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ドームのセンステから飛び降りる。【第14話】

「どうぞ」
穏やかな話し方、そして表情。だいぶ、症状は落ち着いてきているような気がする。退院も近いかな。
「お昼ごはんです」
「ありがとうございます」
そうは言ったものの、やはり食べる気配はない。まあたしかに、病院のご飯ってそんなに美味しそうではない。健康には気を遣っているのだろうけど、どうにも食欲が湧かないビジュアル、匂い。そして、この病棟の大抵の人は過食か拒食気味。半分以上の人が満足するほど食べていない。ほとんど残してしまう。
「食べられなさそうです」
喋った。大体、挨拶しかしなかったのに。
「無理に食べなくてもいいと思います。食べると吐きたくなることもありますよね」
「三年前くらいまでは、普通にダイエット食みたいなの食べてました。オートミールとか、スムージーとか、納豆とか。体に良さそうなものとか、痩せそうなもの」
そうなんですね、と言い頷く。とりあえず、否定はしないようにしよう。かさぶたを剥がしてはダメだ。
「だから、割とこういう食べ物は慣れっこのはずなんですけどね。どうにも食べられなさそうで」
とりあえず、こちらから過去のことを詮索するのはやめよう。そもそも、興味がない。鈴木さんは患者さん。
「でも、このみかんだけはいただこうかな」
そう言って、みかんの皮を剥きはじめた鈴木さん。細くて白い指で、器用に皮を五つに分けて繋がったまま実と切り離す。
 やっべ、無駄話しちゃったわ。無駄ではなかったのかもしれないけど、必要以上に二〇五号室に居座ってしまった。というか、報告しておかなきゃ。
「あ、水戸さん。二〇五号室の鈴木さん、顔色も良くて、軽く話せました」
「あ、そう。了解」
そこまで重要じゃなかった感じ? 昨日もそうだったのか?
「もう退院近いからね。まあ、もともと薬物療法でやってたんだけど、副作用で摂食障害の方がぶり返しちゃって。みかん食べられた?」
はい、とあまりにも威勢よく答えてしまったものだから、水戸さんは目を見開いた。
「そう。じゃあ、報告しとくね」
水戸さんもそう悪い人じゃない。むしろ、いい人の部類に入る。厳しすぎる人とか、怒りっぽい人とか普通にいるから。水戸さんは冷静なところが冷たく見られがちかもしれないけど、感情に任せないところが信頼できるし、注意も怒りっぽくなくて的確だ。
「そういえば、古谷さん。毎日、あなたと同い年くらいの子が鈴木さんにお見舞いの品送ってくるんだけど。ちょっと、確認しといてくれる?」
「っかりっした」
「うん、退院のとき渡せばいいから」
誰だろう。たぶん、同じ大学の人だと思う。ここら辺に大学はうちしかないし。
 事務所に入ると、二月の冷たい空気が漂っていた。病院全体がそうだ。張り詰めていて、失敗は許されないという重圧と責任の中、私と同じように実習生が走り回っている。もちろん、常勤のナースも医師も。
 与えられた小さな机で、軽食を摂りつつ、届け物を見る。
 丁寧に小箱に入れられた、無数の折り鶴。
「ちっさ」
思わず声に出してしまうほど、緻密に作り上げられている。小箱に入れたのは、水戸さんか誰かだろうけど、作ったのは噂の女の子なのだろう。ちょっと会ってみたいかも。このくらいの器用さが当たり前のように私にあれば、外科医とかもできるかもしれない。ただ、学部の中では私は不器用にあたる。
 そういえば、鈴木さんはアイドルだったんだし、たぶん私の世代はドンピシャなのだと思う。だから、恐らく同い年だというその女の子も、かつてのファン。月島彗について、全く記憶がないけれど。というか、高校までの記憶が丸ごと抜け落ちている。
 歩道を歩くとき、お弁当を口にするとき、歌うとき、泣くとき。ふと、当たり前にしている動作が不思議に思えてくる。なんで、私なんかが生き残っているのだろう。病院にいて、生と死の境界線に立たされているから感化されたとかではなく、普段から思う。ただ、運がいいだけだ。
「あ、そこの学生さんだよね? ちょっと出てくれない? 面会しに来てる子がいる。会えないよ、って対応してくれる?」
こうやって作業みたいに扱ってしまうのが、申し訳ない。一番辛い。
「っかりっした」
ときどき、かつての鈴木さんのファンだと思われる人が来ることがある。よっぽど人気だったのだろうか。私は覚えていない。そういうのにもともと疎かったし、なんせ思い出すのも億劫だ。
 階段を駆け下りていく。足の可動域を最小限にして、足首を駆使して下りていく。小学生の頃からずっと、こうしている。人の二倍は速い自信がある。階段を下りるときだけは。
 裏口のようなところがあって、そこに待っている女の子がいた。
 私と同い年くらい? かな。っていうことは、たぶん折り鶴の子。背が高くて、すらっとしていて、さっぱりとした顔立ち。キュートよりは、ハンサムって言葉の方が似合いそう。
「あの、面会できないんですよね、ここ。申し訳ございません」
彼女は小さな口を開いた。
「わかってるんです。会えなくてもいいので、これ」
また、折り鶴だ。この子は毎日こうして、職員たちの雑な対応を前にして、丁寧に折られた鶴を持ってくるのだろうか。
「あと、これも本人に渡されてませんよ。退院すれば、そのときに渡されるかもしれませんけど」
笑うと、頬の真ん中に皺ができるタイプの子だ。その線をしばらく眺めた。
「そうなんですか……」
残念そうにわかりやすく、下を向いた。つま先を上げて、下げて、子どもみたいに彼女は足踏みをした。
「忙しいんで、戻っていいですか」
つい、冷たく言ってしまう。
「はい。ごめんなさい。そうですよね」
毎日のことなんです、と口早に彼女は言った。
「毎日来なくてもいいのに。まとめて週末とかにこれば良くないですか?」
もっともらしいことを、もっともらしく言うのが嫌われる原因だとはわかっている。正論しか言わないのは、やがて歪ができて壊れていく。正論こそ、揺るがないようで覆される。だから、正論ばかり言うと反論されてしまう。初対面なのに、また余計なことを考えた。
「毎日来ないと、気が狂いそうなんです」
そんなことあるかな、という顔になっているだろう。今の私の顔。
「彗だけが私の心の支えなんです。でも、迷惑ですよね。これからは……」
いいですよ、と食い気味に言ってみた。
「患者さんは、なにも病気だけと闘っているわけじゃないんです。制限された生活や、孤独にも打ちのめされそうになることもあります。だから、あなたみたいな人は迷惑なんかじゃない」
職員は迷惑そうにするだろうけど。
「でも、忙しいですよね」
まあ、それはそうだけど。
「じゃあ、この辺で」
仲良くなれそうなタイプではないような気がした。何かが、足りない。真依とどこが違うのだろう。別に、真依が出来上がった人間ではないのはわかるし、彗のファンのあの子に足りないものはわからない。強いて言うなら、真依よりも更に子どもっぽい。

To be continued…

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