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「アルゼンチンに行く。そして、スポンサーを集める。」



 今季1月から加入した東京ユナイテッドを実は8月末で退団していました。入団時メッセージをくれた皆には本当に申し訳なく感じている。

てっきり来年からどこぞの大手企業で働きながらサッカーでまだ上を目指していくものだと思っていた。

けれど6月に就職活動が終わり、両立は無理だと悟った。ビジネスかサッカーのどちらかでしかないと思い、死ぬ程悩み葛藤した挙句、自分の成長率に懸けてサッカーを選んだ。

そして来年の2月1日からその環境を南米アルゼンチンに求め、更にはそこでかかる渡航費や活動費を「スポンサー」という形で集めようとしている。

昨年の今日は、ア式蹴球部を引退して10日が経つ頃。帰省した実家にて全く見えない先の人生に思案を巡らせていた。

ただ、いくら当時の自分ですら、このような人生選択をする事になると全く想定していなかった。

今年起こった出来事、出会った人々、苦しかった事、嬉しかった事、そこで生まれた新たな価値観、呼び覚まされた本当の自分。それら全てが、言葉では言い表す事の出来ない密度と速度で進んでいった。

昨年、適応障害を境に「サッカーだけが全てではない」と気づいてから人生の第1章が始まった。しかし、就職活動を終えて再びその第1章を序章のエピソード3として組みなおす事にした。


以下、
・「なぜ就職をせずにサッカーなのか」
・「なぜアルゼンチンに行く決断をしたのか」
・「なぜ発信しようと考えたのか」
決断に至った背景、決断の前後で起きた葛藤、心境の推移を記していきたい。
また、このような形で発信しようと思うに至るまでも大いに悩んだのだが、そこに関しての話も出来たらなと思う。

これからの発信は、決して明るいだけの内容ではないかもしれない。文体を明るくすることも苦手だ。それでも私の経験とそこから得た人生哲学を正直に伝える事こそ価値があると考えている為、読んでいただけると嬉しい。

そして、こんな生方聖己という人間に興味を持ち、どんな人生を歩むのか見てみたい、応援したいという方がいらっしゃれば、是非とも今回の計画にご協力していただきたい。

 何卒宜しくお願い致します。



【最初に】

本文に入る前に、今回の計画の概要、そして実際に今自分が起こしている行動を先に紹介したい。


【①自己紹介】

初めて生方聖己の事を知る方もいらっしゃると思う為、ここで一度自己紹介させていただきます。

早稲田大学スポーツ科学部4年生方聖己(ウブカタセイナ)と申します。地元の群馬県高崎経済大学附属高校を2018年に卒業し、日本体育大学に進学。サッカー部にて2部練習をこなしながら受験勉強に励み、早稲田大学に再入学。ア式蹴球部に4年間所属し、現在は早稲田5年目に突入した24歳の男です。

ポジションは身長172cmのGK。ことサッカーにおいては、高校入学時は10人中10番手。日体大時は30人中28番手(Fチームのサブ)。早稲田入学時は12人中12番手。しかもそれぞれ僅差で最下層とかではなく、圧倒的な最下層。
しかし、早稲田ア式にて出会った多くの方のおかげで昨年の春1番手として関東リーグ1部に出場(2試合のみ)。 ただ、Jリーグに到達できる実力を有する事は出来ず、昨年続けるか否かを悩みに悩んだ挙句、社会人関東1部の東京ユナイテッドに加入させていただく。そして来年2月からアルゼンチンにてフットボールを追求していく事を決断。



【②計画概要】

・「目的地」:アルゼンチンの首都ブエノスアイ
       レス
・「滞在期間」:未定。ワーホリビザを申請し、
       とりあえず1年は居れるように。
・「リーグ構成」:

↑現地でプレーされている日本人の方から情報をいただいた。そして、どうやら来年以降4部と5部と合併し、その下にU24のカテゴリができるそうだ。私は24歳なので残念ながら所属できないが、日本と違い頻繁にカテゴリ編成が起こる。


・「狙い1」:私としては、5~7部アマチュアカテゴリのどこかに所属したいと考えている。

意外と現実的だと捉えられるかもしれないが
・「日本の5部で試合に出れる実力が無い」
・「スペイン語を話せない日本人低身長GK」
という現実を鑑みれば、4部以上に割り込む事は非常に難しいだろう。

