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街道ウォーク 中山道 その1

中山道 その1 日本橋→板橋

中山道その1は、日本橋から→神田→本郷→白山→巣鴨→板橋を歩きます。
距離は16,2Km、所要時間は4:20時間、18,863歩、消費カロリー904kca
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日本橋→本郷

日本橋を訪れたのは甲州街道編初回の1月。
今日は温暖な街道歩き日和、中山道を歩きのスタートです。

日本橋

再び素晴らしい橋の装飾柱に魅力され
日本国道路元標を確認し日本橋魚河岸跡へ。

日本橋川沿いにあった魚河岸は、関東大震災で築地に移るまで江戸時代から大いににぎわい、一日に千両の取引があるともいわれたそうです。

お向かいは日本橋三越、越後屋跡。
今も丸に越の三越マークは老舗の証としてご進物に重宝されていますね。

三越 越後屋跡

JR神田駅のガードをくぐりぬけて北口から須田町交差点を過ぎると左手一帯が、東京都選定歴史建造物が点在するエリア。

おしるこなど甘味処「竹むら」、あんこう鍋「いせ源」、鳥すきやき「ぼたん」、手打ちそば「神田まつや」「神田やぶそば」など、名店の歴史を感じさせる建物があります。

いせ源

風情あるこれらのお店でいただくお料理はさぞかしおいしいことでしょう。

池波正太郎さんの愛したお店は中華街シリーズで何件か紹介させていただきました。むかしはこの須田町あたりは連雀町だったことや、この界隈のお店も登場します。

というのも、この一角に、明治・大正のころから営業をつづけている「食べもの屋」が四軒もあるからだろう。この一角は、ふしぎに、太平洋戦争の空襲にも焼け残り、むかしの東京の町の香りを辛うじて残していることも、理由の一つになっているのだろう。
先ず「藪蕎麦」である。
東京が誇り得る数少ない名店の一つだ。

食卓の情景 池波正太郎 p331

神田川を渡り神田明神へ向かいます。
大きな鳥居とあま酒の天野屋さんが目印。

朱塗りの山門が迎えてくれます。
神田明神で親しまれていますが正式名称は神田神社。

730年の創建で、三の宮御祭神は平将門。
神田祭は深川祭、山王祭とともに江戸三大祭りとよばれ江戸時代には城内に入り徳川将軍が上覧したため、御用祭とも呼ばれていたそうです。

神田神社 本殿

神田明神のお向かいにあるのが湯島聖堂。
五代将軍綱吉が儒学の振興を図るため創建、その後11代将軍家斉が昌平坂学問所を併設しました。

こちらには孔子廟正殿の大成殿をはじめ、仰高門、杏壇門、入徳門、明神門、孔子銅像がご覧になれます。

大成殿

本郷→巣鴨

東京医科歯科大学を左に見ながら北へ進むと本郷三丁目の交差点。

角には
「本郷も かねやす までは江戸のうち」
川柳にうたわれた「かねやす」があります。
江戸時代、乳香散という歯磨き粉を売り出し賑わったそうです。

かねやすビル

日本が誇る最高学府,、東京大学へ。
赤門の名で広く知られているこの門、加賀藩13代藩主「前田斉泰」が徳川家斉の娘溶姫を正室に迎えた際、建立された御守殿門で国の重要文化財です。

東京大学 赤門

赤門の向かい側の少し奥に本山が知恩院、浄土宗の法真寺があります。
1876年、すぐ隣に樋口一葉の家が越してきて幼少に頃を過ごした場所。

白山一丁目の交差点を過ぎると大円寺。
八百屋お七を供養する「ほうろく地蔵」があります。

お七の罪業を救うために熱した焙烙(ほうろく・素焼きのふちの浅い土鍋)を頭にかぶり、自ら集熱の苦しみを受けたお地蔵様。
地蔵尊のまわりには多くの焙烙がお供えされています。

ほうろく地蔵

路の反対側を少し下ると円乗寺。八百屋お七の墓があります。

甲州街道に戻り東洋大学の白山キャンパスを左に見ながら進むと千石駅前で白山通りと合流となり巣鴨方面に向かいます。
JR巣鴨駅が前方に見えてくると、徳川慶喜巣鴨屋敷跡。

徳川慶喜巣鴨屋敷跡

幕末の行動に対しては色々と言われている慶喜さんですが、司馬遼太郎さんの書かれた「最後の将軍」の慶喜像が私にはしっくりきています。

慶喜の両眼がひらききっている。
そのまま薄青い涙がとめどもなく噴きだし、顔をぬらしていた。
京を離れて以来、慶喜がその家臣に最初に見せた涙であろう。
「錦旗が出た」とのみ慶喜はいった。
三日に開戦し、五日に錦旗が出、薩長が官軍の名を得た。
薩長軍が官軍である以上、慶喜は賊である。

最後の将軍 司馬遼太郎 p258

巣鴨→板橋

巣鴨の甲州街道沿いの商店街を進むと左奥に大きなおじぞうさん。
真性寺です。江戸六地蔵の一つ、銅造地蔵菩薩坐像が鎮座しています。
甲州街道歩きの際に訪れた内藤家の菩提寺太宗寺さんにもいらっしゃいましたね。

銅造地蔵菩薩坐像

巣鴨地蔵通商店街のゲートから旧中山道に入ります。
和菓子屋さんにおせんべい屋さん、衣料店にうなぎ屋さん、レトロな雰囲気の喫茶店、どこも多くの人で賑わっています。

高岩寺の本尊は「とげぬき地蔵」で知られる延命地蔵菩薩で秘仏。
洗い観音は水をかけて自分の悪いところを洗うと治るという信仰が今も続いており列が絶えません。

高岩寺
洗い観音

商店街を抜けると都電荒川線の庚申塚駅。
手前にあるのが猿田彦大神庚申堂、庚申塔が祀られています。

旧道らしいのんびりした風景が続きます。
この地域は江戸への野菜の供給地として知られており、この街道沿いに野菜の種子を通行人等に販売する種子屋が店を構え「種子屋通り」として発展してきました。

今も残っている趣のある建物は
「東京種苗株式会社」
歴史を感じさせる建物です。

東京種苗株式会社

滝野川の街を過ぎれば本日のゴール
JR板橋駅。

駅前には近藤勇墓所があります。
近藤は板橋宿手前の刑場で官軍により斬首処刑され首級は京都に送られ胴体はこの場所に埋葬されました。

こちらの供養塔は隊士の一人、永倉新八が発起人となり造立、副長土方歳三の名も記されています。

甲州街道歩きでは、新選組にまつわる史跡や近藤勇生誕の地を見てきただけにシンパシー感じます。

近藤勇像

中山道の街道歩きも、歴史の痕跡が多く残っており楽しいウォーキングに。

次回は板橋宿から荒川を越えて埼玉県は蕨宿にむかって歩きます。
どのような風景に出会えるか。

☆☆☆ ⇩⇩ 詳細はブログをご覧いただければ幸いです。

↓↓街道を歩く 準備編はこちら


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