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ドームのセンステから飛び降りる。【第3話】

——生産性ないからさ? っつーか、気持ち悪くない?
耳障りの悪い言葉。数秒の会話でも、腹の奥から酸っぱいものが押し上がってくる。
「それ、ネットニュースになってる。やば」
澪が他人事のように言った。
 左眉が上がる。顔をしかめる。私は今、威嚇のような顔になっているだろう。
 ボイスレコーダーに残っていたという、会食での一幕。まさか、本人も世に放たれるとは思っていなかっただろう。コメンテーターが偉そうに批判している。
「政治家なら、プライベートでも言葉に気を遣って欲しいですよね」
「いや、そもそもこういう思想を持っている人が日本を背負っていると思うと恐ろしいです」
たしかに、そうだ。でも、何だかコメンテーターの言葉は響かない。
 同性のカップルについての発言らしい。
「まあ、私はアセクシュアルだからあんまり関係ないんだけどさ」
澪が言う。そうだよね。誰とも恋愛しないって割り切れていたら、私も楽かもね。
「でも、私しばらくこの人のこと許せないと思う」
 好きになる人の性別なんて関係ない、という考えはまだ少数派なのかもしれない。澪に言ったとしても、なかなか理解されないかもしれない。でも、そうやって世の中に抑圧されながら生きている人も少なからずいる。
「同性婚ではなくて、そもそも異性同士の結婚を工場のラインみたいに表現したのが問題なんじゃないかな」
「それもあるね」
 いつか、言える日が来るのかな。私はパンセクシュアルなのだと。全人類、好きになれるのにどうしてそれが悪いことみたいに扱われなければいけないの? どうして、言うのを躊躇わなければならないの? 疑問に思っても、勇気を出せない私はまだまだ小心者だ。
 澪に言えたら、どのくらい楽なのかはわかる。実際、澪はアセクシュアルだと告白してくれた。でも、澪もいつかは好きな人ができるかもしれない。そうしたら、今までの悩みも全部抱きしめて恋愛できるだろう。でも、私はもう遅い。
「ねえ、ライブの準備していい?」
「いいよ。やることないし」
うちわをつくるらしい。早速、百均に飛び出す。
「うちわの台紙と、画用紙を買うよ。あと、ここってプリンターある?」
「ない」
そっか、と考え込むこともなく、
「コンビニで印刷しよう」
珍しく行動的な澪を見て、呆気にとられた。
 彗が羨ましい。アイドルが羨ましい。人をこんなにも行動的にできて、何かの指針になれるのは相当なことだ。澪は彗がいることで安心して、少しでも自分を保てる。間違いなく、澪の原動力は彗。
 手を引かれて、外に出た。まだ、三時くらいだけど空は曇っていた。
「どっちがいいと思う? エアハグか、投げチュー。ピースとかの方がいいのかな。でも、ちょっと個性出したいよね」
澪が個性なんて語り出すのは珍しい、と思った。いつも、個性がないと悩んでいるのに。
「過激なのはだめなの?」
「ある程度、モラルがいるよね」
私がとんでもないことを言うと予想しているような顔。ある意味信用されていないのが見え透ける。たしかに、テンションが上がった私は止められない。
「飛び降りて、とかは?」
「バカ」
だと思った。それはそうだよね。でも、止められない。
「ステージから飛び降りてってどう?」
「彗が死んじゃう。やめて」
「違うよ。ステージの中で比較的安全なところってないの?」
「飛び降りる用に設計されてないからね」
「でも、面白くない?」
「面白いとかのレベルではないです。笑えない」
何言い出すかと思ったよ、というような顔をされた。
 澪はとりあえず、ベタなものから印刷していった。スマホでつくった画像をプリントする、という簡単な作業でできるらしい。
「ねえ、面白そうじゃない?」
「無理です」
「敬語で話すのやめて」
「言ってることが突飛すぎて、距離を置きたい。一メートルくらい」
二人で笑い転げそうになった。気づいたら、顔を見合わせて笑っていた。
