「さようならの理」千賀泰幸

「日本人の美学とその歴史」を研究。 2015年発現した肺がんに心身共に蝕まれる中で学び…

「さようならの理」千賀泰幸

「日本人の美学とその歴史」を研究。 2015年発現した肺がんに心身共に蝕まれる中で学び始めた「死生観」→「日本人の美学:さようならの理」の軌跡と展開をここに記します。 2022年には新しいがんが発現。未だ生きていることが誰かの希望になればと。

最近の記事

  • 固定された記事

「さようならの理」千賀泰幸

「日本人は何を美しいと思うのか」 大陸の東の際で、大洋の北西の際に 三日月のように浮かぶ日本列島の上で 大陸の文化と大洋の文化のはざまに生まれ 古来より永き星霜に磨かれてきた 「日本人の美学」。 それは 時にぼくを励まし、支えてきた。 時にぼくを苦しめ、縛ってきた。 そうを考えるきっかけになったのは、 2015年の肺がん発現でした。 「5年生存率5%の肺がん」との宣告を 「5年死亡率95%」と覚悟したぼくは 「残された時間を、どう使えば幸いか」 と苦しみました。 そして、

    • 春はあけぼの

      清少納言は、枕草子を 中宮定子を偲んで書いたのか。 あの美しかった日々を あの愛おしい時を 形にとどめるために書いたのだろうか。 たった一人の悲しき中宮のために 枕草子は描き始められた     大河ドラマ「光る君へ」 世界はこんなにも美しいのだと この美しい世界の真ん中で 光輝く貴女様に もう一度笑ってほしいと 春はあけぼが美しい。 清少納言は、この一言だけで、 1000年後にも愛される。 何故なら、 「春はあけぼの」 という言葉は、 日本人の美意識の結晶 ともいえるか

      • 雨ニモマケズ 風ニモマケズ

        ぼくは何故、宮沢賢治に惹かれるのか。 いや、日本人は何故、宮沢賢治に惹かれるのか。 その答えのひとつが、 宮沢賢治の一周忌に、岩手日報に掲載されたという 「雨ニモマケズ」という詩にあるように思う。 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク ケシテ瞋(イカ)ラズ イツモシズカニワラッテイル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小

        • 【小説】さようならの歌

          あらすじ「さよならば、いたしかたなし」。 冬を越せない運命を受け容れてきた虫たちが「さようならの歌」を歌う村に住むクモは、息子の親友バッタの冬越え用のミノ作りを思いつく。 その噂を聞いた村中の虫たちが「みんなで春が見たい」と騒ぎ出す。 トノサマバッタ村長の提案で、全員分のミノを作ることになったクモ。 しかしミノの完成直前の初雪で虫たちは全滅。クモも死ぬ。 みんなの夢はかなわない。 けれども、『カミサマの罰』で蝶に変身できないケムシと、ミノムシ時代の記憶を無くしたミノ蛾の「さよ

        • 固定された記事

        「さようならの理」千賀泰幸

          【絵本】春のカミサマ

          「春のカミサマ」 が絵本になりました。 文 千賀泰幸 絵 はらかな

          有料
          500

          燃えたよ。真っ白に燃えつきた。真っ白な灰に

          散りぬべき 時しりてこそ に続く 「ほんの瞬間にせよ、  まぶしいほど真っ赤に燃えあがるんだ。  そして、  あとには真っ白な灰だけが残る。  燃えかすなんか残りやしない。  真っ白な灰だけだ」  あしたのジョー   原作:高森朝雄(梶原一騎)  作画:ちばてつや 古今東西、美しいとされる『自己犠牲』 日本人の美学では、時に『滅びの美学』 時に『敗者の美学』などとまとめられてしまいがちだが、 その前提に 『まぶしいほど燃え上がる瞬間』 があることが 美学につながると思われ

          燃えたよ。真っ白に燃えつきた。真っ白な灰に

          散りぬべき 時しりてこそ

          散華花びらは散る、花は散らない 地獄へは俺が行く より 花と散るのは、武士の、 それは男子のみならず 女性にも己の美しさのために 散華した者も多い。 「散りぬべき 時しりてこそ  世の中の  花も花なれ 人も人なれ」 細川ガラシャこと明智玉 織田信長の命で 細川忠興の妻となった 明智光秀の娘 の辞世の句。 天下分け目の「関ヶ原」の合戦の前 西軍の石田光成が 大阪の細川屋敷にいた細川ガラシャを 人質にとろうとした時、 ガラシャはそれを拒否。 屋敷を三成の兵が取り囲む中 「

          散りぬべき 時しりてこそ

          地獄へは俺が行く

          花びらは散る 花は散らない の「滅びの美学」に続く 人の行いのうちで 自己犠牲という行動 を美しく思うのは、 日本人のみならず、 古今東西、共通の美意識だろう。 凡そ、人が行動する理由は 次の3しかない と、聞いたことがある。 曰く ①得をする。 その行動の結果、利益を得ることが 予想できる ②損をする その行動の結果、損害を被ることが 予想できる(罰をうけるなど)  ③愛のため 自分の愛する対象を守る為 対象は、人であったり、国であったり、 信念や正義などの場合があ

