先祖を調べることの意味。
はじめまして。先祖之助と申します。
このページでは、先祖の調べ方や、先祖たちが生きた当時のことを理解する手助けとなる話などをして参る所存です。
何とぞ、よろしくお願いします。
さて、私は、小学生の頃から、ずっと自身の先祖を調べて来ました。
「そんなこと調べて何か意味があるの?」
とよく尋ねられました。
確かに鐚{びた}一文にもなりません。
昔の人は、何代も前の先祖の名前はおろか、その事績をも知っていました。
家禄や田畠、家産、技能、知識など、富を産むものは、先祖が興し、代々の祖{おや}たちが伝えて来たものです。
学校が無い時代には、家でしか職業教育がなされなかったため、専門的な職業はすべて世襲でした。
そのような世の中で、当代の者がその恩恵を受ける事が出来たのは、すべて代々の祖たち、つまり先祖のお陰でした。
その感謝の念からも、先祖の事に興味を持ったのです。
翻って現代は、学校を出るまでは親のおかげです。でも生業は自分で見つけて、自分の努力で身に付けなければなりません。
そして、出世も立身も、自分や周りの人々など、今ある人々の努力や助けの賜物です。
これらは個人に付随するものであり、直に先祖のお陰とは言い難いです。
そんな世の中なので、曽祖父母の名前すら分からない人も珍しくはありません。
現在、この国のリーダーの多くは老人です。
この老人たちは、老い先の短いことを良い事に、例えば膨大な国債発行残高や、田舎の空港など維持費の掛かる割には費用対効果の疑わしい公共施設の建設、企業の海外への技術移転など、後の世代に付けを残す決定を平気でして来ました。
どうせ曾孫の代には忘れられるのです。
そんな曾孫たちの事など、頭に無くても不思議ではありません。
歴史は先例の積み重ねです。
その上に今の世の中が成り立っています。
一朝一夕には成り難いものです。
今が良い世の中ならば、代々の祖たちの努力の賜物です。
感謝せねばなりません。
そして、その事績を訪ねて見るのも良いでしょう。
それが先祖を知る事です。
反対に悪い世の中ならば、その訳を知り改めなければなりません。
子や孫たちのためです。
それが出来なければ、我々もまた曾孫の代には忘れられるでしょう。
未来に対して、無責任な老人にならないためにも、子や孫たちのために働いた祖たちの姿を知るべきです。
多くの人々の祖は、歴史に名を残さぬ民たちですが、その生き様は、史料の中に断片的であっても記されていることもあります。
先祖を調べることは、これを探すことだと思います。
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