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ドームのセンステから飛び降りる。【第15話】

 愛と勇気だけが友達さ、なんて擦り込まれたときから子どもじゃなかったんだと思う。実際、愛と勇気という友達がいた。私は、リアル・アンパンマンだったのだ。でも、正義の味方はなんだか苦手だった。鋭い光の後ろには、濃い影ができるから。
 愛は真依と同じような子だった。面白いことも言うし、誰からも好かれていて、私以外にも沢山友達がいた。腐女子だった。それなりにアイドルとかも好きだったし、何にでもはまりやすい子だったと思う。そうやって、趣味の話から、担任のモノマネまでできた。顔は愛という名前に負けているな、と思ったことはあるけどそれなりに可愛かった。というか、愛嬌があった。笑うとえくぼができて、大体顔が赤くて、ずっと笑っていた。
 私と愛が一緒にいるのが、不思議だった。私は、特別目立つわけでもなかったし、目立たないこともなかった。可もなく不可もなくって感じで。友達も十数人いたし、困ったことはなかった。ただ、愛を羨ましく思ったことは何度もあった。
 勇気も人気者だった。特に、女子にモテていた。サッカーも野球もバスケもできて、大体の休み時間は女子に付きまとわれていた。たしかに、今思えばイケメンだったのかも。少しも思わなかったけれど。わかりやすく人気があった。愛と勇気は。
 私はその頃から——小学生の頃から——既にガリ勉と呼ばれていた。まあ、勉強以外にやることがなかったから、暇つぶしでやっていただけだけれど。
 真依と愛を重ねてしまっているのは間違いない。喋り方も、身振り手振りの仕方も、相槌も全部が少しずつ似ている。真依は共感してくれる。大体、モテる子って共感できる子だよね。私は意図的にしかできない。そういう術が、生まれつき備わっているのだ。真依や愛、勇気には。
 同級生とかに何となく、薄っすらとした嫌悪感を抱くようになってしまっていたと思う。子どもっぽいというか、口が悪いけど、ただのガキにしか見えなかった。人を冷ややかな目で見てしまうのは、今でも治らない。何かに熱中したり、我を忘れるほど笑ったり、泣いたりするのが馬鹿馬鹿しく思える。私の中にはもう一人の私がいて、いつでも客観的に見てくる。
 私に監督されながら、私は全ての動作をこなしていく。完璧に、ときに自分自身に指示や助言をされながら。だから、冷静になれない人は子どもだと思う。フィルターを何層も重ねて、そこから覗いた世界は何も感情的にならない空が広がる。透き通って、快晴とは言えなくても晴れているような、そんな空。濃い青じゃなくて、涙みたいな色。でも、それがなんだかんだ美しいと思う。透明みたいな、灰色みたいな、抽象的で曖昧な色。感情に振り回されて、いいことなんてない。ただ、持つべき感情というのもある。道徳心とか、人道的な見方でどうにか出来上がっていく、優しさとか多少の正義感。それを大事にしていかないと、看護師は。
「あ、古谷さん終わった? じゃあさ、鈴木さんの退院手続きしといてくれる?」
雑用っぽいこともするし、たまに治療のほんの一部に携わることもある。所詮、看護師になったとしても最初は下っ端として働く。そのときには、きっと事務仕事も待っている。人手が足りていない医療現場なら、職員を雇うより看護師がその場でやった方が速いような気もするし。
 入力作業とか、計算とかは割と得意だから任されても嫌な気にはならない。ただ、これじゃ何も吸収できていないのではないか、とたまに焦ることはある。
 鈴木さんは二十八歳。東京都出身で、今は世田谷に住んでるのか。
 まあ、鈴木さんの人生に踏み込むつもりはない。鈴木さんがどんな思いでアイドルになって、なんでやめたのかとかは気にならない。真依ほどは。でも、どういう理由でここに入院するまでになったのか、大うつ病になったのかは気になる。私が知る必要などないとはわかっていても、それだけは気になってしまう。ある種の癖なのかもしれない。
 でも、アイドルってやめてもファンはついてくるものなのだろうか。それも、鈴木さんは完全に芸能界から姿を消している。たぶん、さっき会った彼女は今の鈴木さんの顔を知らないだろう。私も、鈴木さんがアイドルだった頃の顔を知っているかと言われたら、そうではない。
 鈴木さんの病室を訪ねると、鈴木さんは寝ていた。なるべく音を立てないように、忍び足で少し変な体勢で歩く。
「起こしちゃうかな。ごめんなさい。どうしようかな」
そっと書類を置く。
「あ、ありがとうございます」
「起こしちゃいましたか、ごめんなさい」
鈴木さんは首を振った。
「いえ、起きてたんで」
恥ずかし。忍び足も全部見られていたのか。恥ずかしい。
「これ、置いときますね」
「ありがとうございます。古谷さんがやったんですか?」
名前……あ、名札を見たのか。
「あ、はい。私が一応、一通りは」
そうなんですね、と言って鈴木さんは黙り込んでしまった。
「あの、今までずっと言ってなかったと思うんですけど、鈴木さんへのお見舞いの品が届いているんです。毎日」
「そうなんですか?」
はい、と言いながらさっきの彼女のことを思い出した。
「もしかして、僕のファンの方だったりします?」
「はい。そうみたいです」
そうなんだ、と鈴木さんは黙り込んだ。病院がバレたことがショックなのかもしれない。私は気になって調べていないけど、かなり拡散されている可能性もある。元国民的アイドルなんだから、尚更。それに、大学病院なんてこの辺にない。大きめの病院もこの辺にここしかない。
「僕、アイドルだったんです」
急に鈴木さんが自分を語り始めた。知ってます。
「芸能界入ったから、うつになったのかな……」
やっぱりそうなんだ。
「ごめんなさい。自分語りしちゃって」
「いえいえ」
本当は少し気になっていた。この人がどういう風に生きてきたのか。でも、聞き出すことで傷口に塩を塗るようになってはならないから、なかなか言い出せなかった。そもそも、精神科病棟の患者さんと話すことはない。どこが地雷になるのか、勝手にいじくっていいものではない。医師でもないし、心理学を専攻しているわけでもない私には。
「でも、今でもファンの方が僕のことを忘れないでいてくれるっていうのは、嬉しいことですね」

To be continued…

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