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ドームのセンステから飛び降りる。【第5話】

「愛してなんかない」
気付けば、叫び出していた。
「あんたが私のことをどうでもいいと思ってるの、知ってるから」
授業参観も、懇談会も、発表会も、全部来なかったよね? おばあちゃんは足腰が悪かったから、最低限の三者面談だけ来てくれたけどさ。私、親子でやる運動会の種目、一人で走ったんだからね? 皆、お父さんとかお母さんと楽しそうに走って、お弁当を囲んで、応援されてたよ。でも、私は友達の家族の輪の中に入って、優しかったけど疎外感の中でお弁当を食べた。全部、全部あんたの所為なんだよ。菜々子。学芸会も、私はオーディション受けてしっかり主役を勝ち取ったのに、おばあちゃんが骨折して来られなくて、おじさんが来てくれたよね? でも、おじさんも仕事があったから途中で帰った。仕事も外せない予定もないあんたが来れば、全部解決したんだよ。なのに、恋人とどっかへ消えて、姿眩ませ続けたあんたに愛なんて語る資格はないんだよ。
「なあ、菜々子ちゃん。俺と一緒に幸せな家庭築こうや。今からでも遅くないだろ?」
母親は泣き崩れて、何も喋らない。操り人形のように、感情もなく動けなくなっている。
「遅いんだよ、もう。あんたが神社の絵馬に、一葉ちゃんが幸せになれますように、って書いてたこと聞いて反吐が出たわ。あんたに願われて叶うほどの陳腐な幸せも、私は手に入れられないんだよ。優しくて純粋無垢な、理想の娘像押し付けてくるなよ。あんたの所為で、私の人生に傷と汚れがついたの」
母親が口を開いた。
「ご、め、ん、ね、か、ず、は、ちゃ、ん」
等間隔に間をとりながら、ゆっくりとその文章を口にした。そして、立ち上がり部屋を後にした。恋人らしき人も帰っていった。
 
 部屋の中に静寂が波紋のように広がる。澪を放ったらかしにしていたことに気付き、和室へ駆け込んだ。
「ごめんね。なんか、汚いもの見せちゃったね」
「怖かった。けど、一葉ちゃんが背負っているものを知らずに友達でいる方がよっぽど怖かったのかも」
ちょうど入れ違いで、海鮮丼が届いた。
「私、決めたから」
何? と訊くと澪は答えた。
「一葉ちゃんを守るよ。小さな力かもしれないけど」
「私も、澪を守る」
「AIのstoryみたいなこというじゃん」
親にも守られていないのに、今更守られ方とか、守り方がわかるか知らない。けど、本能的に澪を守りたいと思った。そして、澪は私を守ってくれるのではないか、という信頼もある。
 すっかり辺りは暗くなって、人家に灯る明かりがくっきりと見えるようになった。
「澪、先にお風呂入ってきていいよ」
お言葉に甘えて、と澪はバスルームへ消えた。僅かに水音が聞こえる。
 まだ、生産性という言葉が引っかかっている。菜々子みたいな無責任な人の無責任な行動の副産物が、私だ。そういうことも全部ひっくるめて、もう一度家族を始めようと一緒に住んだけれど、菜々子は戻ってこない。結局、同じ家に住んでも幸せになれなかった。私のように、不幸な子どもが増えるだけなら、生産性なんてなくてもいいのに。どうせ、生まれてきても絶望しかないのにどうして生まれてきてしまったのかな。
 息が苦しい、喉に何かが詰まっているような感覚になる。涙が出てくる。息が上手く吐けない。
 ドアが開く音がした。澪が来る。どうしよう。
「一葉ちゃん? 息できてる?」
何も言えない。頭がふわふわしてきて、瞼が重い。
「これ、ビニール袋。天井を見て、体の力を抜いて。大丈夫だよ」
霞みがかっていた視界が、鮮明に切り替わった。ビニール袋、ああ百均で買ったやつか。
「ありがとう、澪」
「まだ安静にしてた方がいいよ」
澪は鎧を脱いだ姿だった。女の子の姿、学校で見るのと同じような顔だ。
「早速、守られてばっかりだ」
「いいよ。困ったときはお互い様」
少し赤らんだ頬、濡れた髪、パジャマ。綺麗だ。お腹の下の方が疼いた。
「なんで、過呼吸の対処法わかるの?」
「お母さんがよくヒステリックになって、息できなくなるから」
なんとなく、そうだと思っていた。澪のお母さんも、なかなか難ありに見える。
 私もお風呂に入ることにした。身体を温めると、生気が戻ってくるようだった。
 二人で髪を乾かした。私の短い髪はすぐに乾いた。お互いの髪にタオルで触ったり、ドライヤーを当て合ったりした。
「よし、寝る?」
「ちょっと、スマホだけ確認させて」
スマホを立ち上げた。すると、SNSの通知が何件かきていた。
「ねえ、澪。やばい」
どうした? と呑気にこちらを覗く澪。画面の向こうでは、かなり残酷な事実が証明されようとしている。
「彗が、つぐみちゃんと付き合ってるの? 本当に?」
「たぶん」
エンタメになるだけの恋愛、観客が楽しむための妄想を超えている。確証はなかった。現状はネットにつぐみちゃんの投稿がばら撒かれているだけだ。もうその投稿は消されている。本当かどうかは、他人には判断できないと思う。
「ライブ行かない」
それだけ言って、布団に潜り込んでしまった。
「まだ決まったわけじゃないからさ、ね?」
返事がない。本当に眠っているのか、狸寝入りか。仕方がなく、私も寝る。
 つぐみちゃんは、裏垢に投稿するはずだった文言を公式の方にあげてしまった。この時点で、かなり問題は大きい。裏垢を持っていたというのも、世間に露呈した。
 澪には申し訳ないけれど、つぐみちゃんも応援している側としては炎上を鎮火させたい。そのためには、触れないことが一番だと思う。渦中にいる人にも、いつもと同じように接する。直接会うわけでもないけれど、騒がない方が賢明だ。
 そういう意味では、ライブに行かないのが正しいのかもしれない。どうせ、悲しくなるだけというのもわかる。でも、こんなただの噂で崩れるほどの愛だったっけ? 熱量だった? 澪が心配になってくる。
「ねえ、一葉ちゃん」
やっぱり、起きていた。
「私が彗のことを想っている時間ってさ、」
うん、と軽く相槌を打つ。
「何も生み出さない、生産性のない時間なのかな」
今の澪には、午前中のような、彗は私のものですからという覇気が失われている。そして、生産性という言葉は恐らく恋愛をしている少数ではない人の心を抉った。
「そんなことないよ」
「そんなことなくないと思うの。だって、お金がかかるだけじゃん。彗はそれで儲かるかもしれないけど、私に得はない気がする」
「でも、彗を見ているときの澪は輝いてるよ」
綺麗だよ。あんなに女の子をキラキラさせられるのは、充分な才能だよ。歌とかダンス、トーク以外にも恐らくカテゴライズできない魅力があるのだと思う。
「私が輝いたってどうにもならないの。誰も見てないし、世界の端っこでうっすら光っているだけ」
「私が見てるよ。今も」
 なぜだか、好きだと気付いた頃には遅かったような気がする。彗しか愛せないということを知ってしまってからでは、遅すぎた。だから、今想いを伝えたとして、それは泡のように感情の波に呑まれて消える。
「私、澪が好きだから」

To be continued…

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