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心理的ダメージの5W1H (How編①)


目的・前提

①優しい人間になりたい=優しくない人間になりたくない
②優しくない人間=優しくない行動をする人間
③優しくない行動=人を傷つける行動

優しさ2.0を探るため、前提として自分の中でこの方程式を立てた。
そして、人を傷つける行動とは何かを5W1Hで考えたい。
物理的に傷つける人間は減ってきているので心理的な方を考える。

これは物理的に傷つけられている人を透明化する意図はない。
心理的な行為の発展が物理的な行為だと考えているので、心理的な殺傷行為を詳しく解いていくことは暴力などの根源を考えることにもなると考えている。

まずはHow(どのように)について。
人が誰かを傷つけるとき、方法は大きく2種類に分けられると考えている。
①意図的
②意図的でない

先に意図的に人を傷つける時のHowについて考える。

意図的に心理的ダメージを与える方法

(1)平均値や上位との差異を利用する
(2)相手の感情との差異を利用する
(3)人間の本能との差異を利用する

これらの3つの方法をとれば基本的には効率的に人に対して心理的ダメージを与えられると考えている。
一つずつ見ていこう。

(1)平均値や上位との差異を利用する

ブスやバカと言ってしまうのが簡単だ。
平均より劣っている部分や、たとえ平均よりは上だとしてもそれよりも上の人と比較して劣っている部分を指摘すれば人は簡単に傷つく。

しかし(1)には条件がある。
そのものさしが社会的に重要だとされてることだ。

日本に蔓延る容姿や学歴を贔屓する傾向を利用したものである。
これらのものさしは厳密には絶対的でないがほとんどの人間が家族や学校などにおいて、幼少期の頃からこのものさしにおいて優れているものが優遇され、劣っているものが冷遇されているためまるで人間の本能と錯覚するくらい根深く染み付いている。

厳密には絶対的ではないと言ったのはこれが幼少期からの刷り込みが原因あることに起因する。
「別に容姿が優れていなくても偏差値が低くても何も問題なくね?」
と言うスタンスの人間に平均値との差異や優位者との差異を指摘してもダメージはない。

つまり逆手に取ればこの点で傷つきたくなければ社会のものさしなど捨ててしまえばいい。

それが難しいことなど知っている。

(2)相手の期待値との差異を利用する

自分から好かれたそうにしている人間に「嫌い」と言えば人は傷つく。

相手の期待値を裏切るということだ。性格が悪いと言われる人間は(2)が上手な傾向にある。なぜか。相手の期待値を裏切るためには的確に相手の期待値を察知するという工程が必要であるが、それが上手だからだ。

相手が欲している言葉と逆のことを言うためには相手が欲している言葉を知る必要がある。性格が悪いと言われる人は相手が言って欲しい言葉を察知するのが上手いため、特定の人物に対しては耳障りのいい言葉ばかり言うことも可能だ。

特定の人間に対しては期待値に沿った言葉を返し評価を獲得し、
敵対する人間に対しては期待値と外れた言葉を伝えて傷つける。

こう言った人間に「性格が悪い」というラベルを貼られることが多いのは敵対する人間ととしてみなされた人間、つまり彼らの被害者が彼らが重要だと認識した人間に対してはうまく対応し社会的評価を獲得していく様子に対するある種の嫉妬のような感情を覚えるためではないだろうか。

自分は傷つけられているのにそいつが他ではうまくやっていたら
「性格が悪い」などというゴム製の刀で攻撃するくらいしかこちらにはやることがない。

「あいつ性格が悪いよ」と切れ味の悪い一揆を繰り返した結果自分のことを評価してくれていた人間からも「お前の方が性格悪くね?」と言われるくらいならハナから彼らに対する反撃など考えなければ良かったと後悔するが、その時にはもう遅い。

ちなみに性格が悪い人間の標的にされる人間は、人の期待値を察知する能力が低いように見えるのは気のせいだろうか。

その脆弱さを見越した上で標的を選んでいるとしたらやはり彼らは”性格が悪い”。

最後に、(2)は(1)と同タイミングで効果を発揮する場合がある。
(1)が有効であるのは先に述べたようにそれが社会的に重宝されているものさ足であることが条件である。
それに加えて「可愛く見られたい」「頭がいいと思われたい」と、社会が規定したものさしとは別に個人としてもこのものさしに対して優先度を高くしている者にとっては、(2)としても機能する。ダブルパンチだ。

社会的なものさしに個人のものさしも委ねる人間は斯くも脆い。

(3)人間の本能との差異を利用する

無視や仲間はずれにすることだ。

これは傷つけられる側が(1)の例外範囲のように社会的なものさしをどうでもいいと思っていても、さらには(2)のように何か特定の評価や特定の受容する行為すらも求めていない場合でも有効である。

なぜなら人間のDNAに刻まれた本能レベルで、孤独に対しては危険感やネガティブな感情を抱くからだ。そして孤独感が人間に与える損傷の甚大さは先日のnoteにも書いた。孤独はやばい。

「こいつにどんな言葉を投げても全然傷つかない。じゃあ本能に訴えかけよう。社会からの除外だ。」

これが人を心理的に傷つけるための最終手段かもしれない。
「別に俺一人でも全然平気だし。」と言う人間にもじわじわと聞いている可能性は大いにある。

しかし彼らがコンピュータや人間以外の生物、文学、信仰などを背後に構えている場合もしかしたら唯一の無敵層かもしれない。


次回は意図的ではなく人を傷つける場合のHowについて考えたい。

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