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ドームのセンステから飛び降りる。【第16話】

「でも、今でもファンの方が僕のことを忘れないでいてくれるっていうのは、嬉しいことですね」
「そうですね」
それも、そうだ。鈴木さんがアイドルを辞めて、三年が経つらしい。というか、この病院に通院するようになってから三年が経つみたいだ。
 折り鶴を持ってくる女の子も、三年間ずっと鈴木さんのことを想っているのだろうか。たとえ、過去のテレビを見られるけど、リアルタイムの鈴木さんは見ることができない。それでも、想像上の今の鈴木さん——月島彗を愛することは可能なのだろうか。
 鈴木さんの病室から出た。そして、水戸さんはじめ看護師の皆さんと医師の先生に差し入れをして、帰る。今日は実習の最終日か。
「皆さん、今日までありがとうございました」
ペアの早川さんと折半してお金を払った。お菓子と花。必要ではないのは確か。でも、皆切羽詰まってるみたいだから、少しでもリラックスしてほしい。精神科だし。こちらが精神的にやられていたら、患者さんも察してしまうような気がする。でも、ここは殺伐とした病院だと思う。精神科って、アットホームなタイプと本当に殺伐しているタイプがあると噂で聞いたけど、ここは後者だと思う。
「お疲れ様」
水戸さんだけが声を上げる。
「本当にありがとうございました」
足早に病院を出て行く。この期間中にどれくらいのことを我慢したのか。
 サイゼに駆け込む。ドリアを頼んで、しばらく待つ。参考書とか、医療の本を読みつつドリンクバーのコーラを飲み干す。
「お待たせいたしました」
全然待ってません、と言いたいところだけどもちろん言わない。言う人なんていないもん。この提供スピード、深夜にも関わらず速い。そして、ウェイターさんの対応も良い。私だったら、こんな時間に来るなや、って思っている。それなら自分から行くなよ、って真依にツッコまれそうだけど、サイゼの雰囲気が好きだからやめられない。
 ちょっと前までは、マックで時間を潰していた。勉強したり、音楽を聴くだけのときもあった。本を読んだり、スマホを見ることもあった。ポテトで手が汚れるから、丹念にウェットティッシュで拭いてから触れるようにしていたけど。でも、マックの二階から見る景色と、サイゼの一階から見る景色は違う。車のヘッドライトが駆け抜けていく感じと、まばらな人通り。これを感じられるのは、一階ならでは。だいたい、マックは二階しか使えないイメージがある。長居できない。
 私は免許を取っていないし、未来永劫取るつもりもない。けど、眺めるのは好きだ。車という存在を意識すると、たまに恐怖で膝が震える。でも、夜の闇から出てくるヘッドライトと夜景が混ざり合うのが、都会の魅力だと思う。横浜だとベイブリッジとかあるもんね。みなとみらいとか、夜景なんて東京周辺にはいくらでも見られる。
 真依は横浜に住んでいるんだっけ? 確かそうだった。横浜の大学に通っていると言っていた。
「あ、真依?」
日葵ちゃんじゃん、という声がする。
「実習終わったの?」
「うん。今日で終了。長かったー」
小声で話しつつ、トイレに移動する。
「お疲れ様。絶対にバイト来てね」
そうだった。シフト入れないと。
「店長さんには申し訳ないことしてるよね。時給高いから、お財布的には余裕があるんだけど、あの店慢性的な人手不足だもんね」
そうだよー、と真依が甘い声を出す。そういうの、得意だよなあ。
「必ず、来週のシフトはがっつり入れてもらうから。そのときには会おう」
渋谷のタワレコ。私たちの聖地。
 真依はただアイドルヲタクだから、自分の推しを布教するためにフリーペーパーみたいなものを書いて配置している。私は、邦ロックとか専門になってしまうけれど、かなり力を入れている。ポップなら、何枚でも書ける。
 真依と私では好きなものが全く逆だけれど、そんな二人が同じ場所で働いて、たまに出かけて遊んでいると考えると世界は広いな、と思う。気が合うとか合わないとかって、なかなかわからないもの。真依なんて、学校で出会っていたら絶対に喋りかけないタイプ。
 イヤフォンの音量を上げて、思いっきりラッドを感じる。次は、セカオワ。その次は、インディゴ。歌詞が文学的なのがいい。アイドルとはまた違った魅力があると思う。私は、アイドルの方に歩み寄ったりはしないけど。
 ドリア冷めたかな。猫舌にはきつい料理かもしれない。けど、濃厚なクリームとお肉が入ったミートソース部分、チーズ。全部が計算され尽くされていて、企業努力を感じる。流石、人気メニューなだけある。
 
 *
 
 実習が終わったと思えば、普通に講義受けに行かないといけないし、休みがない。なんだかんだ大学には行かないといけない。一限しかなかったとしても、図書館が空いている限りは勉強。勉強以外の楽しみがほぼない。音楽を聴くことか、小説を読むことくらい。
「やっべ、遅れる」
腕時計に視線を移すと、一限が始まるまであと十五分。ここから医学部の棟まで結構あるのに。
 足元に小石が転がっていて、躓きそうになった。まるで、それが何かのお告げのように、その先には一枚の紙がひらひらと舞っていた。私を待っていたようだった。チロルチョコのビスケット味の水色の包み紙。ひとひらの紙が、風に踊らされている。確信があった。
 絶対に、鈴木さんのファンのあの子のものなのだ。絶対に、あの彼女は鶴を折るときに必ずこのチョコの包み紙を使っていた。全部の折り鶴が、水色のドット柄だった。
 空を反射したみたいな、青だ。やっぱり、同じ大学にいるのだ。チロルチョコを持ち運ぶ大学生の姿を想像できない。あの子以外に。小学生の遠足みたいだもの。
 とりあえず、そんなことは一旦忘れて全速力で走る。前髪とか、メイクとか気にしていられない。そもそも、前髪ないし、すっぴんだ。
なんとか間に合ったけれど、折り鶴のあの子が気になる。
一限までしかないし、図書館で勉強する予定だったけど、変更。どうしても、あの子に会わなきゃならない。そうやって、何かに突き動かされている気がする。
でも、学部がわからない。名前も知らない。背丈も服装も、特徴的なものではなかった。若干、身長は高かったけど。顔はハンサム系で、色白だった。でも、大学規模で考えれば他に居そうではある。
 でも、それは私も同じで、名前や属性以外に私を示すものは特にない。ⅮNAや指紋とかを調べれば、個を特定できる。でも、他人から見たら私も群れを成す一人。ただそれだけ。そう思えば、名前は画期的なものなのかもしれない。同姓同名の人はたまにいるけど、でも、日本に古谷日葵がどのくらいいるのだろうか。少なくとも、周りにはいない。それだけでも、役に立つと思う。個体を識別するには。
 あの子を探すためには、とにかく人が集まりそうなところに行くしかない。食堂だとか、広場だとか。なるべく人混みに入っていく。でも、いなさそうだ。
 いっそ、図書館にいた方がいいのだろうか。意外と、勉強熱心な子なのかもしれない。少なくとも、医学部では見たことがないから、医学部の棟内にいるというのは選択肢から外すべきだけど。
 思い立って、顔の広そうな人に電話することにする。
「あ、町田? あのさ、人探ししてんだけど」

To be continued…

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