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横浜の風に吹かれて⑨

 3年生、生理学、生化学、微生物学、衛生学、薬理学などなど、基礎医学科目の授業と実験の日々。忙しくて、結局大学の近くにアパートを借りた。忙しいのは、アルバイトもそうだった。なんといっても家庭教師が時給がいいので、家庭教師ばかりしていた。
 ほかにもいくつかやってみた。友人と塾をつくってみたが、生徒が3人しか集まらずに、半年でやめた。忙しいビジネスマンのために、数多く出版される経済本を要約するサービスを商売にしてみたが、契約が5件しかとれず、3か月でやめた。ビタミンクラブというイベントクラブを作って、パーティー企画をした。これはなかなかいい小遣い稼ぎになったが、企画が大変で3回やってやめた。一回やれば、学生にとっては十分すぎる利益になった。
 
 4年生、いよいよ臨床科目の授業が始まる。内科、外科、整形外科、産婦人科、、、将来すすむ診療科を真剣に考え始める。4年生の一年は、実習がないので、少し暇になった。この頃は、ゴルフばかりしていた。近くの練習場と契約して、部員は1000円で打ち放題にしてもらった。店長は日大ゴルフ部のOBで、よく教えてくれた。日大では、1000球くらいは打つそうで、ひ弱な医学生には驚きだった。それでもがんばる日は500球くらいは打った。コースは、これまた近くのゴルフ場に交渉して安くしてもらった。
 
 静岡県の西部には、ゴルフ場がたくさんあったが、交渉に応じてくれたのは、アップダウンの多くて距離の長いコースだった。平日のみ、2800円で何ラウンドでもOKとなった。夏の合宿は2ラウンド半、つまり45ホールを5日間続けた。脱落する部員も多かったが、続けた部員はみんな飛躍的に上達した。
 
 もちろんカートなしで、かついでラウンドするので、キャディーさんがいるゴルフのイメージとは随分違って、スポーツ性が高い。結局これが楽しくて、卒業してから何度か、普通の?ゴルフに行ったが、つまらなくなってやめてしまった。
 
 5年生、病院実習が始まる。5人一組のグループで、一診療科を2週間ずつ研修する。もちろん内科や外科は、いくつもの分野があり、それぞれの分野を研修するので、2週間と言うわけにはいかない。毎日毎日白衣を着る生活が始まった。今までいったい何をしていたんだろうと思うほど、知識のなさを痛感させられる。ついこの間まで同じ学生だった先輩が、急に大きく見える。国家試験という壁のなんと厚いことか。
 病院実習は、6年生の前半で終わり、いよいよ国家試験対策である。5年生の終わりころから、数人の仲間で勉強会を始める。主として過去の問題をもとにして練習問題を繰り返す。何しろ勉強ばっかりしている感じであった。試しに自分で200問くらいの練習問題を作って、同級生に売りつけようと思ったが、本気で買おうとする人があまりにも多かったので、なんか申し訳なくて、ただで配った。
 
 振り返ればあっという間の6年ではあるが、みんな真面目に勉強したと思う。純粋だった。みんないい医師になろうという意欲に燃えていた。国家試験は9割がた合格するので、あまり心配していなかったが、数人は不合格だった。
 
 卒業して、医師になった。私は、同時に結婚もした。
 え~、うそっ、というような研修医の生活が始まった。

 病院実習をしている一年間は、将来すすむ診療科を決める時期でもあった。かつて、インターン制度があったころは、卒業後に無給で研修をしていたようであるが、私のころはもう、その制度はなかった。卒業して、自分が進みたい診療科は、基本的には自由に選択できて、就職活動はない。一部大学では、入局(医局に入るための)試験を課しているとこや、聖路加国際病院のような大きな病院で研修を受けようとすると試験があったようである。
 
 通常は、ストレート研修といって、自分が進みたい診療科に最初から所属する。たとえば脳神経外科であれば、脳神経外科という医局に所属し、最初の2年間は研修医として仕事をする。もちろん、医師免許はあるので医療行為を行うことは可能である。そして関連する診療科、例えば外科系の診療科であれば麻酔科などに一定期間出向して研修を積むことになる。
 
 現在は、このストレート研修が専門医の養成に傾きすぎて、全般的な診療ができないということで、卒業後2年間は、ローテート研修をすることが義務付けられている。全くナンセンスである。現場を知らない人がルールを作るとこういうことになる。
 
 脳神経外科に来る患者さんは、脳神経外科疾患だけを持っているわけではなく、他のさまざまな問題を抱えている。したがって、他の診療科との連携が必要になるのであって、研修医の立場からすれば、一人の患者さんから、全身のことを学ばせてもらえるのである。
 
 2年もかけて、いろんな科を回って、教育する側からすれば自分の部下になるかどうかもわからない研修医に教えなくてはならない。事実上、学生の実習とさほど変わらない、お客さん状態になる。将来、専門家になったあとで、この研修を受けているのだから、小児科診療もできるはず、お産も扱えるはずなどといわれたら、たまったものではない。
 
 私は、とにもかくにも、脳神経外科医になった。私のころは、医学部を卒業した後で国家試験があり、その発表は5月の大型連休明けだったので、4月が仕事を始める前の最後の長期休暇だった。この休暇は、予定通りの結婚式の準備に追われて、遊んでいる暇はなかった。
 
 国家試験には無事合格して、研修医として母校に採用された。渡される辞令には、次のように書いてある。
 
 日当は6,000円(たしかこれくらいだったが、正確な数字は忘れてしまった)。 採用は一日。日々、これを更新する。
 
 つまり、いつでも採用は終了できる仕組みである。
 サービス残業、サービス当直は当然だったが、当時はそんな言葉もなく、それ以外の世界を知らなかったので、当然のことと思っていた。

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