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しなければならない事よりしたい事を重視しよう

人はどうしても、「~しなければならない」「~すべきだ」というような考え方に自分自身の行動を縛っていることが多い気がします。

仕事などでも、したくて仕方のない仕事をしている人っていったいどのぐらいいるのかと思います。
私などは比較的自分の好きなことを仕事にしているので、その点は恵まれていますがそれでも「~しなければ」という思いに駆られてしまうとなんというか、仕事の楽しさが半減してしまうように思います。
せっかく好きなことを仕事にできているのに、自分で自分を縛っているところがあります。

ごく簡単なことで言うと、子供のころは朝起きるのが嫌だと思ったことなど一度もなかったように思います。朝ごはんを食べるのが楽しみで起きていたし、「起きたいから起きる」ということが自然にできていました。
でも、大人になるにつれ、「朝起きるのがめんどくさい」というようになり、今などは朝ご飯の支度をするのがもはや一つのルーチンになっているせいか、全然楽しみではないので「朝起きれない」という現象が起きています。
要するに起きなければならないからアラームで無理やり起きているのです。

そういう意味で日々の行動を見直してみると「~したい」と思ってやっていることが一体どのぐらいあるでしょう。
もちろん楽しいイベントがある日や、友達と会う日などは欲求を満たすことができるのでそういう日は喜んで朝も起きています。
でも、日々の仕事や家事などは仕方なくやっていることがほとんどです。
これらも考え方で誰かが喜ぶことを想定してやっていけば「やりたいこと」に変わっていきます。仕事は特にそうで、クライアントさんをハッピーにできるからこそやっているのですから、そういえば仕事を始めたころはそういう気持ちでいたのにいつしか当たり前になっていて、クライアントさんに感謝する思いが減っているのではないかなと思ったりもします。

私はもともと自分が不完全だからこそできる仕事だと思ってやっているのですが、(それだけは変わらないです)心から仕事に対して「やりたい」と思ってやっているかというと、日々の家事に追われ(こちらはもう完全に「やらなければならないこと」にしかなっていません)純粋に楽しめなくなっていることに気づかされます。

要するに家事のような「やらなければならないこと」を重視してしまっていて、仕事という本来「やりたいこと」までもが「やらなければならないこと」になってしまっているのです。
遊びに行く日などの家事は手抜きしても納得できるのですが、そういえば昔は仕事の忙しい日のほうが家事を頑張れたのに、今はどちらも頑張れなくなっているという悪い流れになっているように思います。

自分で勝手に家事に追われている状況を作り出しては億劫になってしまっているのです。
正直家事よりも仕事のほうが「やりたいこと」としての優先順位が高いのに「家事をやらなければ人としてダメだ」というように勝手に縛っています。
小さい子がいるわけでもないのに、勝手に大義名分をつけているだけです。

「朝活」なる言葉がありますが確かに朝の二時間ぐらいはとても重要です。午前中にある程度の家事を済ませてしまえば午後からは自由な時間になるのですから、充実した時間を使うことができます。
起きなければいけないと思うと体が起きませんが、起きたいと思えば自然と起きることができるという考え方は確かに有効だと思います。

やりたいことだけをやっている人は心に余裕があります。

朝起きたいと思えるように生活のパターンを変えていくためには考え方を変えた方がいいでしょう。
まずは朝起きたくなるような部屋にしないとダメですね。
いい「気」が流れるように、年末少し張り切って掃除でもしようかなと思います。これもまた、やりたいと感じたらやろうと思います。

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