この新聞を取っておく意味は、さまざまな社会現象への警告となると思ったからー憲法軽視とゆがむ人権
2018年4月18日付信濃毎日新聞朝刊は、一面のトップで自衛官の国会議員暴言事件を取り上げていました。
現職の自衛官幹部が国民の代表である国会議員に対し「お前は国民の敵だ」と罵声を浴びせたという出来事。さすが「関東防空演習を嗤う」を掲載した信濃毎日新聞。文民統制を揺るがす事態を見抜き、一番重要な扱いとして紙面のトップに掲載しています。
この新聞は、これまでためてきた戦時資料の新聞とともに、信州戦争資料センターの所蔵品として保管しておいてあります。
この紙面が、センターで収蔵している過去のどんな紙面と歴史的に並びうるか。おおげさといわれるでしょうが、根底は同じ。例えば、1932(昭和7)年5月16日付国民新聞朝刊。
この朝刊が出たころ、既に犬養首相は死亡していました。襲撃した軍人らは、公開の裁判で言いたい放題を好き勝手いい、これがまた民衆に受けて、裁判官も、動機は理解できると「温情」をかけた判決を言い渡すことになります。そして満州国建国に反対していた犬養総理を葬ったことで、陸軍の描いた筋書き通りの満州国建国と、中国へのさらなる侵略につながります。
あるいは、この1936(昭和11)年2月27日付東京日日新聞朝刊。
この時も陸軍はのらりくらりと対応して、あわよくば事件を利用しようとしたのが天皇の激怒を買った末に鎮圧、こんどは勝手に部隊を動かしたとして非公開の軍事裁判で主だったものは銃殺に。そしてこの時の戒厳令のどさくさにまぎれて成立させた広田内閣が、大臣現役武官制を復活させることになります。
当時の内閣が国民の代表ではなく、あくまで天皇の指名による首班が内閣を形成(現在のように、国会議員を一定数入れるといった法もありませんでした)していました。それでも、政治を司る中枢をないがしろにして政治も軍の方に取りこもうという姿勢は変わりません。
青年将校に、窮乏する農村を助けたいという思いはあっても、それが政府を倒した後の事は軍任せ、というのでは、責任を持った行動とは到底いえません。政府関係者を殺したら天皇が何とかしてくれるーそこには、独善とゆがんだ愛国教育の影響が強く感じられます。
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1945(昭和20)年に天皇直属の大日本帝国陸海軍が敗戦によって消滅、そして占領軍の思惑や国際情勢から再び軍事の実力組織として生まれた自衛隊は「平和と独立を守り、国の安全を保つため我が国を」守るとしてその存在を認められ、過去を反省して軍が独走しないよう「文民統制」のたがをはめたはずです。
2018年の暴言、それも三佐という幹部自衛官が、選挙を経て選ばれている代議士に対して都合よく「国民」を錦の御旗に使って暴言をー背後には巨大な実力組織ー向けたという、戦後築いてきた自衛隊の原則を覆す事件です。与党だろうと野党だろうと、議員は一人ひとりの国民が支えてその地位を得ていることも頭の片りんにないのでしょうか。
さきほどの2つの戦前の事件は、経過こそ違え、その行動がその後の政治を左右するようになった象徴的な事件です。今回も、ことを見抜けない防衛大臣が罵声を浴びせた自衛官の心情を理解する発言をするなど、戦前のように死者は出ていないものの、軍隊による専横を蘇らせかねない舞台構造の前段に位置すると感じます。
この事件から間もなく6年。この間、能登半島地震をはじめ、災害出動や防空の警戒など、表に裏に、さまざまな任務に活躍している自衛官の皆さんの活躍は理解しており、また、日本の独立を侵す外部からの行動に対する備えとしての役割も大事でしょう。
ただ、近年、自衛官による公用車を使った靖国参拝、防衛大学校における右派人脈に偏った思想の人の講師選定、さらには同僚自衛官への複数の問題などが発生。自衛隊が守る「我が国」に国民や民主主義が含まれているのか、あやうく感じるのです。そして政府は軍備軍備と力を注いでいます。この少子化の中で。国を守るというのは、軍事だけではありません。
当方は、現在の事象でも時としてこのように収録し、説明とともに記録することがあります。この時代を生きている人間として、未来のために過去も現在も記録するのが大切と考えるからです。
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