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ドームのセンステから飛び降りる。【第7話】

 2 森下澪
 
 起きると必ず泣いている気がする、なんてあの映画みたいだけど泣いている。今日は尚更。
 私の体に涙の含有量が多いのか、涙腺が脆すぎる特異体質なのかどっちか。いや、どちらにしても特異体質か。時折、悲しくなくても感動していなくても涙が出る。
 起きてまず、残酷な世界に挨拶しなければならない。おはよう、って。
「おはよう、一葉ちゃん」
目を擦りながら、一葉ちゃんはゆっくりと起き上がる。
「おはよう、澪。何食べる?」
できれば、何も食べたくない。映画に圧倒されたときや、一曲で咽び泣いたときにはもう何も食べなくても生活していけるような気がする。今の気持ちはそれに似ている。悲劇を観たみたいだ。
 ヨーグルトくらいは食べなよ、と言われ仕方なくスプーンを受け取る。一葉ちゃんも、そうがっつりは食べないっぽい。
 一葉ちゃんは何も言わない。そこからささやかな思いやりを感じる。
 
 また期待してしまっていた、のだと思う。私には届くはずのないものを求めてしまっていた。立場を弁えろ、身の程知らず。どうして彗を独占したくなったのかわからない。実際、独占できていないし。けど、運命とか信じないけど、この人の運命の人が私じゃなくても、私の運命の人はこの人かもしれない、という確信はどこかにあった。運命なんて信じないけど。
 たぶん、いつも私はどこかでミスっている。そのミスが重なって、友達は一葉ちゃんだけだし、クラスでは誰の視界にも入っていない。
「一重であることに憂いはないのかい?」
そう言われて初めて、寝起きの一葉ちゃんの顔を見る。一重だ。かなり重めの。
「私が一重だろうが二重だろうが、どうでもいいじゃん。誰も気にしてないし、今更モテようとか考えもしないし」
「んは、綺麗な一重の人は羨ましいなあ」
可愛くて面白くてキラキラした子は、んは、って笑う気がする。どうして。
「そんな、綺麗な一重じゃないよ」
「私、澪の目好きだよ。切れ長に見えるけど、丸くて。勝ち組一重じゃん、十分」
勝ち組という言葉はあまり好きではない。私がそうではないから。でも、一葉ちゃんは勝ち組って感じがする。
 私は沢山のミスをしている。たぶん、それがなければクラスでも少しは上位グループにいるはず。なのに、今は一人で鶴を折るだけだ。喋り方とか、仕草の一つひとつが何となくダサいんだと思う。
 一葉ちゃんは全然そんなことなくて、何もかもがつくりこまれたガラス細工のようだ。きっと、私ごときが触れたら簡単に壊れる。繊細で、脆くて、美しい。だから、近づかずにそうっと見守っておこうと思っていた。当初の方針。
 でも、一葉ちゃんに声をかけられたその日から、ちょっとずつ日常が変わった。
「森下さんだっけ? 今日から同じクラスだね。よろしく」
コーラを開けるときのプシュって音、あれに近い笑い声だった。んは、と、プシュ。似ている。折角話しかけてくれたのに、私はその優しさに応えることができなかった。一言も話せなかった。一葉ちゃんがレギュラーに入ってから、バスケ部は無敗だと聞いた。一年なのに、尊敬しかなかった。美術部の子たちが特別イケてないわけではない。ただ、バスケ部とかテニス部の女の子ってどうしてあんなに輝いているんだろう。
 それから、一葉ちゃんを眺めることしかできなかった。被写体として、憧れとして、ずっと見ていた。遠目から見ているのが案外、一番ちょうどいい。
 私と一葉ちゃんが仲良くなれたのは、何のおかげなのだろう。たしか、最初の方はバスケの漫画の話で盛り上がっていたと思う。もちろん、話しかけてきたのは一葉ちゃんの方だった。
 一緒にいても、そこには格差がある。確実に。だけど、それを関係ないように振舞ってくれている。そういうことが簡単にできるのが、一葉ちゃんだ。だけど、私はそれに応えられていない。いつもそうだ。恩返しもなにもできない。
 申し訳ないとは思う。でも、私が行動を起こして何も意味がない。諦めるべきことは、とっくにわかっている。運動も、クラスの中で目立つことも、恋愛することも、友達をつくることも無理だ。特に、クラスの上位、一軍と呼ばれる子は尚更。
 人に優しくされると不安になる。だから、関わらないように努める。その結果、いつも一人でいるようにしていた。
 彗に出会って、見えてくる景色が少しずつ変わったような気がする。もともと、人に関わらないようにしていたから、興味を持つことがなかった。周りの子には友達や好きな人、恋人がいて、その人経由で色んなことを知っていく。でも、私はそういう経験が全くなかった。でも、彗を見ていれば、その疑似体験ができた。やがて、私がいかに暗いところで生活していたのかわかった。推しに出会ってから世界が色づいたって言う人は結構いるけど、そもそも私の前にはモノクロの世界すら広がっていなかった。無の世界。真っ黒で塗りつぶされた、極夜みたいな場所にいたんだ。でも、彗を見ればそこを抜け出せた。
 それが、恋と気づいたのは割と最近だ。その頃には、もう一葉ちゃんと遊びに行くほどの仲になっていた。
 好きな人がいないとおかしい、みたいな風潮は既にあった。小学校六年生になれば、大抵の女の子には好きな人がいて、その話で盛り上がっていた。私はその輪に入れなかった。好きな人がいないというだけで、その会話の間は蚊帳の外だった。中学生になって、高校生にもなるとよりその空気が濃くなった気がする。彼氏がいる人はそう珍しくないし、モテる女の子と男の子がよりはっきりわかるようになった。
 一人だけ取り残されているみたいだった。離島みたいで。意図して一人になるのと、向こう側から切り離されていくのは全く違った苦しさがあった。
 それに言い訳をしたくて、セクシュアリティ診断をした。それ自体が言い訳みたいだけれど、何とかしてこの状況に名前を付けたかった。お母さんが双極性障害と診断されたときのことを思い出した。お母さんが夜な夜な泣いて、たまにお母さんじゃなくなるのに名前がついて少し安堵した。症状が軽くなることよりも、お母さんのような人が世の中に沢山いるという方が安心した。
 お母さんと私は友達みたいに話せる。だから、別に友達はいらないと思っていた。趣味を共有して、お互い思っていることを言い合う。それは、お母さんだけで事足りた。でも、お母さんが少しずつ不安定になっていってから、あまり悩みを話出せなくなった。
 セクシュアリティは、アロマンティック・アセクシュアル。聞きなれたものではなかった。BLとGLをかじってきたから、レズビアンとかゲイとかバイセクシュアルがあるのは知っていた。あと、トランスジェンダー。
 どうやら、私は恋愛と性的なことに興味がないタイプの人間ということらしい。それが、証明された。でも、今は彗が好きだからアロマンティックとは言えないかもしれない。そういうことを諸々、一葉ちゃんに話した。引かれると思ったけれど、意外とそうではなかった。
「私もやってみようかな」
それだけさらっと言って、次の話題にいった。そうやって空気を重くしないのが、クラスの一軍だと思った。

To be countinued…

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