          【創作】春のカミサマ

              文 千賀泰幸  絵 はらかな 桜の古木(こぼく)の麓(ふもと)には、 虫の村がありました。 秋の最後の満月の日は、 秋と冬とのはざまの日。 昼と夜とのはざまのたそがれ時。 音楽祭が始まります。 歌自慢はもちろんのこと、 歌が苦手な虫は裏方と、 村のみんなが出演します。 それゆえ、観客といえば、 クモとケムシとミノムシだけ。 「今度の祭りはずいぶん早いな」 クモが首をかしげます。 みんなには初めての音楽祭も、 年寄りクモには二度目です。 祭の日取りを決めるのは、 村

          花びらは散る 花は散らない

          武士道と云うは死ぬことと見つけたり より 武士たちが  「我、神仏を尊びて、神仏に頼らず」 ことを「美しい」と思う中 日本人が この島国に神様や仏様が来る前からの 「精霊の王」への畏敬を持つとはいえ その、畏敬の念が 「国土草木悉皆成仏」と 仏教(天台宗系)に流れている以上 仏教由来のものが 日本人の美学を形成する ことは明らかだと思われる。 花びらは散っても、花は散らない。 形は滅びても人は死なぬ。 永遠は現在の深みにありて 未来に輝き 常住は生死の彼岸にありて 生死

          花びらは散る 花は散らない

          勇者ヒンメルならそうした      葬送のフリーレン 

          また会ったとき恥ずかしいからねに続く 「葬送」とは 「死者との別れの儀式」。 「弔い」とは 「問う」こと「訪う」こと。 死者の世界を訪問して、 死者の思いを問うこと。 「葬送のフリーレン」の旅路は、 勇者ヒンメルへの 「葬送」と「弔い」の旅 でもあることがわかる。 この「葬送のフリーレン」で 良く聞かれる言葉に 「勇者ヒンメルなら、そうした」 という言葉がある。 勇者ヒンメルは「どうした」のか。 それは、アニメーションの主題歌 「勇者」(YOASOBI Ayase 作詞

          勇者ヒンメルならそうした      葬送のフリーレン 

          まがつたてつぽうだまのやうに

           だれだってぐるぐるする  夜空ぜんぶの星が友だちになる  で辿ってきた、 宮沢賢治の死生観を さらに辿っていく。 永訣の朝 けふのうちに とほくへ いってしまふ  わたくしの いもうとよ みぞれがふって おもては  へんに あかるいのだ (あめゆじゅ とてちて けんじゃ) うすあかく いっさう 陰惨な 雲から みぞれは びちょびちょ ふってくる (あめゆじゅ とてちて けんじゃ) 青いじゅんさいの もやうのついた これら ふたつの かけた 陶椀に おまへが 

          まがつたてつぽうだまのやうに

          精霊の王(はざまのカミサマ)

          精霊の王(神様や仏様が来る、その昔) 日本人が「神様や仏様」を持つ前に この島国に居た 縄文的な精霊である宿神「古層の神」 をめぐる書 「精霊の王」中沢新一著 講談社では 「精霊の王」→「宿神」  →「後戸の神(摩多羅神)」→「翁」 という展開がある。 とりわけ、本章と併記される「明宿集」 (世阿弥の娘婿猿楽師金春禅竹が後進の為に残した伝書) で、「翁」は次のように紹介されている そもそも「翁」という神秘的な存在の根源を探究してみると、 宇宙創造のはじまりからすでに出現

          精霊の王(はざまのカミサマ)

          また会ったとき恥ずかしいからね             葬送のフリーレン

          2023年9月から2024年3月まで2クールに渡って放映された アニメーション「葬送のフリーレン」の最終回のタイトル。 「葬送のフリーレン」は魔王を倒した勇者一行の後日譚を描くファンタジー 「冒険は終わろうと、道は続いて行く」 魔王を倒した勇者ヒンメルのパーティーのメンバーであった 魔法使いエルフのフリーレンが 勇者ヒンメルの亡きあと、 「人の心を知る」ために、 僧侶ハイターが育てた魔法使いフェルンと 戦士アイゼンの弟子の戦士シュタルクと かつて魔王を倒しに行った旅路を

          また会ったとき恥ずかしいからね             葬送のフリーレン

          精霊の王(神様や仏様が来る、その昔)

          なにごとのおはしますかは知らねども と、西行法師が「臨在感」を感じた「なにごと」 それは、神様とも仏様とも異なる 「もの」ではなかったのではないか と思う。 日本列島は太平洋文化圏の北西端に ポツンとかかっている三日月のように 美しく切なく見える。 メラネシアをはじめ広く太平洋諸島にみられる 非人格的・超自然的な力の観念。 精霊・人・生物・無生物・器物など あらゆるものに付帯し、 強い転移性や伝染性がある。 この観念に宗教の起源を求める学説を アニマティズム(マナイズム)と

          精霊の王(神様や仏様が来る、その昔)

          武士道と云うは 死ぬことと見つけたり

          日本人の「さようならの理」を構成する 大きな要因「武士道」 泰平の世となった江戸・元禄期に記された 「葉隠」の逆説的な生き方(死に方)の勧め。 武士がもっとも大切にした 「名」とか「恥」という倫理は 徹底して「この世」でのあり方が語られる。 武士の時代の社会は「自力救済社会」であった。 古代律令制の司法の力が衰退して、 自分の権利を守るには、自分で武力を持つ必要があった。 武士が「やられたらやり返す」のは、 そうしなければ「面子」を保つことができず そうなれば、侮られて自

          武士道と云うは 死ぬことと見つけたり