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ドームのセンステから飛び降りる。【第12話】

 電車に揺られながら、一年前のことを思い出す。そのときは、銀テープをつかみ取ることができた。ファンサはもらえなかったけれど、お土産は十分だった。その頃は、本当の好きな人だと思っていた。だから、グッズも買わないようにして、雑誌も買わなかった。ただ、ライブは会いたいから行くしかなかった。どうやっても。
 なるべく、彗がアイドルであることは意識しないようにしていたと思う。やっぱり、本気だったのかな。他に恋をしたことがないから、あまりわからない。比較対象がないと、判断できないことって多いもの。
 
 STAR’Sのファンっぽい人が電車の中に溢れかえっている。負けている。勝ち負けとか関係ないとしても、負けている気がする。生まれたときから決まっていたように、私は何かが欠けている。皆に欠けているものよりも遥かに大きなものを落としてきてしまったような気がしてしまう。それでも、お洒落をして、メイクをして、笑顔をつくって、自己肯定感を少しでも上げたい。勝ちたい。
 勝つためには、一葉ちゃんと彗が必要なのだ。絶対条件。負け組じゃないから、私。まだ私が、正気を取り戻してちゃんと生きていて、ほんの少しでも輝いていることを証明してくれる。それがないと生きていけないというのは、そういうことなのかもしれない。
 三時になった。人がより多くなってきた。白、黒、青の服の人が多いかな。お姉さま方ばかりで、かなり肩身が狭い。一葉ちゃんがいれば、和らぐかもしれないけれど。全然、来ない。あんなに焦っていた割には。
 もしかして、まだ寝ているのだろうか? 流石に、二度寝が長すぎではないか?
 四時半に開場ということだから、もう会場にはいた方がいい。おかしい。時間に厳しい一葉ちゃんらしくない。
 スマホに通知が来ていることに気が付かなかった。嫌な予感がする。
「メッセージが二件来ています」
一葉ちゃんからだ。
「ごめん。お母さんが行方くらませたらしい」
「追ってるんだけど、どう考えても間に合わない。ごめん」
予感は的中した。片眉を上げた一葉ちゃんの顔を思い浮かべると、胸が痛い。あんなに楽しみにしていたのに。双子コーデは一人だけでは意味をなさない。二人いるから成立するのだ。
 片方が見つからない靴下の気持ち。会場の中を彷徨う。
「不在着信がありました」
留守電が入っている。いや、スマホの場合も留守電って言うのかな。音量を上げて、耳をスマホのスピーカーに近づけて、再生する。
「澪、今日はごめん。もう菜々子ってろくなことしないんだよね。迷惑ばっかりかけて。でも、澪に伝えたいことはもう一つあります。はあー。私は澪が大好き。恋愛対象として、愛してる。ライブに行ったら、言おうと思ってた。でも、無理っぽいから留守電に残しとくね」
十数秒の音声の中でも、声が震えているのがわかった。誤魔化す人の演技の仕方って一パターンだもの。お母さんがそうだからわかる。内側から湧いてくる感情には勝てないんだと思う。
 馬鹿。一葉ちゃんの馬鹿。この世界がちょっとだけ憎いよ。また私の片想いだったじゃん。一葉ちゃんは私のことを友達としては、見ていなかったんだね。やっぱり、そうだった。男女の友情は成立しない、という意見があるように、恋愛対象になる人への友情はないのだろうか。一葉ちゃんは、一秒でも私のことを友達だと思わなかったのだろうか。
 大嫌い。私の願いなんか一つも叶わない、この不条理と理不尽に飲み込まれつつある世の中が大嫌い。きっと、一葉ちゃんもそうだった。
 これ以上、一葉ちゃんに関わっても辛くなるだけ。そんなことはわかっている。でも、会いたい。けれど、それはできっこない。叶わない片想いは辛いと言う人がいるけれど、というか大体の人がいうけれど、その片想いを間近で見て叶えてあげられないのも辛いと思う。どれだけ想いを寄せられていても、それは嬉しくなんかなくて物悲しい。応えられない期待は水をいっぱいに含んだスポンジみたいだ。いつかそこから腐敗していく。
 たぶん、私は泣いている。涙はまだ出てきていない。物理的には泣いていないけれど、内側からくる感情はやはり抑えることができない。抗えないものだと思う。いつか、泣く。でも、メイクが崩れるから泣きたくない。ウォータープルーフのコスメを使っても、信用はできないから。
 ごめんね。私も一葉ちゃんが大好き。でも、友達としてしか見れない。