ただ、こればかりは行ってみないと解らない。ドイツに行った時もそうだったが、「意外と日本人は上手い、やれる」となる場合もあるだろう。 
また、アルゼンチンは国の経済事情的にチームが充分な資金を保有しているとは思えない。その為、安価でそこそこ技術力のある日本人はお買い得となる可能性もある。とりあえず、スパイクとキーグロを持って現地に赴くしかない。

・「狙い2」:libres(リブレス)という所属チームが無い選手が集まるチームがあり、チームが見つからなそうだったらそこに所属する。

今回私は、最初代理人などを使わない事にした。ラテンアメリカ圏はアミーゴの世界(人のつながり命)である為、練習参加なども基本的に知り合いのつてがないと難しい。特に日本人となれば尚更だろう。逆に、繋がりと金があればプロの練習にも参加できるのだ。しかし、今回の挑戦の最も大切なコンセプトは「生方聖己の生き抜く力を最大化する」である。

だからできる事は1人で1からやりたい。
勿論その過程で出会っていく人に助けてもらうことはあるが、あくまでも最初は自分で。)



【③行動】

上のPDFにある計画書を作成。それを印刷。ビラとして幅広い層の方々に配って認知を増やす予定だ(既に30枚ほど大学の友人や、パーティ会場で会った人に配布)。


↑(友人に招待していただいた中国お酒メーカーのパーティ会場にて。ビンゴ大会で当選した為、前に登壇して宣伝。)


↑(とあるVCでインターン中の友人が主催する若者イベントにて、特別にピッチさせてもらう。他の人がビジネスアイディアなり所属団体の活動を共有している中、「アルゼンチンフットボールにおける活動費を募っています」という主張。許可してくれた友人には感謝しかない。)


↑(授業で知り合った友人が代表を務める早稲田大学AI研究会の新歓にて。とある事業会社の方と会話中。自分のこの挑戦とビジネスを結び付ける事が出来るか否かについて、意見をいただく。


上記のように、色々な場で宣伝且つ、自分の活路を見出し行動中。



そして、Googleフォームにて支援者ページを作成。口座振込とpaypayにて協賛金を集めさせていただく。

個人様は一口1,000円から、法人様は一口20,000円からお願いしております。

目標金額は約100万円
・「フライト代」:約13万円
・「生活費」:月約8万×10ヵ月=約80万円
・「保険費」:約5万円

明日から渡航までの約2カ月、Noteにてスポンサー集めのプロセスと学びを発信し続ける。その過程で計画書の内容やスタンスを順次変更していく事もあるだろう。とりあえず、自分で作り、自分で行動しないと何も始まらない為、試行錯誤を繰り返しながら取り組んでいく。

最大の課題はリターンを如何にするかである。リターンは「生方聖己のフットボール人生共有」としたい所だが、これはいかがな事かと自分でも思う。勿論、純粋な応援としていただける場合はとても嬉しいが、何かしらの形で自分にしかない価値をリターンとしてお返ししたいと考えている。これも資金調達が進むごとに明確にいていきたい。

生方聖己1つを商材に、2か月間行動し続けるしかない。

何卒宜しくお願い致します。




【なぜ就職せずにサッカーなのか】


私は元々仕事とサッカーを両立していく予定だった。

昨年の夏、適応障害を境に長い夢から覚めた。そして、人生を長期的視点で見る事の大切さを知った。しかし、サッカーを通してまだ見える景色がある事を確信し、死ぬほど悩んだ挙句続ける事を決断した。

ただ、もう夢だけを追える立場(自分の実力・年齢)ではない。
5年間フルで借りている奨学金、そして身内に対する恩も返さないといけない。

だから就活をした。

こう書くと何かネガティブに感じるが、決してそんなことはない。勿論現実的な側面もあったが、就活を通して今まで全く知らなかった”社会”の断片に触れられる事は楽しみであった。

3か月間、悪戦苦闘しながらも多くの出会いと学びを得る。そして、無事行きたい企業から内定を貰い、就活を終えることができた。

しかし私は気づいた。

「両立は難しい」

↑イメージ図 点線は生方のキャパシティ。上記の図を見て、「低速でも少しづつ積み重ねていけば最終的に到達するのでは?」と思うかもしれないが、その前にパンクしてしまうのが私だ。


私は、成果を求められる2つの事柄に対し、自身の思考とエネルギーを綺麗に2分する事が出来ない。

振り返ってみれば仮面浪人の時もそうだった。部活の2部練をこなしながら受験を成功させた。ただ、サッカーに関して言えば1年間ずっとFチームで、試合出場も2試合のみ。特に後期は、練習以外の時間を全て勉強に充てざるを得ない状況。両立とは決して程遠いものだった。

