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ドームのセンステから飛び降りる。【第8話】

 セクシュアリティは、アロマンティック・アセクシュアル。聞きなれたものではなかった。BLとGLをかじってきたから、レズビアンとかゲイとかバイセクシュアルがあるのは知っていた。あと、トランスジェンダー。
 どうやら、私は恋愛と性的なことに興味がないタイプの人間ということらしい。それが、証明された。でも、今は彗が好きだからアロマンティックとは言えないかもしれない。そういうことを諸々、一葉ちゃんに話した。引かれると思ったけれど、意外とそうではなかった。
「私もやってみようかな」
それだけさらっと言って、次の話題にいった。そうやって空気を重くしないのが、クラスの一軍だと思った。
 生産性って言葉はおかしいよ。この思いも一葉ちゃんと共有したかった。けれど、もしかしたらそれが一般論なのかもしれない、とも思う。
 言葉選びを間違えただけで叩かれているけれど、お母さんが私にする反応や、クラスメートの反応と似ている。お母さんは、
「きっと、いい人に出会えば変わるわよ」
と言った。まだ、若いんだし、これから出会うかもしれない、と。でも、それはないと何となくわかる。だいたい、本人じゃないのになんでお母さんが運命とか決められるのだろう。
 クラスメートが直接私に話しかけてきたわけではないけど、男の子が好きな人以外への排他的な空気感はある。男になんて興味ない、って宣言できる子への対応を見てわかった。でも、逆にそういう子は羨ましい。自分の好きなことを突き通す人は、いつだって輝いている。わかる。でも、私には無理だ。
 狂ってる、ってクラスの女の子たちは言っていた。陰で。本当は嘘で、男の子に近づきたいから言っているだけなのではないか、とも言っていた。でも、私がその子から感じたことから言えば、全く演技していたり猫を被ったりして近づいている匂いはしなかった。人を観察するのが好きだから。
 そして、いつもドッジボールしに休み時間は校庭に出て行っていた。肌が浅黒くて、でもそれが格好良かった。その子の雰囲気が、どことなく一葉ちゃんと似ている。
 狂っているのは、そっちの方だ。それは言い過ぎでも、世の中には偏見が蔓延っているように見える。偏った、多数派が得をする見方。それが、世間的には正しいと言われるらしい。
 好きなものだけで優劣をつけられた。女の子らしい趣味、小さい頃だったらシール集めだったりお絵描き、あとは人形遊びだったりをしていた。でも、サッカーやドッジボールをしてワイワイしている子は、ちょっと変な目で見られていたと思う。ヲタクはモテない、小説ばっかり読んでいると陰キャっぽい、腐女子は恥ずべき。そういう風潮は、必ずある。個性を認めろ、と言われても優劣はつけられてしまうものだと思う。
 それでも、好きな「こと」や「もの」は尊重されるようになってきた。ヲタクが生きやすい世の中になってきている。でも、好きな「ひと」に対してはまだ偏見がある。
 物に恋する人もいれば、動物に恋する人もいる。私みたいに、実際に会えない人に恋する人も多くなってきている。それを一まとめにして、生産性がない、と言っているとしか私には思えない。まるで、異性同士で結婚して子どもを産むのが正義みたいに。それが、ずっと疑問で、不思議だ。この発言がなくても、気になっていただろう。
 リアコと非リアコの違いって、推しを「もの」と見るか、「ひと」と見るかだと思う。好きなもの、カテゴリーとして好きなのが非リアコ。所詮、アイドルって商品だもんね。私たちは消費者。それに似た思考を持てば、意外と健全にヲタクができたりするのかもしれない。でも、私にとって彗は好きな人なんだ。現実に存在する、たった一人の好きな人。そうやって、自分に近づけて考えてしまうから、恋愛みたいになっているのかもしれない。
 
 一葉ちゃんが、再び布団に入った。
「寝るの?」
「うん。寝だめしないと、無理。やっていけないね」
部長は大変だもんね、と曖昧な返事をした。キャプテンだもの。私にかかる重圧とは比べものにならない。
 荷物を片付けて、一葉ちゃんの部屋を出た。イヤフォンを装着して、一葉ちゃんのつくったプレイリストをかける。宇多田ヒカルと椎名林檎しか入っていない。
 私が生まれた頃から、小学生くらいの曲かな? それらをぎゅっと抱きしめて、自分の家までの坂を上る。不朽の名作、名曲があると信じて。私は椎名林檎の「幸福論」が好き。可愛くて温かくて、少し脆い。それが魅力なんじゃないかな。一葉ちゃんが好きな理由もわかる。でも、大抵の曲は恋愛やエロティシズムに関わるもの。だから、私には無関係っぽいものでもある。でも、全く色褪せなくて、心を癒してくれる。仮に恋愛をしていないときでも。
 幸福論といえば、ラッセルだな。
 お母さんはクラシックしか聴かなかった。クラシックバレエやピアノも習わされた。最近、バッハしか聴かないし。
 恋愛してこなかった分、ありとあらゆるものに愛情を注いできた。たった一人の友達を、趣味の音楽、小説、そしてアイドルを愛してきた。
 一葉ちゃんは、私が生まれてくる過程、育ってくる過程で諦めてきたことや、投げ捨ててきたものを全て拾い集めて持ってきてくれた。友達をつくるということ、アイドル以外の音楽を聴くこと、愛されること。恋愛をしないことを肯定してくれる人と出会うこと。
 世の中に抗議しているような一葉ちゃんは、私にとっての光だ。彗もまた、光だった。あの二人もまた、どこか似ている。一葉ちゃんもある意味ではアイドルだから。それとも、なんか違う。私があの二人を何の憂いもなく愛することができるのは、きっと何か理由がある。あの二人を見ていると、世の中の方が間違っているような気がする。私だけを照らされないところに連れていった一般論が、全くの紛い物だとわかった。
 私はまるで離島の住人みたいで、向こう岸から差し込む光が彗と一葉ちゃんだ。その二人は、私を世界に繋ぎ留めてくれた。

To be continued…

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