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春、韓国語を学びはじめた


 韓国語を学びはじめた。朝と夜に、ほんのすこしづつ、すすめている。

 気づいたらここ二、三ヶ月で、たくさんの韓国文学や韓国についての本を買っていた。心意気のある本屋さんをのぞけば、必ずといっていいほどおもしろそうな韓国の小説や詩、エッセイなどの本があり、話題のものも多い。

 気になっていた神保町のチェッコリ(韓国の本専門店)も訪ねた。韓国出身のおねえさんが、いろいろ丁寧におしえてくれた。

最近購入した韓国(にまつわる)の本
チェッコリにて

 
 アンテナをなんとなくのばしていると、ふとおもしろい出会いにもみちびかれた。
 広尾のアートギャラリーでひらかれた、アートコレクティブchannelによる「食口(シック 식구:韓国語で同じ屋根の下で過ごしながら、一緒に食事をする間柄を指す)」というワークショップへの参加はとてもすばらしい時間になったし(ファシリテーターの韓国からの留学生yubinちゃんは、たまたまわたしの友人の知りあいであった)、


食口ワークショップにて

 
 仕事でたまたま行っていた佐倉から一時間ほど、ということでタイミングが良かったのが、つくばの本と喫茶サッフォーさんでひらかれたハンガン・ヴィーガンのおふたりによる菜食の韓国料理をたべる会。

 わたしにとり韓国文学との衝撃的な出会いは、まずハン・ガンであり、今もいちばん好きな作家であるうえに、菜食はこの数年ほとんど馴染んでいる食生活でもあるから、みつけてすぐに申し込んだイベントだった。

菜食の韓国料理、ブッフェ式でおなかいっぱい



 中学二年生のとき、はじめて行った外国が韓国だった。夏休みを利用して市がやっていた、中学生の翼(という名前だったとおもう)という行事で、ソウルと釜山を旅することができた。閉鎖的な片田舎の子どもであったわたしにとって、はじめて外国の人と少なくない時間を共有する機会だった。
 
 現地の学校を訪問した。お互いの国のことばはおろか、英語もままならないのに、つうじている、とはっきり感じたことはわすれなかった。みんなで、アリランを歌った。家庭訪問では、初めて水キムチをいただいた。辛くなかった。日本人には感じたことのない韓国のお母さんの、柔らさの中の瞳孔がかっとひらいたようなまなざしが、しばらく影のように瞼にこびりついた。

 何がきっかけかは覚えていないけれど、ハン・ガンを読むようになり、他の作家も知りたいと少しづつ手に取っていった。日本の小説とは圧倒的に何かがちがう気がするけれど、何がちがうんだろう、それを感じたくて、どんどん読んだ。その答えの一つかもしれないものが、斎藤真理子さんの『韓国文学の中心にあるもの』を読むことでわずかに、分かったような気がした。

韓国の歴史もよくわかる読みやすい本だった



 そういえば、茨木のり子さんは、夫を亡くした喪失感のあと、韓国語を勉強し、訳本も出された。数ある言語のなかからどうして韓国語だったのかなと、それを知ったときは思ったけれど、ご本人も書いているように、明確な理由はわからないものかもしれない。私もよくわかっていない。

 去年の夏、いつも見ないテレビを出張先の手持ち無沙汰でつけてみると、たまたまセブンティーンが歌を歌っていた。なんだろうこの人たち、いっぱいいるんだな(13人)、となぜだか、見入った。それからひと夏のあいだじゅう、食い入るように過去のかれらのダンスやトークの動画を見ていた。

 でもなんだか、いちばんそばの国で、日本人とも見分けがつかないくらいなのに、ことばも、文化も歴史も、異なるところと交わるところがこんなにもあるというのがふしぎで仕方なく思えた。日本がしてきたことも含めて、知らなきゃいけないと知りたいが渦のように押し寄せてきた、そんな感じだった。文学やkpopが、それまでなんの関係もないと思っていたわたしの襟元をぐっとひねり掴んで韓国という場所へ手繰り寄せたと思う。

 暖かくなったら、二十年ぶりの再訪を計画中。まずはソウル、釜山も次に。慶州や大邱、光州もいつかは。六月、十一月の国際ブックフェアも行ってみたい。

 韓国にまつわる本で好きなのは、ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』、森崎和江さんのエッセイ『慶州は母の呼び声』、少し前に出た『密航のち洗濯』も読みごたえがすごかった。もっと韓国を、そこに生きた/生きる人びとを知りたいと思った。

 まだまだ読みたい韓国の小説、詩がたくさんある。いつか原文で読めるように、韓国語の旅路、一歩一歩をたのしんでいけたら。


ハン・ガン
初めて書いた、ハングル・・・!





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