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2021|作文|365日のバガテル

私の中にある美しい光景の話。

古いコタツを囲む3人の兄妹。
たまたま ついていた テレビでは 芸能人水泳大会が 放送されていた。若き日の河合なお子の水着姿を見た弟が「おっぱい大きいなあ」と冷やかした。姉は あなたはいつもエッチなことをいうと笑っていた。兄であるおじさんは、がっしりした腕を組んだままそんな2人のやりとりを微笑んで見守っている。故郷を離れてがんばる妹や弟を、若い頃に亡くした父のように見守る、腕を組んだおじさんの姿がいつもあった。たわいもない会話の中に、 若い頃から苦労してきた兄妹だからこそ 分かちあえる幸せがにじんでいるようだった。これが母の実家で、まだ小さかった私が見てきた光景。3人の兄妹とともに 時には弟の奥さんや私の父もそこにいて、私たち子どもが寝た後は みんなでカラオケに行くのが恒例だった。私は寝たふりをしながら 楽しそうな大人たちの会話を聞いていた。おじさんは 私の父のような人付き合いが得意ではなく 酒も下戸な人にも実の弟のように優しかった。いつも笑って、乾杯してくれた。私は、そんな父を見て嬉しかったしおじさんが 誇らしかった。私は、家族の絆とか、本当に仲が良いとか、人を思いあうとか 人間の愛について おじさんたち3兄妹の光景から学んだ。私の知る1番美しい家族の風景だ。ささやかでつつましく、だけどとても優しい絆。その絆の真ん中に、人と人との間におじさんがいた。そんなおじさんが亡くなった。おじさんは、亡き父親の分までずっと頑張ってきてくれたから、少しほっとして好きな歌をうたいながら休んでくれたらいいなと思う。そして、またいつか、必ず会いましょう。だから、今日はさようなら。

順番通りについてのバガテル。
プロアスリートの引退や自由契約は歳の順番が守られているわけじゃない。スキルや個性などがモノをいう。息の長いジャーニーマンな選手もいれば、スーパースターだけど華々しく散る選手や、期待されながら大成せずにひっそり消えたドラ1選手もいる。実力と運の世界。それはプロアスリートの世界の話だけにしときたいが、人間の寿命もまた、早く生まれた順ではないところがつらい。たとえば、祖父を見送り、祖母を見送り、そして父を見送り、母を見送る。そして、子どもに見送ってもらう。そんな風に順番通りのサヨナラならば、大切な人とサヨナラすることはもちろん悲しいが、まだ心のどこかで粛々とその寿命なのか天命を受け入れることができる、かもしれない、たとえ時間がかかるとしても。しかし、順番通りじゃないサヨナラは耐え難い。つらすぎる。戦争や疫病や事故はこの順番通りじゃないサヨナラをたくさん生む。生きるにも、実力というより運が必要なのだろうか。職業でもないのに、生きるには本当に契約以上の契約が必要なのだろうか。そういうことを考え込んでしまう時、私はいつも亡き祖母のことを思う。考える。祖母は、自分の親だけでなく、息子2人を見送り、夫を見送り、兄妹を見送り、さらには孫のひとりを見送ってきた。自らが死ぬ前に、かくも多くの順番違いの死に直面し、その絶望的な悲しみを抱きながら生きてきた。その消えない悲しみを内包しながらも、私を可愛がってくれた。だから、私は祖母を思い、生ききろうといつも思う。
大好きだった、小さい頃から可愛がってもらい続けた、それなのにコロナ禍で2年会えてなかった人の突然の死はとても受け入れ難く、かなしかった。しかし、その人は、自分の父を見送り、母を見送り、その後、兄妹や息子を見送るという順番違いもなく、順番通りに彼らに見送られて旅立っていった。順番違いではないサヨウナラだった。今はそう思うだけで、精一杯だ。

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