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あれから...

2023年5月23日、自分はこんな記事を書いた。

現在2024年5月、約1年経ったいま改めて読み返してみたが、悲痛の叫びと混乱が思い出される(笑)

結果的にいまは会社は辞めて、またフリーとして活動している。
宣言通りとはいかなかったが、会社は2024年2月に退職。ただ、辞めたいと会社に伝えたのは2023年12月だった。何となく宣言した日を意識したのか、それとも宣言した時点で限界のタイミングを予感していたのか、辞めた今となってはあまり思い出せなかったりする。

なぜ辞めた?

これは簡単で単純に無理だなって思ったからである。
1つじゃない、会社での自分の存在意義を見出せなかったこと、自分のやりたいことが分からなかったこと、周囲の人間の発している言葉や表情に希望を感じなかったこと、自分がスキルアップした先に幸せな未来が想像できなったこと、、、
言葉にすればチープなことが多いだろうなって思うし、人に相談なんかしたらすぐ解決策を提示されそうな気がしている。
それくらい辞めた理由なんて自信持って言えることではない。
とにかく無理と思ったので辞めたのである。それ以外にない。
矛盾するようなことを言えば、実は我慢しようと思えば我慢できたと思う。
何も感じないように真っ白にしながら周りに合わせて自虐を言いながら笑っている。そういうのを続けていく自分はやっぱり無理だと思った。

辞めてよかった?

よかった。とても幸せである。
また転職して他の会社に所属するみたいなことをしなくてよかったと思う。
決してフリーも楽なものじゃないが、自分には働き方として合っている気はしているし、エンジニアとしてペーペーではないのだから、まだ数年は自分を必要としてくれる会社は探せばあるだろうと思っている。
いま仕事にありついて不自由なく過ごせているから悠長なことを言えるのかもしれないが、それでも日進月歩のIT業界において、トップレベルと底辺の差はどんどん広がるばかり。そのうちAIに仕事が奪われるという話題は尽きないけど、まあ遠くない将来にそうなってもおかしくないだろうなとは感じている。
だからこの先のことに不安はあるのだけど、不満はそんな感じない。
これは私的にはとても健全な状態だと認知している(会社員のときは不安に加えて不満を感じていたわけなので)。

辞めてから

「読書」を始めた。「小説」を読むのが楽しい。
本は図書館に借りに行く。近所にたまたま図書館が10箇所くらいあり、定期的に外に出るきっかけにもなっている。買ってしまうと読まずに放置したりする恐れがあるが、図書館で借りることで期限ができるので、読了のモチベにもなるのだ。
社会人になってからはビジネス書やノウハウ本はたまに読んだりはしていたが、幼少期を含めて小説は全く読んでこなかったし、まさか興味を持つようになるなんて思ってなかったから驚きである。
いまのところミステリーを中心に毎月10冊ほど読了を続け、最近は読書会に参加して自分の読んだ本の感想をシェアしたり、人からおすすめを教えてもらったりと以前はできなかった楽しみを見出すことができている。
今更ながら文章表現の素晴らしさを味わっており、本についてまた機会があれば綴りたいと思う。

これから

2月に辞めてから、分かっていたことだがめちゃくちゃ暇になった。
独り身、旅行もキャンプもドライブなどアウトドアな趣味を持たず、飲みもそんな頻繁にあるわけもなく、基本スケジュールはすっからかんである。
それでも散歩したり、料理したり、ボーっとしたり、いくらでも時間は潰れて、かつ幸せを感じるのだが、さすがにそれが毎日続くと何も感じなくなりそうな気はしていた。
最近漠然と暇との向き合い方を老後の予行演習のように捉えている。
バリバリ働いていた人でも60とか70になれば、大多数が強制的に老後生活を迎えるわけで、膨大な暇な時間と向き合うことになる。
無理やり絡めるようだが、AIが台頭するような時代、みんなそれなりに投資もやるようになって、金と時間の心配が減ったなら、ますます暇になることだろうと思う(それでも無理やり仕事を生み出すのだろうが、仕事が楽しくてやりたい人以外、強制されるものにやりがいを感じる若者もますます減る気がしている)
これからは「暇な時間と向き合う」、これは一つのテーマになるんじゃないかと勝手に思っていたりする。

昨今「退職代行」なるものが話題となり、会社を辞めることに悩むツイートやら記事が多く散見されるようになった気がしている。
いま会社で苦しんでいる人にとって辞める日を宣言してみるのはひとつ手軽で有効であると改めて綴ってこの記事を締めようと思う。

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