この絶望感を書き留めておく。終わりの始まりがこないことを祈って。


絶望感がすごい。やばいな。これ。


本帰国前の引越の準備はほんまにめんどくさい。あれもやらなこれもやらな、でもめんどくさいなあと思っていたら安倍元首相が手製の銃で撃たれたというニュースが飛び込んできた。

そして昭恵夫人が到着を待って処処確認をした上で、死去が発表された。残された昭恵夫人の心中を思うと胸が痛む。


そして、ものすごいショックを受けている。自分でも不思議なくらいに。なぜショックを受けてるかを書き残しておく。

私は実は安倍総理という政治家を日本国民としてよく知らない。なぜなら私がシンガポールに転居していた時期と第二期安倍政権が重なるのだ。つまり、私は安倍政権の時に日本に住民票がない。なので私は「外からしか安倍政権を知らない」のだ。なので安倍政権や政治に関してここで何か書こうとしても、正直書けない。

じゃあなんでこんなにショックを食らってるのか。ぼっと考えていながら1つ起承転結が見えてきた。それは

「日本に行けば(ここよりかは)安全だって思ってた。もうそうじゃないのか」

ここな気がする。


数年前を振り返る。
KLに転居してきて暫く経ってから、ある日本人の方のお嬢様が誘拐未遂にあったとの報道があった。しかも犯行現場はコンド内。コンド内のAirbnbに犯人は宿泊してたとのこと。

うわああああああああって思い、しばらくものすごくナーバスになった。そこで数年住んでいたシンガポールに旅行して、気持ちを休めた。ある程度回復した。


そうか、うわああああああああって思ったら安全な場所に逃げればいいのか。私は学んだ。


そしてコロナの足音が中華圏から聞こえてきた。やばいかもしれん。またシンガポールに試合に行った。少しだけ気持ちがやすまった。


しかし。


コロナは世界中に広まった。どこにも逃げ場ないじゃん。


うわあああああああああああああああ。


何度かマジで心が折れた。でも今の目的を達成せねば!!という意欲だけを頼りに自分を過度にご自愛してなんとか気持ちを保った。家が本と調理家電でいっぱいになったが最終的にメンタルを保てたので異論は認めない。


そして息子の卒業、試験が全て終わり日本に帰国。正直、嬉しかった。なぜなら私自身がこのコロナ禍で「外国人として弱い立場のVISAでコロナ禍という非常事態に生きていく辛さ」にほとほと疲れたからである。


そして同時に「日本なら(ここより)私は人として安全に暮らせる」と思っていた。「自分はそんな風に思わない」「外国楽しい」と外国で暮らしてる人もいるだろう。そういう人は幸せでよかった。そう、私が無理だっただけだ。


日本に行けば銃も見なくて済む。IDを持ち歩く必要もない。国籍で、人種で差別もされない。(色々あるだろうけど)ここよりかは、心穏やかに過ごせるはずだ。


と思っていた。その思惑が、安倍元首相襲撃事件で崩されたので動揺してる。


同時私が本当に怖いって思ったのは今回の犯行が「手製の銃で警備が手薄な場で実行された」ということだ。
今、米国では銃規制に関して議論が行われている。それはあくまで「製造された銃」だ。銃が自分で作れるのなら、規制しようがない。

警備の手薄さもこれも多くの人が触れている。東南アジアで生活していると日本に行った時に「警備薄!」と思うことが多かった。東南アジアでは警備の際は基本的に銃をでーん!と見せる。そういう歴史とお国柄なのだろう。ロックダウンの際、警察の検問を受ける際に散弾銃を見るのが本当に苦痛だった。別に今、心当たりがあるわけじゃないのだけど(じゃあ過去ならあるのか!?)警備の人が銃を持っていても別に恐れることはないはずなんだけど、でも、大きな銃を見るのが本当に嫌だった。


日本に行けば、大きな銃を見ることはない。それは私の中での希望だった。


「日本では銃の犯罪がない」「銃が流通していない」これは観光や教育移住に関しての大きなアドバンテージだったと思う。日本に観光に行きたい!と思う外国人の多くは「日本は安全」「日本では公道での銃犯罪は起きない」という認識を日本国民だけでなく、日本を訪れる外国人も思っていた。だから日本に安全に旅行できる、子供を通わせられる。そう思ったはずだ。


それが今回の事件で一気に崩れた。しかも手製の銃で。殺傷能力がある手製の銃が日本で簡単に手に入る(作れる)ことが証明された。
ちなみに販売されてる銃のように連続で打てないからスクールシューティングは起きないと言ってる人がいた。確かにて手製の銃で乱射はないだろう。でも狙えば打てるって証明されてしまったではないか。自分が狙われる可能性がないとは到底思えないのでやはり恐怖感は増えている。
しかも警備は手薄だ。金属探知機も散弾銃を持った警備員もいない。米国とは違った側面で危険極まりない。状況であることが世界中に見えてしまったのだ。


日本は危険だ。日本に国籍を持っている私ですらそう思うのだからインバウンド観光や御子息の留学に多大な資金を投入できる富裕層がそう思うのは当然のことだ。だって、彼らの方が「金」という明確な目的があるからだ。

日本は自分にとって危険だ。こう思われたことで国境開放で期待されていたインバウンド観光、富裕層を対象としたボーディングスクールなどの教育移住といった「今後の日本の生きる道」が一気に見通しが暗くなったと私は感じた。


そんなことはない!と思う人は思えばいい。私は今まで暮らしてきたマレーシアの富裕層の御父兄が「アメリカは危険だから行かせない」「イギリスはコロナ対策が不安だから一旦子供を呼び寄せた」と言って進路や旅行先を変更していたことを何度も見てきた。そしてそういう人たちが「日本旅行したい!だって日本は綺麗だし美味しいし、安全だもの」と話すのも聞いてきた。
日本は銃の規制は確保されてる、銃で襲われることはないって思ってた。


その概念は、今日木っ端微塵に壊された。


日本も銃でやられる可能性がある。この概念が世界中に拡散されたことは、これから少子化、円安に爆進する日本の数少ない生き残る道を絶たれたと言ってもいいのではないか。


感染症、経済破綻、政治腐敗、そして戦争。生きる希望って何と思わせる要素満載の昨今、「でもここは銃がないし」「インバウンド観光で生き残れるし」という微かな希望が風前の灯になった。


終わりの始まりは、2022年7月8日。この絶望感がどうか外れますように。