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【短編小説3/4】五月病と不在着信(仮)

3 さよならの今日に

 ただ漠然とした辛さが付き纏う。足枷あしかせのように、歩みを拒むような重い空気。手錠みたいな愛情。四六時中、檻の中にいるみたいだ。
しょうくん、今日お母さん遅いからね」
「いつもじゃん」
「まあ、そうやな。ごめんな、こんな母親で。嫌だよね」
それに気づているなら、早く自己解決してほしい。改善への努力が見当たらない。
「どこいくん?」
「カラオケで会った人のところ」
スナックやろ、とジャブを打つ。なんで俺は、母親に右ストレートもできないのだろうか。こいつが元凶なのに。
「いってらっしゃい」
「お姉ちゃんは? まだ学校?」
「よう知らんわ。どうせ、サボってるんちゃうん?」
母はイヤリングを揺らしながらため息を吐いた。
「翔ちゃんにはいつも迷惑かけとるよね。ほんまに、ごめんな」
中学生にもなる息子の頭を何回も撫でて、母はヒールで出ていった。

 お姉ちゃんみたいには、ならない。必ず、サボることなく通い続けた方が良い。学校に行かなくても成功できている人は一握りだって、わかるから。ネットでそのくらいの情報は仕入れられる。成功例ばかりが見えるけれど、それは全て突飛なことが起こる。希有な才能、運、タイミングに恵まれなければ失敗する。母のざっくり開いたトップスの背中から、義務教育の大切さを悟った。

 スマホが振動する。着信拒否するか、否か。やはり、出るしかないか。
 玄関にリュックを放り捨てて、りょーちゃんに電話をかける。
「りょーちゃん生きてる? 今日のラジオ聴くよね?」
甘ったるい声に胃もたれする。紛らわすために炭酸を開けた。
「うん。メールスタンバってる」
「こっちもストックしとく。あと、もうそろ五月病になるわ」
「まじかよ。抗えず?」
広義で社不。——愛梨あいりは純粋だから、身の回りで起きたこと全てをそのまま受け入れてしまうのだろう。俺は、穿った見方しかできないし、事実を曲げてしまいたくなる。愛梨は中途半端に希望が捨てられていないから、メンヘラアピールしかできない。少し、母に似ているところが苦手だ。
「私、去年引き良かったのに一週間休んだんだよ。今年はもう二週間決定したようなもんだわ。一か月の半分行けない」
「こっちは必死なのに、萎えるわ」
お姉ちゃんみたいにはならない。そう決めた。必ず、サボることなく通い続けた方が良い。学校に行かなくても成功できている人は一握りだって、わかるから。ネットでそのくらいの情報は仕入れられる。成功例ばかりが見えるけれど、それは全て突飛なことが起こる。希有な才能、運、タイミングに恵まれなければ失敗する。母のざっくり開いたトップスの背中から、義務教育の大切さを悟った。
「だって合わないんだもん。部活飛んで終わったし」
「出た、女バス幽霊部員。毎回飛んでるだろ」
お姉ちゃんもよく部活を飛んでいたらしいから、わかる。確実に、部内の人間関係や秩序を乱すことになる。
「そろそろ仮病使えないよね。お母さんも心配すると思う」
「そりゃダメだ。あなたの両親、親バカじゃん」
「うーん。世界ランキング35位くらいかな」
うちの親は何位だろうか。きっと下から数えた方が遥かに早い。だけど、母は自分の子どもを好きでいる時期と、興味のない時期が混在する。どちらが、俺にとって幸せなのかわからない。
「それ、結構だよ? 世界甘く見すぎな。あと、甘やかされすぎ。学校行け、って頑なに言ったらつまらないだろ? だから、ゴールデンウィークに東京行くわ、俺」
「は? それこそ、両親心配しないの?」
するわけない、と言いかけた。でも、今の母なら心配する可能性もあるか。
「ないだろ。中二男子が一人旅したところで」
「え、会おうよ」
会いたいと言えば嘘になる。所詮ネッ友だし、そもそも友達の必要性がよくわからない。ただ、こいつになら右ストレート打てるような気がするのだ。実際に殴るのはよくないとして、言葉でも何でも投げつけてしまいたい。他人の愛梨に。理性とか常識とか、モラルとかかなぐり捨てて俺は殴ってしまうのだろうか。
 この不条理を、キングボンビーみたいに誰かになすりつけられたなら。言葉なり、表情なりで伝えられたら。ほんまもんの友達がいたなら。そう思っても、近くにいれば殴りたくなってしまう気がする。手を出さないように注意していても、恵まれている人間を前にして抑えられるわけがない。
 その掃き溜めみたいなものが、Twitterでありインターネットなのかもしれない。あるいは、深夜ラジオ。あそこには本当の”広義で社不”みたいな人がうじゃうじゃいる。いい意味で。学校に馴染めない、仕事ができない、そもそも就職できなかった、俺と同じく家がぐちゃぐちゃの人、居場所がない人たちが集まって傷を舐め合っている。もしくは、殴り合っている。そんなスラム街のような場所が心地良い。うまれ育った街もそんなもんやし。

 東京に行くだけなら、家でというよりも小旅行に近い。どこに行こうが、どこで寝ようが母には興味がないことだろうから。家を出たことに気づくのも時間がかかるはずだ。バレる危険性がなかったとしても、お金が足りない。
 まだ、お年玉を貯めてあるはず。お母さんには見つからないように、と祖母に通帳を渡された。タンスの二番目の引き出しの奥。鍵のパスコードは俺の誕生日。数字に弱い以前に、俺を記憶から抹消する母には開けられない。
 ゴールデンウィークに上京できれば、芸人の単独ライブに行ける。いつものラジオのパーソナリティーをしている芸歴のまだ浅いコンビ。明日から受付で、ネットから申し込む予定だ。
「開いた」
可愛らしいディズニーキャラクター柄の通帳。色は少し褪せているが、新品のように綺麗だ。一ページずつ開いて、残高を確認する。
「1206円?」
思わず、呟いてしまった。そんなはずはない。母があんなだから、俺に同情したり、気にかけてくれる親戚はいる。祖母やその周辺にいる人たちは特に、毎年お年玉をくれていたはずだ。それを祖母に預け、記帳したと聞かされていたのだが。
 祖母がお金を入れた形跡はある。ただ、その後に引き出されている。祖母に訊くしかない。
「どういうこと?」
「ん? またお母さんが使ったんか。実は何回もそういうことあったんよ。その度に移し替えたんやけど、ダメやったか。ほんまに、何してんねんあの子」
ごめんな、と祖母は何度も申し訳なさそうに言う。別に、そんなのは求めていない。ただ、お金と母への信頼が消えていくだけだ。
 ”カラオケで会った人”に貸してしまったのだろうか。息子のお年玉を。

 考えるより前に指が動いていた。通話ボタンに親指を置く。

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