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日中戦争中、軽井沢では別荘ブーム。戦争は皆が苦労を等しく担って…ということはありません。

日中戦争の開始は1937(昭和12)年7月7日。それから間もなく1年の1938年初夏。世の中は戦時一色かと思いきや…

別荘売り出しのパンフレット。上流階級の雰囲気を作って。

 長野県の避暑地、軽井沢では別荘売り出してます。

 日中戦争で物資が不足し、あらゆるものが高騰しているタイミングで「格安処分」とPR。戦争景気で儲かっている人たちも大勢いる情勢を見ており、なかなか抜け目ありません。

(現状と比較すれば)格安と強調

 これより少し前の1937年10月、国は企画院を設けて総力戦を意識した物資動員計画の策定を始めています。そして軍需工場の動員が強められる中「4畳半に4人、6畳に6人という過密状況」も生まれていました。こうした状況を打破するため、資材確保の観点から「木造建築統制規則」を1939年11月8日に施行し、農家は48坪、一般家屋は30坪以上の新築および増築をするのに許可制を敷いていました。

<不要不急でも別荘はおとがめなし>
 ところが別荘はこの大きさに当たらないものがほとんどで、いくらでも建てられました。必要な住宅は許可制で縛るのに、不急の別荘はいくらでも建てられるという矛盾。1941年2月13日の信濃毎日新聞は「新築の別荘150戸 時局をよそに膨らむ軽井沢」の見出しで、今でも避暑地として知られる軽井沢町に別荘予約が殺到、新築も目立つと紹介。南軽井沢、千ケ滝で150戸の新築予定があり「建築統制令もここ軽井沢には大して影響もなき」としております。

 戦前は大きな格差社会でした。戦争にはみんなが苦労して協力しあったなどというのは、妄想でしかないこと。格差社会における戦争の実態を、この広告パンフレットが表しています。今はどうでしょうか。上流階級ほど政府と結託したり資産を守ったりと戦争の影響を受けず、格差の拡大が戦争へのハードルを低くしていく状況は、ロシアのウクライナ侵攻を見ても変わらないと感じます。この十年余りで、日本も格差がどんどん広がり、庶民は日々の生活優先で政治への関心も低下し、選挙の投票率も過去最低を更新中。戦前の状況にどんどん近づいているのかもしれません。そうした「戦時体制」的な状況ほど、権力者には都合が良いのです。

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