 と、LINEをしようと思ったけれど、文字を打って、また消した。一葉ちゃんも端からわかっていることだっただろうから。それでも、勇気を振り絞って気持ちを伝えてくれたのだと思う。でも、友情って簡単に壊れるってわかるよ。それが、どちらかの故意的な行為から引き起こされたものではなくても。悪意がなくても。
 最近の一葉ちゃんに違和感は覚えていた。私を見ていないような、見ているけれど虚ろな感じだった。だけど、見られていない感覚は慣れっこだったから、耐えようと思った。でも、こんな形で一葉ちゃんと別れるのは耐えられない。恋人みたいに、明確に別れることって友達同士ではないのだろうけれど、これは別れるってことだと思う。特に、一葉ちゃんにとっては。
「入場口Wの方は、二階の入場ゲートにお並びください」
指示があったから、階段を上って、人だかりに入っていくしかない。この精神状態でライブに望むなんて、予想もしていなかった。
 スタンド最前だった。ファンサがほぼ確実にもらえる。何のうちわを見せようか。私がそれほど目立っているという自覚はない。けれど、最前に居たら流石に視界には入る。
 あと五分。スマホの電源を切る前に、全部のSNSで一葉ちゃんをブロックした。
 オーバーチャー始まったんだけど。あー彗が出てくる。確実に泣くよね、これ。
「皆、騒げるかー?」
イェア、と会場の全員で声を合わせる。けれど、声が出ない。自分でも肩で息をしているのが、わかる。嗚咽が止まらない。頭が痛い。お腹が痛い。体中が蝕まれていくのがわかる。寒気がする。熱気がある場所なのに、悪寒が襲ってくる。
「大丈夫ですか?」
隣の人が声をかけてくれた。優しい。でも、今は答えられない。優しさに応えられない。
 三曲分くらい泣いていたみたいで、あっという間に彗がトロッコに乗って流れてくる。初めて、目が合うかもしれない。でも、今は絶対に涙でメイクもぐちゃぐちゃに崩れて、原型を留めていない。会いたくない。でも、ファンサは欲しい。
 センステから飛び降りて、といううちわを取り出して、振る。気づいてくれるだろうか。
二十メートル、十メートル、五メートル。彗が迫ってくる。不特定多数の人に手を振って、笑顔を振りまいている。一葉ちゃんを彷彿とさせる。やっぱり、二人は似ているのだ。
「彗くん!」
感情に任せて、思いっきり叫んだ。うちわは見ただろうか。ばっちり目が合って、微笑まれた。その瞬間、んはっ、という声がした。一葉ちゃんの声だ。
 今なら、私が一葉ちゃんと彗に愛情を注いできた理由がわかる気がする。
 表面的には人気があって、様々な人に好かれていても、愛されることを渇望しているように見えたからだ。誰かに本気で愛された痕跡がないからだ。親とか、友達とか、そういう周りの人の愛を常に疑っている人の目をしているからだ。つまり、これはもう愛情でも、友情でも、なんでもなくただの同情だ。
 それでも、好きって罪なのかな。好きって感情も流体みたいなものだと思うから、またちゃんと向き合える日がくるのかな。
 本当は、一葉ちゃんに鶴をあげたかったんだけどな。いつも、少しだけ悲しそうで、無理をしているように見えたから。
 何故ならいつも言葉は嘘を孕んでる。なんだっけ、ありあまる富だ。一葉ちゃんの言葉は全部が少しずつ嘘っぽかった、でもそれが大好きだった。本当のことを言っていなかったとしても、頭の中から相手の欲しい言葉を引っ張ってこられるのは才能だと思う。いくら無理をして、見栄を張っていたとしても、それが一葉ちゃんだと思う。だから、本当は今日来たくなくて、お母さんを言い訳にしたのかもしれないし、私のことを恋愛対象として好きだったのかわからない。ただ、私は一葉ちゃんが友達として好きだった。
 世界はまだ不幸だってさ。それでも、強く生きろとか根性論ほざいてる奴らが私は大嫌いだよ。お母さんも、不幸にならないように私を守ってくれてる。でも、全部無駄。
 期待しちゃってた。私の周りはまだまだ不幸だ。だけど、それなりに上手くやっていける方法ってあるのかもしれない。ライブに当たったとか、四葉のクローバー見つけたとか、大小さまざまな幸福が日常には溢れている。
 不幸な世の中を泳ぐ。一葉ちゃんが残してくれた光を頼りに。もうすぐで、本土に戻れるよ。離島から、たどり着けるよ。

To be continued…


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