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ドームのセンステから飛び降りる。【第13話】

 3 古谷日葵ひまり
 
  二〇五号室の鈴木さんは元アイドルらしい。
「ってか、日葵ちゃんさ、前世で大統領とかやってたんじゃないの? 看護実習で月島彗を担当するなんてさ。そうだとしか思えない。そうじゃないと、理由にならないよね。前世で徳積んでたんだね」
「なんで、現世で徳積んでないみたいな感じで言うの?」
笑、って感じ。最近、普通に話していても頭の中で文字起こしされちゃう。
「っていうか、そもそも精神科に行くこと自体はめっちゃ最悪なことなのよ」
食い気味に真依が言う。
「でも、月島彗じゃん。会えてんじゃん、月島彗に」
「でも、憔悴してるよ、だいぶ。まあ、だいたいあそこにいる人はそうだけど。精神科病棟だからね」
別に、鈴木さんとしても、月島彗にも興味がない。ただ、患者さんは患者さん。患者さんとして接するのが、真っ当な仕事。
「日葵ちゃんってさ、なんかサバサバしてるよね。医療の現場って鍛えられるの? 精神面とかも」
「鍛えられるっていうより、削られるよ。あと、これは元々じゃない? 何かもう全部がどうでもいいの。アイドルも興味ない。ただ、お金があって、友達がいて、それなりに幸せを感じられたらそれでいい」
無理はしていない。私に合う生活、見合った暮らしがあるはずだから。それだけを求めて、欲を殺すということ。それが、私の周りの人たちには足りていない。だから、いつまでも幸せになりたい、と嘆いているんだよ。
「偉いね。何か、悟り開けそうじゃん」
「そんなことはないけどね。人の心は悟ってきたけどね」
自虐気味に言ってみる。真依はたぶん聞いていない。
「ねえ、サイン貰っておいてくれない? 私がSTAR’sのこと好きだったの知ってる? もう解散しそうだけどさ、彗が一番人気だったし」
「自分で貰ってよ。ある意味、職権乱用でしょ? 私がサインせがみに行ったら」
それもそっか、と妙に納得する真依まい
「あ、日葵ちゃん、シフトはどうにかしておくから、また近況教えてね」
最期まで聞く前に電話を切った。
 本当に真依はミーハーだ。お互い、大学に入ってからバイト先で出会ったけれど、高校生の真依、中学生の真依、小学生の真依がどんな子だったか手に取るようにわかる。そういうのって、案外わかってしまうもの。というか、私が察してしまう。たぶん、人気者で、周りから何の悩みもなさそう、と言われてきた部類の人に違いない。可愛いし、面白いし、明るいし、私とは正反対かもしれないけど仲は良好。
 しかし、真依には到底話せないけれど、精神科病棟って修羅場以外の何でもない。というか、地獄絵図。患者さんが悪いわけではないことはわかっているけれど、たまに憎みたくなる。逃げ出したり、物を壊したり、大声を上げたり、錯乱状態になったり。一部の患者さんだけれど、毎日それなりの事件に囲まれている。
 月島彗改め、鈴木彗さんは二〇五室にいる。精神科病棟のベッドとか、病室ってかなり特殊。逃げ出せないように、窓から飛び降りられないようにするための工夫が施されている。工夫と言えば聞こえがいいけれど、そんなもんじゃない。ほぼ、牢獄。それだから、余計に気が病むのも理解できる。でも、事が起きては遅いから、それを未然に防ぐしかない。
 ただ、鈴木さんはそういう環境にいるのだ。真依はわかっていない。
 二〇五号室の場所なら、外の桜が綺麗に見えそうだけど、鉄格子じゃどうにもならないよな。せっかくいい場所なのに。去年向かいの棟に入院していた妊婦さんは、桜が咲く時期を心待ちにしていた。切迫早産だったから、予定日よりもだいぶ早く陣痛がきてあっという間に退院してしまった。
「古谷さん、ちょっと隣の病室見てきて」
一秒間あたりの言葉数が尋常じゃないほど多い。私も十年くらい働いたら、同じようになるのかな。聞き取れている私自身にも驚く。強豪の野球部ばりに何言ってるかわからない。英語のリスニングテストみたい。でも、聞き逃すとまずいから、耳の感覚を研ぎ澄ます。
「わかりました」
こちらも、なるべく早く返事をする。気持ち的には、っかりっした、と発音する感じで。
 戦場だ。朝も昼も夜も。寝る暇も休む暇もない。真依と話したのは、何日前? 休日ならかろうじて、って感じだったと思う。でも、勉強しないと一人前になれない、いつまでも足を引っ張ってばかりだ、って言われるから休日もほぼ勉強。
 患者さんに思いを馳せる時間なんてものはないのだけれど、ふとしたときにどうしてこの人はここにいるのだろう、と思うことがある。ごくまれに、だけれど。そんなことを考えている暇もないのが現状。でも、外的要因と内的要因があるけれど、だとしたら入院している人の何パーセントが外的要因で精神を病んだのだろう。例えばブラック企業で働いていて睡眠時間を削られた挙句、パワハラに遭ったとか。いじめに遭ったとか、あとは身近な人の死とか、誹謗中傷とか。あるいは、もともとの考え方の癖もある。でも正直、私が遭っていてもおかしくないようなもののような気もする。だから、いくら話が通じなくても、暴れまわっても、なるべく丁寧に寄り添ってあげたい。慣れてきたらいずれそんな考えも消える。というか、そもそも私が将来、精神科にいることは考えられない。
 鈴木さんが大うつ病になった理由は忘れた。なんだっけ。でも、たしか誹謗中傷だった。アイドルだったんだし。
「ちょっと、ぼーっとしないで。二〇五号室の鈴木さん、昼食の時間」
目の前で手をぱちんと叩かれた。まるで、眠りかけの人を起こすみたいに。私、まだ寝てないですよ?
「っかりっした」
なんで、よりによって精神科なんだよ、って思ったけど、たまに掴みかかられたりするけど、勝手に病院の外に出ようとする人もいるけど、それでも頑張って生きてほしい。完治が難しいとしても、死んじゃダメ。看護師を目指すようになってから思うけど、元気にならなくていいから最低限辛くならないようにしたらそれでいいんじゃないかな。辛くならない、って表現も曖昧だけれど、ぴんぴんの状態じゃなくていいから、ギリギリ立って歩けるくらいでいいんじゃないかな。心の傷は完治しないもの。誰の行動が、どんな言葉がかさぶたを剥がすかわからないし。
「鈴木さん? 入りますよ」
本当は入りますよ、とかあんまり言わないらしけど。
「どうぞ」

To be continued…

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