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ChatGPTは「寒い日」を理解しているのか

1.ChatGPTに、「寒い日ってどんな感じ?」と聞いてみた

ChatGPT「寒い日は、空気が冷たくて、しばしば息が白く見えるような状態です。外に出ると、肌に冷たさを感じ、手袋や厚いコートが必要になることが多いです。時には霜や雪が降ることもありますし、窓ガラスに霜柄ができることもあります。外では人々が暖かい服を着て急いで歩いている姿を見かけることがよくあります。」

ふむ。なるほど。さらに聞いてみた。
私「寒さとか、冬の情緒について語ってみて」

ChatGPT「冬の情緒は、寒さと密接に結びついています。寒さはただの気温の低下以上のものをもたらします。冬の空気は澄んでいて、時には厳しいほどに冷たいですが、その清々しさが心を引き締めるような感覚を与えます。

街中では、暖かいライトが早い夜の闇を照らし、人々は厚いコートやマフラーにくるまっています。家々の窓からは温かい光が漏れ、暖炉やこたつでのぬくもりを連想させます。冬は家族や友人との団らんの時期でもあり、一緒に過ごす時間がより一層暖かく感じられます。

自然界では、木々が葉を落とし、雪が静かに降り積もります。雪が積もった景色は一面の白さで、世界が一時的に静寂に包まれるようです。夜になると、冬の星空が明るく輝き、寒空の下での星見が格別に感じられます。

このように、冬の寒さは、外の冷たさと室内の暖かさの対比を際立たせ、人々の心に深い情緒を呼び覚ますのです。」

ふむ。なかなか人の心がわかっておるじゃないか。


2.みなさんChatGPT使ってる?

私は日常的に使っている。プライベートでも使っているし、業務でも、文章生成やプログラミング補助、思考整理や壁打ちなど、さまざまな用途で使っている。

プログラミングのようなロジックに支配された世界だけでなく、小説を書いたり絵を描いたり作曲をしたり、クリエイティブな分野でもAIが猛威を振るっているのは驚きである。そういう世界こそ、人間の創造性がものを言うと、多くの人間は思っていただろう。

ChatGPTは想像以上に人間の心がわかっている(かのように振る舞う)。例えば冒頭のように、「寒い日ってどんな感じ?」と聞くと、なかなか機械が生成したとは思えないような表現豊かな文章を返してくる。

「冬の空気は澄んでいて、時には厳しいほどに冷たいですが、その清々しさが心を引き締めるような感覚を与えます」
確かに。わかる。

「冬は家族や友人との団らんの時期でもあり、一緒に過ごす時間がより一層暖かく感じられます」
確かに。これもわかる。

こういう文章がAIに、それも一部の専門家ではなく一般のユーザが簡単に使えるAIが生成できると、一昔前の人間は想像できただろうか。一見して、人間が書いたと言われても違和感のない文章である。

もうAIは人間の域に届いている。AIの性能を測るテストでは、人間の専門家レベルの問題に正答できるほどになっているらしい。まして、人間の情緒までも理解しているとなると、もう人間がAIに勝る部分は無くなってきたとも言える。


3.私がイメージする「寒い日」

ある日の朝、私は出勤のため会社への道を歩いていた。私はコロナ禍に入ってから在宅勤務とオフィス勤務を併用しているが、その日は週に2回の出社の日だった。かじかんだ手をコートのポケットに手を突っ込むと、手の冷たさが少し和らぐ。コートのポケットの中の布のやわらかな感覚が、冷たさに慣れた指に心地よかった。私はふうっと、安堵する息を吐いた。

寒さに耐えるように肩を縮こませて、駅から会社への道を歩く。電車と駅の中は少し暖かかったが、外に出るとやはり寒い。マスクをしているせいで、余計にメガネが曇るのに少し鬱陶しさを感じた私は、外ならいいかとマスクを外して会社まで歩くことにした。ひんやりした空気が頬を撫でる。

耳に突っ込んだイヤホンは、バッハの「2つのバイオリンのための協奏曲」を流している。バッハ特有の凛とした雰囲気が、冬の寒さを際立たせていた。中学生の頃に友達と練習し始めてから、何度も聴き、弾いてきた曲。指が曲を覚えているせいで、ポケットに突っ込んだ指が自然と動こうとするが、かじかんでいるせいでうまく動かない。ここ数日で急に寒くなったなあと思いながら、コンビニに寄ってホットコーヒーでも買って行こうかと思いたつ。

