西成あいりん地区で僕がみたもの(2)

居酒屋に入ると店員さんが暖かく迎えてくれた。

お客さんの客層もかわっている。

口数少ないおじいちゃんが二人、メニューにない料理を黙々と食べている。

「ジュースいるか?」

店員さんはおっちゃんにジュースを差し出し、おっちゃんたちは、

「うまいうまい」

といいながら箸を進めていた。


頭のなかで想像する。

心やさしい店員さん。

おっちゃんたちはお金がない。

そういうとき、お店はお店としてでなく、炊き出しとして機能しているんだ。

いろいろな人が生活するこの地。

そんな中では飲み屋さんの働きも変わってくる。

「様々な人を受け入れるお店。」

そんな肯定的な捉え方をして、お店を後にした。

帰り際、私の話になる。

「カレー屋やってるの?食べたい!」

そんな話になったので、それでは明日作りますよ、ということで翌日の予定が決まった。


ここにいる人たちが私のカレーを食べてどんなリアクションをするんだろう。

公園で話しかけてもつれないおっちゃんたちとの会話の糸口になるかも、そんな気持ちで投げ銭カレーを敢行することとなった。


翌日、買い出しを済ませ店に行く。

店の机や調味料、洗い場も貸してくれた。

店先でのライブクッキング。

集う人々。

みんな見たこともないカレーだったようで、

「そんなカレー食いたくない」

「もっと綺麗に作れ」

「焦げる焦げるはよ混ぜい」

あれやこれや好き勝手なことをいってくる。

聞いていたらきりがないので料理に集中する。

結果的には大成功。


みんなウマイウマイと喜んでくれた。

ほとんど払う人はいなかったが、店のオーナーが1万円の投げ銭をしてくれた。

ライブカレーのあとはお店でビールを飲みながら集まった人たちの話を聞いていた。


疲れを癒そうと近くの銭湯へ向かっている時だった。

後ろから昨日隣の席に座ってたおっちゃんが追いかけてきた。

「どうしたんですか?」

『いや、案内してこい言われて』

おっちゃんはコミュニケーションが苦手な様子で、昨日からあまり会話をしてなかった。

ちょっとした世間話な感じで会話が始まった。

「おっちゃんは毎日あの店にいってるの?」

『あの店でしかごはん食べれないんですわ』

そうか、炊き出ししてくれる店はあそこしかないのか、そう思った。

『平日500円、休日1000円しかもらえないんですわ』

ん?どういうことだ、誰にだ?

「誰に貰うんですか?」

『あの店のオーナーです』

『俺は障がい者なんです、障がい者だから面倒みてやるっていわれて』


よく聞くとこうだった。

おっちゃんは知的障がいと診断されている。

一般企業で働くのは難しいので、福祉制度で月24万5千円をもらいながら、施設で働いている。

あるとき、さっきまでいたお店のオーナーに面倒を見られることになった。

面倒をみる、というのは、おっちゃんがこの街で生きていくための面倒。

お金、24万5千円を回収され、1日平日500円、休日1000円がオーナーから渡される。

家はオーナーが準備した家に住む。

ご飯はお店が空いている間なら食べさせてもらえる。

残ったお金は何かがあった時の為にオーナーが貯めてくれているという話。

つまり、おっちゃんはオーナーに24万5千円回収され、日々500円、1000円で生きるように管理されていた。


おっちゃんに聞く、それでいいのか。

『正直きついですよ。お金の管理も自分でできると思ってる。だけどここで限り自分でできるからなんて言えない。』


想像に容易い。

おっちゃんはこのまちで、完全に弱者で、反抗した瞬間このまちで生きていけなくなる。

『管理から抜けたかったらええで言われてます、その代わり生きて行けへんぞ、言われました』


翌日おっちゃんの話を他の人から偶然聞いた。

確かによく騙されているらしい。酒を飲めないのに無理矢理飲まされたりしているようだ。

誰かに守ってもらう必要があるのかもしれない。

そういう意味で、オーナーとしては筋がとおっているのだろう。

だけど、話を聞く限り、今の状態は完全に搾取だ。

強いものから弱いものへの搾取。

日本でこんな露骨な搾取を見たのは初めてだった。

そして、これをみたときに思った。多分大なり小なり、こんなことに溢れかえっている。気付いてないだけで。

怖くなった。

そしてなにより怖かったのは、こんなもんなんだろうと思っている自分だった。

居酒屋の回りのひとびとも、おそらくこの構造に気づいている。

そして、これがあたりまえになっている。

それにいとも簡単に染まりそうな自分がいた。


翌日、私はお店の人たちに作り笑いを浮かべながら西成を去った。

あのおっちゃんの為になにもしない、たぶんこれから先ずっと。

ここは西成だからと、あたりまえか、と頭の舵を切ろうとした自分がいた。

どうにかしようと思って書いている訳じゃない。

ただこんなことがありましたというお話。

まだ違和感を感じた。この違和感を感じなくなったらおわりだなぁと思った。

おっちゃんは今日も500円で生きているんだけど。




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