就活を始める前はいけると考えていた。なにせあれから5年たっており、私も成長しているはずだ。仮面浪人の反省も生かし、向こう数年はサッカーと仕事、どちらも高みを目指していく。私が本気になれば余裕だと思っていた。

けど、難しかった。就活とサッカーですら。

2度目の失敗。もはや遺伝子レベルで難しいという事を悟った。私には幾分か精神の余白が無いと駄目なのだ。

そして再び悩む。

「どちらを取るか?」

私は、サッカーを選んだ。


理由は1つ

”どうしても試したい”から

黄色のラインは年代別生方の所属カテゴリー。高1~早稲田3年時まで。ちなみに、中学時代は所属リーグという概念すらない部活。


早稲田4年時~今年。


上の図に記したように、プロを目指し始めた高1時は群馬県3部リーグ(1種と2種の境を便宜上無くすが、J1から数えて10カテゴリー目)スタート。

そこから8年かけ、関東1部リーグ(J5相当)に到達。一応2年に1度ペースで1カテゴリー上げる事が出来た。

昨年関東リーグに出場した事を境に、ようやく”土台に乗れた”という感覚がある。今でこそ周りに強豪校、Jユース出身、元プロが当たり前に存在する環境でプレーできているが、つい2年前までBチームの試合にすら出れない立場であった。

私は、8年目にしてようやく「サッカーにおける成長方程式」を見つけることができたような気がするのだ。

そして今、私の脳内には現在の領域を超え得るアイディアが山ほどある。

上手くいくかはさておき、それを全て試したい。

70点を取るための努力から90点、100点を取るための努力にシフトチェンジをする。

どうしてもそこに自分のリソースを注いでみたい。






【なぜアルゼンチンなのか】


「就職しない」という選択を取ったことで、「日本」という制限はなくなった。
最初に浮かんだ選択肢はドイツ。3年の冬に3週間だけ行ったのだが、あの時に体感した淀みないサッカー文化をもう一度味わいたいと考えた為である。また、スペインも1つの選択肢だった。フットボールに対する情熱を
はじめ、世界で最も良いフットボールを創り続けようとする文化の中に身を置きたいと考えた。

けれど1つ引っかかる。それは、なんとなくサッカーのレベル感も文化も想定が付いてしまうという事だ。ドイツもスペインも日本人を受け入れる体制(文化的側面)が整っている。日本人に対する理解もある。実際日本人も多い。

けれどそれじゃ駄目なのだ。それだと就職を蹴ってこの決断を下した意味がない。私は安寧を求めていない。

そこで生まれた選択肢が南米、アルゼンチンだ。

アルゼンチンは経済的に豊かな国ではなく、サッカーは人生を逆転させるツールとして大きく機能している。例えば、ビッグクラブの下部組織に入る事が出来れば選手だけでなく家族にまで経済援助が成されたりもする。それ故に幼少期から彼らのサッカーに懸ける想いは凄まじい。南米に行った日本人の方が「企業もたくさんあり、就職先も多くある筈なのに、日本人はなぜプロ選手をわざわざ目指すのか。」と尋ねられたという話をかつて聞いたことがある(これは極端な例であると思いつつ、実際にサッカーはそれだけ生活の為というニュアンスが強いと思われる)。

そこから生まれる狂気。フットボールに対する愛。彼等にこそ、その環境にこそ”生の本質”が眠っている気がしてならない。

言語も文化も全く違う、アジア人に対する理解も低い。治安や経済的な理由で日本人は中々行こうとしない。そんな環境にこそ自分が求める”生”が存在するはずである。

自分のフットボールを通した最後の人生をこの国に賭すことを決断した。





【なぜ発信するのか】


実は今回、noteやSNSを通して発信していくことに迷いを感じていた。

しかし、以下2つの理由から発信することを決心した。


【①行動の証】

「応援してもらいたいなら、応援する価値があると思ってもらえる行動をしないとだめだ」

これは、とあるVCの方が私にくれた意見だ。

「渡航費や活動費をスポンサーという形で募りたいと考えています。しかし、winwinな関係を築くことができません。とりあえず、様々な方に自分の想いとビジョンを伝えて応援してくれる人を探そうと思っています。」