「飛び降りるといえば、私たち修学旅行どこ行くんだろうね」
「まだ決まってなかったっけ?」
澪は慣れた手つきで小銭をプリンターに入れていく。クレーンゲームでぬいぐるみが獲れるまで粘っていた翔吾を思い出した。投入口の周りに百円玉積みがちだよね。
「京都っぽいよ」
「小学校で行ったんだけど。私」
「私もだよ」
一睡もできなかったのを覚えている。眠っている間に襲われそうで、家の外ではなかなか眠れない。友達と一緒の部屋にしても、落ち着けなかった。
「京都って言っても、行くところたかだか知れてるじゃん? 金閣とか平等院とか、清水寺とか」
「清水寺ね」
だから、飛び降りるから連想したのか。やっと、話が繋がった。
「長崎とか、東北の方がいいよね。軍艦島行ってみたい。東北だったら、海の幸楽しめそうだし」
次々と、印刷された紙が出てくる。
「先生に提案しようかな」
「まだ決定してなかったら、変えられるかもね」
清水寺がまだ頭の中に残っている。清水の舞台から飛び降りる。まさに、ライブにぴったり。
「ねえ、やっぱり飛び降りてってうちわつくろうよ」
私が行くわけではないのに、面白くなってきてしまった。
「まだ言ってるよ」
「ステージって何て言うの? ヲタク用語で」
「センターステージとバックステージ、メインステージがあるけど。それぞれ、センステ、バクステ、メンステって略すかな」
澪が手を止めて、語り始めた。
「一番飛び降りれそうなのは?」
「飛び降りる基準で考えないで」
私を指差して、軽く睨まれた。
「まあ、センステかもしれないけどさ」
答えてくれた。
「でも、害悪だと思われたくないんだよね。モラルは必要だからさ」
「いつか、って初めに付けたら角がなくなることない?」
あんまり変わらないな、と澪は呟いた。
「わかったよ。つくってみるよ」
意外とあっさり承諾して、早速画像をつくり始めた。
「皆と同じことやってもさ、面白くないじゃん?」
「面白さ先行で物事を考えるのやめなよ」
そう言いながらも、澪は微笑んでいる。
 個性を認めよう、多様性を認めよう、という最近の世の中の動きには窮屈さを感じる。澪に出会うまでは、物凄くいいことだと思っていた。でも、個性がない人もいるということがわかった。それで悩んでいる人もいる。個性があることを強いるような世界になっていくのが、少しずつ怖くなっている。
 万人受けが一番いいことだと思っていた。でも、個性が認められることで私はもう少しだけ学校でも自分を出していけそうだった。ひねくれていたとしても、そういうキャラとして通用するのかもしれないと思っていた。誰しもに好かれる人ではなくて、たった数人の自分が愛する人たちに好かれたい。でも、そうする勇気がない。
 澪も澪で、個性がないことに苦しめられている。自分のことを平均顔だと言っていた。調べてみると、何層にも重なった日本人女性の顔のトレースが一人の顔を形成していた。明らかに美化されている感じはあったが、澪に似ていた。私は綺麗な顔だと思う。でも、印象に残りにくいと言われればそうかもしれない。綺麗なものは、劣っているものより印象に残りにくいのかもしれない。澪も、別の学校、別の環境にいれば、まあまあ優等生だと思う。けれど、影が薄い。
 意図的に気配を消しているのか、わからない。ごめん、と言いたげな顔をしている。そういう澪を、守ってあげたい。
「印刷しちゃったんだけど」
「新時代の慣用句みたいじゃん?」
「それは同意。清水寺って、外国人か修学旅行生しかいないイメージあるもん。使わないよね、清水の舞台から飛び降りるなんて」
センステから飛び降りる、か。センターステージがどういうものなのか、まだ掴めていないけれど、それっぽい感じになっているはずだ。清水の舞台から飛び降りる、に匹敵するものなのだろう。
「待って、一葉ちゃん。それじゃ、アイドルしか使えなくない?」

To be continued…

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