コンビニのホットコーヒーも、ここ10年くらいで市民権を得たよなあ、などと意味のない思考を紡いで、コンビニに入る。店に入った途端、メガネが真っ白に曇る。ああもう、と苛立ちながら、そうそう、店内に入ったらマスクをしよう、と思い出す。マスクをして、レジに向かう。あ、最近、乾燥のせいか喉がイガイガする気がする。龍角散のど飴を買いたいんだった。少し戻って龍角散を手に、再びレジに向かう。


4.「感覚」とはこういうものを言うのではなかったか

ChatGPTの生成する「寒い日」は、おおよそ間違っていない。それどころか、文章力のない人間より遥かに素晴らしい。だがそれは、ディープラーニングによって膨大なテキストを学習した結果、それらしいテキストを生成しているというだけであることを忘れてはならない。

前章で私が書いたのは、そういうものを意識した文章である。ChatGPTより文章力はないだろうが、その点はご了承いただきたい。何を言いたいかというと、人の感じる「寒い」とは、寒い日に息を吐くと白くなり、寒さに耐えるために肩を縮こまらせたり、それで肩が凝ったり、悴んだ手をコートのポケットに入れると気持ちが良かったり、コンビニのホットコーヒーが買いたくなったり、そういう文脈の中で感じるものではなかったか、ということである。「寒い日」について語られた膨大なテキストを学習したからと言って、それで「寒い日」について理解したことになるだろうか。

私は仕事柄、地震や地盤震動、津波など、地震被害について触れる機会が他の職業よりは多い。地震動、津波などの物理について、また地震被害、災害や二次被害などについても、一般の方よりは詳しいだろう。だが、自身が大地震の被害にあったことはない。それで、地震や災害を理解したことになるだろうか。私が「大地震が起こった時にはこうなってああなって、こういうことが起きて、、、」というのと、実際に被害に遭われた方が発言するのでは、言葉の重みが違うだろう。それに似ていると思う。

ChatGPTを含む生成AIは、そういうものを理解したかのように振る舞う。それはそう振る舞うよう学習させられ、プログラミングされているからであって、別にそれを非難したり否定しているわけではない。ただ、それを理解しないような、全知全能な存在であるかのようなSNSの投稿が最近特に多いように感じる。

特に気になるのは、ChatGPTが業務利用され、それが使用者によりろくにチェックもされずに世に出ることである。プログラムをよく理解していて速く書ける人は、おそらくChatGPTをプログラミングに使わないだろう。使う人は、プログラミングに詳しくなかったり、できたとしても全部書くのが面倒だとか、時間がかかるとか、そういう人たちであるはずだ。それならば、生成されたコードが正しいか全てチェックするのは困難だ。大規模で複雑なコードであれば尚更だ。

それによって、世の中のシステムが構築していく時代が、目前に来ている。むしろ、始まっているかもしれない。それでいいのか、を世に問い、考える時間的余裕はなかった。ChatGPTがリリースされて、瞬く間にその波は全地球に広がっていった。とにかく我先にと多くの人がChatGPTを使い、数多の回答が生成されていった。

便利なことは間違いない。その辺の専門家より正しい回答を生成することも間違いない。だが、一流の研究者や専門家の発言にはまだ及ばないはずだ。一部の限られたケースで、仮に一流の研究者や専門家に及ぶレベルの回答をしたとて、それは長年の知見やノウハウ、経験に裏付けされたものではなく、確率的にテキストを生成した結果に限らないことを理解しておかねばならない。

人だってそんなもんじゃないか、と言われればそうかもしれないが。少なくとも、我々人間はそうは思ってこなかったはずだ。自分が住む家を設計し、建てて、ローンの計算をする仕事を、地震の知識や建築の知識がある人でなく「確率的にテキストや数字を生成するAI」に頼みたい人は、現段階ではいないはずだ。

やはりそれらをしっかり理解した上で、AIをうまく使って仕事をするスタイルというのが、最も安定してクオリティを確保できるやり方ではないだろうか。そういう人に仕事を頼みたいし、そういうビジネスマンでありたいと、思うのだ。

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