そう伝えると、上記の返答をいただいた。

確かに、ごもっともである。

純粋に応援してほしいと言ったところで殆どの人からしたら「誰?」となるのだ。

協賛を募りたいなら、周りの目や自分のプライドを気にしている場合ではなく、「生方聖己はこんな人間だ」というのを行動を通して知ってもらわないといけない。

その一環として明日からスポンサー集めの過程を発信していく。

その行動が「応援する、投資する価値がある」と思ってもらうことに繋がる事を信じて。


【②自分の意外な価値を発見する】

私は今年、本当に多くの人と出会った。そして、如何に自分が今まで狭いコミュニティの中だけで生きてきたかを実感した。

千差万別の人生背景・興味関心から生まれる数多の価値観、パーソナリティ。

そんな中、私の経験や思考が「こんな形で評価されるのか、応用できるのか」と驚いた回数も多い。

すごく簡単な例を出すと、VCのミートアップで知り合った一橋大の学生が「実はサッカーのデータビジネス領域に参入したいのだけど、なんせ選手の経験がないから現実性に欠けていた。一緒にやってみないか。」という話をしてくれた。

私は決してトップレベル(Jリーガー)の選手ではない。ただ、一般認識からすれば関東1部の選手は十分にトップ層といえるのだ。私自身は”大したことのないモノ”と認識していても、彼にとっては”十分に価値があるモノ”なのだ。

このように、今まで関わることのなかったコミュニティに自らを発信する事は、自らの新たな可能性を拓く事に繋がる。

そしてそれに付随して、出会う人間も増える。そこからまた新たな世界を知る。

↑イメージ図。発信を通して生方聖己を再編する。


勿論、サッカーという分野の中でも私の事を今までは知らなかった人と繋がれるだろう。もしかしたら、成長に伸び悩んでいる中高生のサッカープレイヤーと繋がり、私の知見から彼らに価値を提供できるかもしれない。

ただ、私が期待しているのはサッカー外との接点が生まれる事である。

”南米”という接点を通してサッカーだけに限らず様々な人と出会うかもしれない。
私が経験した決断を下すまでの葛藤は、サッカー界に止まらず人生の岐路に立つ様々な分野の人の間で共感を生むかもしれない(”意思決定”という接点)。
私が最底辺から今まで這い上がった成長プロセスは、サッカー界に止まらず他のスポーツ、教育界にとって価値のあるモノかもしれない(”成長プロセス”という接点)。

上記以外にも、自分が想定していなかった領域との繋がりが生まれるかもしれない。


生方聖己をアップデートし続ける為にも、発信していきたいと考えた。





最後に


私は怖かった。社会的信用を失う事が。今までの私を支えてきた「早稲田」という看板。


そして、この看板を有してより大きな看板を求めていた過程で私は、私がずっと追い求めていたこの世界の本質、人間の本質、人生の本質を見失っていたことに気づいた。


私がレールを降りた本当の理由


それは、人生のサードドアは常に存在しているという事を知ったから。


そして私の中には、そこを自ら切り拓いていくエネルギーも視点も、一切廃れる事無く存在していた。



「サッカーなんてやって何に成る? 将来は?」

「日本で何も残せないお前が上手くいくとは思えない。目先の事しか見えていない。」

「人生が豊かにならないよ」


人生の豊かさって何だろう


「目先の事しか見えていない」


目先の範囲がどこまでかは私には分からないが、少なくとも私は100年生きると仮定し、人生の再定義を試みた。

しかし、結局真髄に近づく事はできなかった。

なぜなら社会は変わるから。

唯一明確に分かったのは、生きている限り生方聖己は存在し続けるという事。



人生は儚い。

これを本当の意味で理解している人間は少ない。

私に残された人として生きる事ができる時間も僅かである。

私にはもっと知りたい事が沢山ある。

文化・文明・歴史・社会構造・人間の本質・人類が存在する所以。

きっと一生懸けてもたどり着くことができない。

しかし、少しでも近づく為に私は、今抜け出さないといけない。

今じゃないと駄目だ。

自らで、自らの心と身体で歩まなくてはいけない。

その日を迎えるまで。








ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。

改めまして、もし個人協賛していただける方がいらっしゃいましたら以下のフォームから、何卒宜しくお願い致します。

備考欄の所には、最近悩んでいる事を書いていただいても良いです。自分なりの視点からご回答させていただく事も出来ます(毎年この時期になると、数件程インスタやTwitterを通して受験生からの相談が来たりします。)

また、南米に事業拡大を考えていて、現地の生きた情報を求めている企業様などがいらっしゃいましたらご連絡お待ちしております。学生起業家の方も是非。
SNSアカウントorメール(seinacasillas0817@icloud.com)

インスタやTwitterでの拡散も是非宜しくお願い致します。


本当にありがとうございました。

明日からの発信も、見て頂けたら幸いです。

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