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ドームのセンステから飛び降りる。【第9話】

 私が初めてライブに行ったときも、そう思った。彗が私を変えてくれると信じていた。リアコということは自覚していなかったし、絶対にならないだろうと安心していた。でも、ライブに行ってからは少しそれが揺らいだ。
 思いが揺らぐことがあるように、セクシュアリティもまた揺らぐことがあるらしい。だから、お母さんが言った、運命の人に出会えば変わるというのも間違ってはいないのかもしれない。でも、私には不快だった。
 彗が運命の人だって、昨日までは思っていた。会えなくても、話すことができなくても、触れることも、視界に入ることもできない。それでも、一方的に運命だと言うことはできる。でも、結局それは思い違いだった。
 私がこんなにも傷ついているのは、彗に裏切られたと思ったからじゃない。彗には彼女がいて、その子と仲睦まじいメッセージを送り合って、仮に一緒に寝ていたとしてもどうでもいい、と思ってしまったからだ。あんまり衝撃を受けず、傷ついていないことに、傷心している。
 なんて、私はどこまでも中途半端なんだ。それだけが、頭の中を渦巻いている。やっぱり、恋愛なんてできていなかったのだ。
 一葉ちゃんが、田中くんの話をしているときは楽しそうに見えた。人生の半分とは言わなくても、恋がない生活は少しだけ損しているのかな。そう思うと、勝手に足が動いた。来た道を引き返していた。
「え、澪」
「一個だけ訊いていい?」
一葉ちゃんは耳の後ろを掻いた。そして、わかった、と承諾してくれた。
「あのさ、田中くんとのこと話してよ」
一葉ちゃんは伏し目になった。
「それは、罪なことするねえ。澪は。聞いちゃう?」
何となく、明るく振舞おうとしているのが目に見えて痛々しかった。一葉ちゃんが、いろんな場面で演技しているのはわかるようになってきた。どれだけ隠そうとしても、嘘を吐いている人間は丸裸にされるんだよ、結局。
「翔吾とはね、何もしてない。二回くらいお出かけしたけど、私キス拒否ったからさ。それで、距離置かれちゃった」
「拒否ったって、拒否する必要なくない?」
一葉ちゃんは目を閉じて、ゆっくりと瞬きをした。
「そのときから、もう好きだったのかもね。今の好きな人が」
一葉ちゃんもまあまあ、罪なことするね。
「私、手より先に足が出るタイプだからさ、蹴っちゃったんだ。痛がってたな」
痛そう。一葉ちゃんってたしか、独学で空手やってたよね。毛利蘭に憧れて。
「意外、何か二人ってもうちょっと進んでるのかと思った」
「進んでるとか、ないよ。スタートラインにも立とうとしなかったんだよね、私が」
一葉ちゃんみたいに、恋多き女的な雰囲気があっても、好きになれない相手がいるものなのか。そうだったら、私と同じように苦しんでいるなら、少し嬉しい。好きな友達とか、好きなアイドルには少し不幸でいてほしい。意地悪いかもしれないけれど。
「こんなことなら、無理にオッケーしなければよかったな。失敗したなあ。大恋愛してんだもん、今」
だんだん田中くんに同情するようになってきた。ちょっと、可哀想だ。大恋愛なんて、私には縁がないこと。だけれど、小説を読めばそれがどれだけの幸福で、不幸なのか想像はできる。好きな人のために罪を犯す人、自分を壊す人、全てを投げ出す人、大袈裟だけれどそれが繊細に表現されている。犯罪を正当化するのは嫌いだけれど、大恋愛してみたい気もする。でも、それも叶わない願いだ。
「私も、彗に恋してなかったみたい」
田中くんに対する一葉ちゃんの熱量だとか、愛は計れない。でも、私もその程度だったのだと思う。彗のことは、案外どうでもよかった。
「え、だって昨日落ち込んでたじゃん」
一葉ちゃんは錯乱という様子だ。
「なんか、彗に恋人がいるとかありえない、って言ってた自分が馬鹿みたいに思えてきちゃった。そこまで本気じゃなかったのが、わかっちゃったの。全然、落ち込めなかったから」
そっか、と一葉ちゃんは軽く流してくれた。
「だから、ライブ一緒に行こうよ。今度は、男装せずにありのままの私で参戦するから」
「嬉しいかも。通常通りできるといいね」
そうだね、と言ってまた部屋を出た。
 恋をしたとしても、私が望むくらいに綺麗なものではないことには気づいている。自分のことを本当に愛している人なんて、一握りしかないってわかるから。
 そうすると、息ができなくなる。
 
 私は無だ。学校にいるときは虚無の塊でしかない。透明感を通り越してもはや透明になりたい、と言う一葉ちゃんに怯えている。私は元から透明みたいなものだから。別の意味で。
 一葉ちゃんを横目に見て、授業中は背中を睨みつける。それでも違う世界にいる。半径一メートル以内にいても、一葉ちゃんは別世界の住人。それでいい。関わらなくていい。
 中学生のときは、そんなにイケていないという自覚はなかった。学級委員をしたり、成績も上の方をキープしたりしていて、目立っていないことはなかったと思う。でも、改めて振り返ってみれば、ただただ空気が読めていなかったのかもしれない。
 一葉ちゃんが話していたことを思い出した。
「私って一重じゃん? 小学生の頃とか、普通に一重で生活してたの。もともと目立ちたいタイプだったからさ、クラスでいっぱい発言するようにしてた。でも、冷静に考えてこんな一重ブスが言っても何も響かないだろうな、って思ってアイプチ始めたんだよね」
見た目で人を判断しないようにしましょう、は所詮ただの綺麗事だと言っていた。
 陰キャブスが出しゃばんなよ、って誰かに言われた気がした。中学生のとき、学級委員に立候補したときに。
 まさか、私に向かってくるナイフだとは思わなかった。だから、咄嗟に避けることもできなかった。
 そこから、目立たないようにするようにしたのだ。私なんて、害悪なだけ。目障り、ブス、目立ちたがり屋、KY。絶対にそう思われている。
 一葉ちゃんたちがトイレに行った。どうせ前髪を見るだけなのに、どうしてあそこまで熱量をかけられるのだろう。その隙に、カバンからチョコレートの包装紙を出す。手先の器用さには少し自信があるから、更に小さく紙を切って、そこから鶴を折っていく。
 一葉ちゃんたちが帰ってきた。
「別れんの? 田中と?」

To be continued…

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