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いいものってなんだろう

注意書き


私はこの記事でなにか結論を出すことはしません。いつだってニュートラルでいたいからです。だから何か皆さんのお買い物の際にちょっとだけいいものについて考えてもらえたら嬉しいからこの記事を書くことにしました。

畜産おせち
私は動物系の学生を自称していますが、蓋をあけてみたらほとんどすべて畜産のお勉強でした。そしてそんな大学生活のなかで大学というものはつくづくおせち料理みたいだなと思います。これまで3年半私は「畜産学」という学問のおせちの重箱の中からちょっとずつつまんで食べてきました。その中で一番おいしかったお料理を自分でも調理してみるために研究室に所属し、試作を繰り返してみる。そしてもっともっとその料理の奥を知りたかったら院にいく。そんな感じのように思います。

そんなこんなでみっちりみちみちの畜産おせちを食べ続けて四年目の私ですが、畜産における「いいもの」がわからないんです。
私は畜産おせちしか食べたことないですが、きっとどんな学問においても突き詰めれば突き詰めるほど訳がわからなくなるのでしょうね。

みなさんは食べ物、特に畜産製品や乳製品におけるいいものってどんなものを想像しますか?
A5ランクの真っ白いサシがきらきらしている超高級黒毛和牛とかでしょうか?それとも地元の農家さんが生産した特殊な餌を与えた烏骨鶏の卵なんかも素敵ですよね。国産、なるべく地元産のブタやウシ。地産地消、大事です。ちょっとお高いヨーグルトもたまの贅沢に最高ですよね。

いいものは本当にその時その時のその人の年齢や立場、収入、気分、いろんな因子にたくさん作用されます。霜降りきらきらA5ランクのお肉は年齢を重ねるにつれてきつくなって外国産のアンガス牛のほうがやっぱり好き!となるかもしれませんし、アンガス牛が好きだったけどもう硬くて食べられないなんてことになる未来もあるかもしれないのがいい例です。

私の話をすると、私の中の「いいもの」は地元産のお肉、特に飼料米を与えられたブタ肉に魅力を感じていて、いつも意識的に選ぶようにしています。放牧されたブタや、純血統のバークシャー(黒豚)やデュロック(赤豚)なんかをみるとリッチだけど応援の気持ちを兼ねて手を伸ばすこともあります。あ、ブタの話ばかりしてすみません。畜産おせちをたべているうちに私はすっかり豚大好きのブタホリックになってしまいました。
 私は畜産物に関して安ければなんでもいいという考えが大学に入る前から得意ではありませんでした。
そういえばたまに料理をする私の父が安いからと外国産の鶏肉を買ってきて母親を困惑させたのを見たことがありました。母は「地元のものがあるのにわざわざよその国のものを買う意味がわからない」とこぼしていて、私も共感した記憶があります。

そんなこんなで大学生になってからも意識的に地元産のお肉を選択していました。
そしてお肉のパックの向こう側の農家さんや家畜たちを思ったり畜産おせちを食べたりしているうちに、畜産系の学生という特権をもっているうちにいろんな現場をみたいと思うようになりました。そして地元を中心に時に九州まで10件以上の現場に赴き、作業をしたり取材をしたりをしてきました。

個人で経営している小さいけれど比較的高価なブタを生産している養豚、真逆の世界を見たくて企業での何千頭規模の比較的安価な価格の豚肉を生産している養豚の現場にも赴きました。
牛乳生産の現場を1つとったって、たくさん牛乳の乳量を上げることで経営を回している現場、量は少なくなるけれど牛の健康第一の現場もいくつも見せていただいたりお話を伺わせて頂いたりしました。
平飼いで少し高い価格の卵を生産している現場では一個一個丁寧に鶏の足を失礼しますと持ち上げてつつかれながら卵を集めたことも、一万を超える肉用鶏を育てている現場で一匹一匹暗闇の中でむんずと捕まえて何百羽も箱につめる出荷作業のお手伝いをした経験もあります。

私には、なにもわからなくなりました。

さっき私は、「いいものは、本当にその時その時のその人の年齢や立場、収入、気分、いろんな因子にたくさん作用されます」といいました。
私は現場に行くたびにいくつもの感動をしてたくさん心が動かされてきました。どの現場に出向いても、私はいつでもそのすべてが最高で素敵だと感じました。至極当たり前すぎて馬鹿だと思われるかもしれませんが、飼養方法やこだわり品種等々、多様であればあるほど素敵だと強く思いました。

そして、私は別に舌が肥えているわけではないですが、やっぱり特別こだわりを持って育てられた畜産物は感動するほどおいしいと感じます。
でも企業養豚でいろんな経験をしたり、慣行の酪農の現場に行ったら、この方法がなかったら私の生活は全くままならないなと痛感し、大規模生産の大変さと効率性の追求のための試行錯誤には頭が上がらないと痛感しました。しかもそれだけじゃありませんでした。
私はある現場に、研究室の先生に連れて行ってもらったときに、内心かなり衝撃を受けたことがありました。
向こうの農家さんと先生との間で最近物価が高騰していて、外国産の鶏肉も高くなってきている。地域の生産物の需要が増えるようになる。いいことだ。こんな文脈だったと思います。私は横でうんうんう頷いていました。
しかしその時、先生が先方に同意しつつも「でも外国産の鶏肉が安く手に入るということも重要だと思います。すべての人が国産の価格に簡単に手が届くわけではないですから」とおっしゃっていました。私は横で聞いていて、びっくりしてしまいました。
私はニュートラルでいたいなんて言っているのに、生産者サイドの考え方に偏っていて、大切なことを忘れていたんだなと。少なくとも私は生産者ではなく、グローカルな視点で畜産を専攻している大学生のはずです。
それなのに「国産」の中での「いいもの」ってなんだろうの追求で思考がとまっていました。
本当に情けなく思いました。

わたしのいいものってなんだろう追及はずっと続きます。1つの正解が欲しいわけではありません。みんなのあらゆる正解の塊がスーパーに陳列されています。その正解のあらゆる可能性を私は畜産おせちを食べた側の人間として畜産の側から1つ1つ触れて1つ1つにふむふむと納得していきたい。
盛大な自己満足ですがそれは私の視野を広げ人生をかなり豊かにしてくれると思います。

この記事を読んでくれた方々がスーパーで、「今日はどのお肉にしようかしら」の参考になったらいいなと思っています。


散文を読んでくださりありがとうございました。

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