【ぼくのお店のつくりかた】思い出した昔の自分

自分のディープなところに出会った1日だった。

大荒れの今日、いつも通りテントの中でカレー屋を営んでいた。

もうテントなんかシートが風にあおられてぐっちゃぐっちゃになってしまいそうな天気の中、一人の男が来店した。

「よう、まーくん。」

目の前には何年も会っていなかった中高の同級生の姿があった。

「久しぶりだな。」

お互いがありふれていて、でもこのタイミングにはこれしかないって言葉をかけあった。

今何しているのか、そんな話を繰り返してお互いの今の立ち位置を確認し合う。

そのあとに、同級生の友人は言った。

「まーくん、変わったよな、あんなに大人しかったのにこんなんなっちゃって。」

「大人しいマーくんが好きだったのにな。」

ああ、と思った。

ああ、ぼくは、大人しかったんだ。

なんとなく気づいてはいて、でも認めたくなくて、思い出さないようにしていたんだろうものが、ぽろっと目の前にこぼれ落ちた。

そうしたら、心の奥にしまっていたいろんな記憶や感情が蘇ってきた。

僕は高校生のころまで、ほとんどのことがつまらなかった。

本当の楽しいが何か分からなかった。

こうしなさいと言われたことにはそうするしかないと思い込んでいて、

自分を主張するのは恥ずかしいことだと思っていて、

自分にできることなんか大したことじゃないから、夢なんてみなかった。

当たり障りなく、命が終わるのをなんとなく待っていた、たぶんそんな感じだった。

当時はそれが生きるということだと思っていた。

だから、少しの楽しいことはあっても、楽しいそれを追い求めなかった、ほどほどの楽しみがいいんだと思っていた。

そこから大学へ進む。

大学に行かなければ死ぬと思っていた気がする。

死ぬほど勉強して、追い込まれすぎて軽い精神病になっていた気がする。

なんとなく、いや、たぶんリアリティーがある仕事しか選べなくて、一番近くで見ていた教師という道を目指した。

大学で自分の人生は180度変わったんだと思う。

いろんな出会いがあって、これまで持っていた固定観念がそれだけじゃないことに気付いた。

そして何より、教師になろうとしている自分が、教育の唯一普遍的な目的の「楽しく生きる」ということを知らなかった。

楽しいが何か分からなかった。

何をしたら楽しいか分からなかった。

そんな自分が、教師になって子どもに偉そうに教えてる絵を思い浮かべたら、吐き気がするほど気持ちが悪かった。

やりたいことをやらないで死ぬ恐怖におびえた。

そこから狂ったようにやりたいことを漁りまくった。

やりたいことをやるための恐怖より、やりたいことをやらない恐怖がまさって動きまくった。

小さなころ、世界一周をした、いとこの話を聴いて、魂が揺さぶられたけど心にそっと閉まったことを思い出した。

だから外国に行った。

先輩がヒッチハイクしてて、なんだそれってびっくりした、その衝撃に任せてヒッチハイクに挑戦した。

女の子に告白なんてしたことなかったけど、やってみた。

なんだそれって衝撃を受けたり、うわ怖って思ったことをやったら、何だか知らないけど今まで味わったことのない喜びがあった。

なんだよ案外いけんじゃん、って思う事がたくさんあった。

これしかないって思ってたことが、それだけじゃなかった。

1つしかないと思ってたものは無限にあって、

これが自分だと思ってた自分も無限にいた。

それからもいろんなことがあったけども、たぶんこの延長線上だ。

そんなぶりに会った友人は驚いていた。

そして、今のまーくんはまーくんじゃないって視線を送っていた。

戸惑った。

今の自分は自分じゃないのかな、と思った。

でも、思った、今僕は最高に楽しいから違ってもいいやって。

きっと昔の自分も自分の中にいて、卑屈になったり急にしゃべれなくなったりする。人目を気にしたり自分の可能性を低く見積もったりする、今も。

でも、そんなことがあっても絶対にあきらめちゃいけない指針は手に入れた。

「楽しいことをするということ、それは怖いものの近くにあるということ。」

今まで気づかないようにしてた自分を思い出してよかった。

しょーもないビビりで内向的な自分も、楽しいことを前のめりで突っ込める自分も、両方自分として向き合っていこうと思った。

2月20日、高校で講演会をする。

一度逃げた教育という世界にかかわる機会をいただいた。

そんなことも相まって、こんなことを強く思ったんだろう。

なにも飾らず、等身大の自分でぶちかましてこようと思う。

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