みて」

ふと窓の外をみた菜緒が〇〇の肩をたたく。

身を乗り出すように窓の外を覗くと、眼下にはドイツの街並みがはるか下の方に広がっていた。

それは、もう到着が近いことを告げていた。


菜緒「そういえば、〇〇はなんでドイツに行くん?」

〇〇「仕事で展示会があってさそれに参加するんだ。菜緒は?」

この頃には当たり前のようにお互いのことを名前で呼び合うまでになっていた。

菜緒「菜緒は日向坂の写真集の撮影。あ、内緒だよ。〇〇だけだからね」


〇〇「わかった」

他意はないなんてわかっていたけど、なんとなく嬉しくて、でもそれを気取られたくなくて、短く返事を返した。


菜緒「どれくらい滞在するの?」


〇〇「5日間。金曜日のお昼の便で帰るよ」


菜緒「そうなんや…」


それっきり、菜緒は何も言わなくなった。

向こうでも会えるかな、なんて淡い期待をいだいたけど、それは許されないことだと、〇〇は自分に言い聞かせて言葉を飲み込んだ。


そして
飛行機は無事にドイツに到着した。

一緒に移動するわけにもいかないので、〇〇は荷物を持って先に行くことにした。

〇〇「それじゃあ小坂さん、これからも頑張ってください。いつまでも応援してます。さようなら」


けじめのつもりでもとの呼び方に戻して丁寧な口調で〇〇はそういうと、精一杯の笑顔で別れを告げる。

菜緒「っ!? ちょ―」

振り向きざまに菜緒がなにか言おうとしていたけど、〇〇は振り返らずに足早に人の波に押されながら出口へと向かった。


菜緒は一人残された客席で座っていた。

マネ「菜緒、どうかしたの?」

エコノミーにいたマネージャーが荷物を持って菜緒のもとまでやってくると、下を向いている菜緒を心配して語りかける。

菜緒「ううん、なんでもない」

菜緒はゆっくりと立ち上がると荷物を持って歩いていく。


ドイツの晴れ渡る空と異国の空気が、菜緒の気持ちとは裏腹に晴れやかに出迎えた。


つづく

※この物語はフィクションです
※実在する人物などとは一切関係ございません。

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